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#10.にんげんだもの

おはようございます
週の折り返しの水曜日、Wednesday Chanceの日です
なんだかんだで毎週続けられている自分に拍手!!!!!
最近は、大好きな人たちと一緒に居る時間が増えていて、とても満たされているわたしです。今日はわたしたちは、神様でも仏でもスーパーマンでもない、にんげんです。っていう話をしようかなと。


にんげんって何?
愛と心がある動物。
すべての生きとし生けるものの中で、唯一、心を与えられた動物
それがにんげんなのかなって勝手に思ってます。

人間という感じの由来
元々の仏教語の「人間」は「人々の間」という意味合いで、つまりは「人が住んでいる所」を表す言葉でした。 ですから「世の中」「世間」「世界」を意味したのです。 「人間」という人の世界全体を表す言葉が、やがて個人を表す「人」と同義となっていったといわれています。

ネット引用

人の間っていう表現が、考えてみると面白いですよね。
心があるから、楽しい、嬉しい、気持ちいい、喜びなど人生に色をつけてくれるから「生きている」って実感を得るのかなと。
ただ、その心っていうのが少し厄介で、反対の感情にも反応してしまうんですね。悲しい、怒り、辛い、傷つくだったり。。。
良い面も悪い面もあるって心は複雑ですね


ポジティブもネガティブもない
上記のように感情を良い悪いで考えてしまうとポジティブな感情、ネガティブな感情に分かれてしまう。
でも私自身としては、感情にポジティブもネガティブもないと考えています。

怒りは、あなたの大切にしている領域が侵されていることを知らせてくれる感情です。もし、怒りがなくなれば、あなたは、身の危険に氣づかずに命を落とすかもしれない。

悲しみは、あなたに大切さを教えてくれます。もし、悲しみがなくなれば、あなたが大切にしているものを大切だと氣づけずに失います。

辛いは、そっちじゃないよと教えてくれます。辛い苦しいがなくなれば、心が反応しないけど、身体がボロボロになって動かなくなる。そうなる前に心が「辛い」と反応してくれるから身体が壊れるのを防いでくれます。

傷付くことは、人の痛みを教えてくれます。傷つかない人になれば人の痛みがわからない、人を傷つける人間になってしまいます。人と痛みがわかるからこそ、愛を持って接することができます。


悟りの境地
私は少し前にヴィパッサナー瞑想合宿に参加し、自分なりに悟りとは何かという答えに辿り着きました。悟りとは簡単に言えば、愛を持ち続け、反応しないこと。詳しく知りたい方はこちらの記事から見れますので今日は割愛します。わたしが言いたいのは、反応しなくなったら人間ではなくなるのではないかということです。個人的な意見は、反応していい、それが人間だから
ただ、反応している自分に氣付くことは大事かもしれません。
何が言いたいかっていうと、嬉しいも悲しいも、感情に反応してしまうのはあなたが人間ですよという証拠です。つまり、我慢して自分に嘘をつく必要はないのです。


反応したっていい
どんな感情にも反応しちゃう。
楽しい、嬉しい、寂しい、悲しい、それを感じることができるのが人間です
笑いたかったら笑ったっていい、悲しかったら悲しんでいい

「自分に嘘をつき続けるのは、もう辞めませんか?」

私は〇〇でなければいけない
世間ではこれが正しいからやらなきゃいけない
私はこういう人って思われているからそうで在らなきゃいけない
あなたのままでいいんです。
ありのままのあなたでいいんです。
あなたという人間は、生きてるだけで尊く、価値があるんです

この世で誰一人として、価値のない人はいません

それがわたしが想う、「にんげんだもの」



最後まで読んでいただき有難うございました。
どんなきっかけの種が見つかりましたか?
もし見つけたらコメント欄にて教えていただけると心から喜びます。
週も折り返しです
あなたにとって素敵な今日であり、週でありますように。
それではまた来週の水曜日に会いましょう。
Wednesday Chanceでした。

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