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噛み合わない歯車

朝から浅川マキを聴いちゃうようなシーズンの分かれ目、いかがお過ごしでしょうか。私は胃痛、逆流性食道炎、腰痛、不定愁訴と、どうも身体と精神の歯車が噛み合わずジタジタとしております。

しかし、浅川マキ良いですね。聴いててふらりと街の外に出かけたくなります。フォークソングとも違うし、スゥイングになるのかしら。この頃の曲は声と歌詞に重きが置かれていて、聴いていて心地よくなります。旅行ではなくて、旅に出たい。そんな気持ちになります。

えー、そんな具合の悪いところにパートナーまで具合が悪くなりまして。おそらく胃腸風邪なのかなと。嘔吐感があったり、トイレを行き来したり、ご飯が食べられなかったりと散々な目にあって、やっとこさ回復してきました。はぁ、弱り目に祟り目とはこのことかと。

いろいろ重なって交換日記も日が空いてしまいました。書けなかったんですよね、文字が。これはフラストレーションも溜まらない鬱の症状ですかね。あぁ、めんどくさい身体になってしまったものだ。

まぁ具合が悪い、具合が悪いとばかり書いていて仕方ないので、なんか明るい話題でも。明るい話題かぁ〜。思いつかない…。あぁ、あるか。パートナーがnoteをキッカケに勉強したいという気持ちになりました。

まだ小さな芽だけれども英語をやりたいとまで言い出しました。哲学にも興味が湧いてきたとのこと。いやー、素晴らしい。実に素晴らしい。でも、どこから手をつけて良いか分からないと。「好きなとこからやり始めれば良いじゃん」と思ってしまうのが、たぶん私の悪い癖。だから、適当にジャンジャカ本を渡して好きなところから始めればよいよーと。そうしたら、パートナーは逆に混乱。どれから読めば良いの?入門書を一から読めば良いの?と真面目に聴いてくるではありませんか。

それこそ適当にやれば良いのにと思ってしまう私はたぶん教育者にはなれないなぁとはたと気付かされました。相手がやりたいことをちゃんとヒアリングして、適した教材を渡す。真面目な教育者は、そうやるでしょう。でも、そんな環境にいたことがないから「好きにやれば、それでOK!」な感じなんですよね。

まともに指導を受けたのって論文を書くときぐらいで、あとは自由奔放に飛んでいきなさいってな感じの教育環境にいたので、マニュアル通りに学問を進めることをしたことがない。好きに本を読み、着想を得て、理論構築のために必要な本を読むって感じだったから発想が逆なんですよね。

ニーチェが読みたいならニーチェ、それも分からないならドイツ哲学、それでもだめなら哲学の入門書を何冊かパラパラと読む。そんな感じの勉強方法しか知らないから、真面目に一から始めたいというパートナーの要望がよくわからない。ガイドラインなんかは勝手に自分で作っちゃえば良いのよーと言ってるんですが、パートナーにはなかなか通じない。

まぁ、性格の根本が「真面目」な人だから仕方ないのかもしれませんね。私みたくちゃらんぽらんにしている人間とは別の生き方の信念みたいなものを持っている人なので、そこにうまく合わせてあげるのが良いのかな。

そんなんで、ちょっとは明るい話題になったかな?なったのかなぁ?分からなくなったところで、今日はここら辺で失礼します。プチ・フランス語講座もあと少しですから、サラッと読んでみてくださいね。それでは〜。


前回は à と de という前置詞を見てきましたが、これまでにも3つほど前置詞は出てきました。

Je danse avec elles.(私は彼女たちと踊る)のavec(〜と一緒に)、Il y a des graçons dans le pare.(あの公園には何人かの男の子がいる)の dans(〜の中に)、Je travaille toujours pour toi.(私はいつも君のために働いている)の pour (〜のために)というものがありました。

その他にもよく使われる前置詞があるので、見ていきましょう。まずは英語の by にあたる par (パル 〜によって)があります。

le plafond de l’Opéra peint par Chagall
(ル プラフォン ドゥ ロペラ パン パル シャガル)

plafond は「天井」、l’Opéra はle + Opéra のエリジオン(母音字省略)の形で「オペラ座」、peint は「描かれた」という意味の動詞の変化形、Chagall は画家シャガールを意味します。したがって、全体の意味は「シャガールによって描かれたオペラ座の天井」という意味です。

シャガールによって描かれたオペラ座の天井

今日はもう一つ前置詞をやって終わりにしましょう。日本語読みだと「シュール」と言われるsur (スュル 〜の上に)。

huile sur toile
(ユル スュル トゥワル)

huile は「油」、toile は「布」という意味です。「布の上に油」、つまり『油彩』のことです。

日本語で「シュール」といったときには、現実離れした幻想的なイメージのことを指します。元の言葉はフランス語のsurréalistique(スュルリアリスティック)なのです。réalistique(レアリスティック)は「現実的な」という意味で、その語頭に sur がついています。この場合の sur は「〜の上に」という意味から「〜を超えた」という意味になって、surréalistique は「超現実的な」という意味になります。

ということで、今回はここまで。次回も前置詞を扱います。お楽しみに。それでは〜。


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