疑問を持つ生活も面白いもんですよ
verdeさんの小説、読み返してきました。静かなる炎の熱が、文章から伝わってきて面白かったです。タイトル付けにも悩まれる理由がよく分かります。特に大事にしている文章なら、尚更ですよね。リライト前と後で、話の軸はぶらさずに表現が洗練されていて良かったです。
そういえば今日、初めて哲学を学ぶ一人の若い女性にオンラインで哲学のレッスンをしました。彼女の視野と感性、そして哲学することへの興奮が画面越しにも伝わってきました。私たちは哲学の語源、古代哲学史、そして何よりも「自由とは何か?」というテーマについて深く探求しました。
哲学のレッスンは一筋縄ではいかないものです。それは単に情報を伝えるだけでなく、レッスン生自身が問いを追求し、自らの思考を広げる力を養うことが求められます。今日のレッスンはまさにその過程を体験し、彼女の思考が成長していく様子を見ることができました。その経験は私にとって、心地よい疲れとともに、深い充足感をもたらしました。
それぞれのレッスン生が持っている素養や視点を見つけることは、レッスンの中で最も興奮する瞬間の一つです。それは私たち教える側が教えることの価値と意義を再確認し、自己成長の機会を提供します。
レッスン生である彼女の視野の広さと哲学への興奮は私自身を刺激し、新たな視点を提供してくれました。彼女の問いに対する私の答えが、彼女だけでなく私自身の理解をも深める結果となりました。
この経験は、今後のレッスンに対する私の展望をさらに明確にしました。それはレッスン生たちが哲学という壮大な舞台で自分自身を発見し、世界を理解する道具を手に入れる場を提供することです。
哲学は人間の存在や意識、倫理、社会、科学など、私たちの生活に関連するすべてのテーマについて考えるための枠組みを提供します。
そして何よりも、哲学のレッスンは受講生たちが自分自身の「自由」を見つける場でもあります。それは他人の意見に流されず、自分自身の思考を持つ自由、そして新しい知識や視点を追求する自由です。哲学とは何か、自由とは何か、という問いは、一人一人が自己と世界を理解する旅を続ける中で、絶えず立ち返るべき問いです。
これからも私は、レッスン生たちが自分自身の哲学的な探求を深め、自由な思考を育む場を提供し続けることを追求していこうと感じました。
一般的に「哲学は難しい」と言われています。それはおそらく次のような理由が挙げられると思います。
1つめの理由として、哲学は抽象的で理解が難しい。哲学は高度な抽象的思考を必要とし、その概念や論理は一見して理解するのが難しいというイメージがあります。これは、哲学が存在、真実、知識、美、心、宇宙など、生活の中でも抽象的な側面を扱う学問だからです。
2つめが理論的で実践的な価値が低い。哲学は「実世界」の具体的な問題に対する解決策を直接提供しないため、一部の人々は哲学が実践的な価値を持たないと感じることがあります。
でも、私はそうは思わないのです。たしかに、よく哲学は抽象的な議論や難解な思考の世界とされます。しかし、それは哲学の全体像を見逃している視点なのかなと思っています。それは哲学は私たちの日常生活、考え方、振る舞い、そして社会の在り方と深く関わっているというのが理由です。
哲学はもちろん、存在論や形而上学といった高度に抽象的な領域を探求します。しかしそれらは、私たちが自身や世界をどう理解し、どう生きるかという基本的な問いに対する答えを模索する手段なのです。
例えば、自由とは何か、正義とは何か、人間とは何かといった問いは、私たちがどのように行動し、どのように社会を構築すべきかを示すためのものです。
また、倫理学は私たちの日常生活に直結した哲学の一分野であり、行動の正当性や道徳的価値を問います。何が正しく、何が間違っているのか、何をすべきで何をすべきでないのかを判断する基準は、私たちの日常的な選択に深く影響を与えます。
道徳的な判断は私たちが友人に対してどのように接するか、物事をどのように評価するかにも影響を与えるのです。
社会哲学や政治哲学は、社会的な公正や法律、権利、自由など、社会全体の在り方や制度を問う学問です。これらの議論は政策決定や法制度、社会の運営に大きな影響を与えます。
そして美学は、美とは何か、芸術作品の価値はどこにあるのかといった問いを扱います。これらの議論は私たちが日常の中で経験する美的な経験や芸術作品に対する理解を深める助けになります。
これらを見れば、哲学は抽象的な議論から日常生活へとつながっていることが分かります。哲学は私たちの生活をより豊かで深みのあるものにするための道具なのです。
哲学は日常生活と社会に対する洞察力を深め、私たち自身の生き方や世界の理解を豊かにするための方法を提供してくれるのです。
哲学アレルギーを持っている人、ぜひ考えを変えてみませんか。そして、verdeさんのように哲学に既に関心、そして自己の哲学を持っている人は歩みを止めないでいてほしいなぁと思っています。
疑問を持って生活をすること、それも良いもんです。でも、人に教えるのはエネルギーを使うなぁ。楽しいから良いけど。
もし、私の哲学レッスン「哲学ってなにするの?ほっこりする哲学超入門」に興味がある人はTwitterでも、コメント欄でも連絡してくださいね。それでは〜。
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