原告記(仮)#69 「まぼろしの意見陳述書…その弐」

2022年8月8日、期日前夜─。
八八だと"すえひろがりW"で、めでたい日。
明日は札幌地裁控訴審第二回目、僕とCさんの意見陳述があります。
ここ数日の、そこまで緊張しているわけでも逆にまったく平気だったり自信があるわけでもなく…どうにも落ち着かないままな感覚をなんと言うべきか。たぶん、あっという間に過ぎさってしまうんだろうな明日は。

昨年、札幌地裁の違憲判決が出て控訴審に進む段階で、そのとき実は意見陳述書を書いていた。
これから控訴審に臨むこと、新しい裁判長に対して原告がどんな人たちなのか知ってもらう意味もあった。
ちなみに、控訴審に場が移ったことで、私たちは原告ではなく、厳密にいうと控訴人になっている(…このことを知ったとき、あぁもう原告じゃないのかと、ちょっと寂しい気持ちに一瞬なりました)。 

意見陳述を書いたものの、その後、なかなか控訴審の次の展開が決まらずで、たぶん多くの人が札幌控訴審がどうなっているのか気になっていたと思いますが…結局、このとき書いた意見陳述書は使う機会がないまま一年が過ぎました。

今回、意見陳述をするにあたり、一年前と現在とでは、あまりに世の中の状況(とくにこの1ヶ月!)も自分の心境も違いすぎて、前回書いた陳述書の一部を使いつつ、全体を書き直しました。というわけで今回は、一年前に書いた、まぼろしの意見陳述書を公開します。
違憲判決が出たあと、とくに書きたいことも明確になかったため、自分のことではなく、りょーすけさんのことを中心に書いていました。
#67「まぼろしの意見陳述書…その壱」と併せて読んでいただくと、内容が立体的になるかなと思います、是非。


★2021年、春頃に書いた意見陳述書

1
男性同性愛者である私たちの交際期間は19年目に入っています。
この19年という年月について話すと、「そんなに長く…」「すごい」と驚かれることがよくあります。
好意的な反応は嬉しいことですが、よく考えてみると、同じくらい年月を経ている異性愛者の夫婦だったら、そう驚かれることもないはずです。
私たちの暮らしは、同性愛者のカップルだからといって特別なことは何もありません。当たり前に日常を繰り返し、共に生きてきました。

2
「2人のやり取りを見ていると、かけあい漫才みたいですね…」
これも、別々の人から、不思議なくらい同じようにかけてもらう言葉です。私とパートナーの身長差が20cm以上あるため、その見た目から昔ながらの漫才コンビ(オール阪神巨人)を連想させるのかもしれません。
意識してそうなっているわけではなく、行動的で明るい彼とのんびりしている私の、2人の長きに渡る生活実体があってこそ培われたものだと感じています。

3
2021年3月17日に行われた地裁の判決では、ただならぬ緊張感のなかで、肩の荷がおりたような開放感を覚えました。
同性愛者である自分は、それは無意識だったのか…透明人間のように生きてきたのではないか。
判決文の言葉はシンプルで力強く、人権を何より自分のものとして捉えることが出来たことは、忘れ難い経験でした。
判決を聞く前の自分にはもう戻りたくない、いまはそう強く感じています。

4
もともと三重県出身の私のパートナーは、今から24年前、大学を卒業後、意を決して北海道に移住しました。
その当時、すでに札幌で始まっていたパレード「セクシャル・マイノリティ・プライドマーチ札幌」のパンフレットをいま見ると、実行委員のメンバーのなかに、若かりし日の彼の名前があります。 
現在、LGBTの存在や人権問題の可視化を目的としたパレードは全国各地で開かれています。
札幌のパレードは20年以上前から、その後「レインボーマーチ札幌」「さっぽろレインボープライド」と名称を変えながら、若い世代が引き継いでいます。

5
私とパートナーが20代の頃、まだLGBTという言葉がいまほど普及していなかったと記憶しています。
北海道に移住してからの彼は、アルバイトをしながら、きっとお金もなかった生活のなかで、毎年の札幌パレードの運営にかかわるだけではなく、他にも様々な媒体でゲイ当事者としての発信をしていました。
それは、性的少数者は首都圏だけのことでもテレビに出ているような特別な人の話でもなく、地方都市の札幌でも、日常を、当たり前に存在している生活実体を示していたのだろうと……昔から変わらない明るさをもつ彼を見てきてそう感じます。

6
地縁のない土地で1から人生を切り拓いていた彼と、同性愛者の自覚はあっても、地元で表立った行動をすることはなかった私ですが、2002年11月17日、私とパートナーは出会いました。
その後、彼は定職に就いたあとも、仕事の傍らにLGBTの若者支援に携わるなど、ピアサポート(当事者同士の支え合い)を続けてきました。
私とパートナーが臨むこの法廷は、声を上げてきた多くの当事者たちの、長年の思いの先にある必然の場所ではないでしょうか。偶然でも昨日今日の話でもありません。
だとしたら、1人1人の人間の重みを踏まえたとき、この裁判の先にあるのは希望のある未来であって欲しいと思います。

7
あと数年たてば、私とパートナーは親姉弟よりも長く一緒に生活してきたことになります。
出会ってから19年の歳月は、もはや2人だけのものではなく、お互いの両親や親族と築いてきた、たくさんの家族の思い出があります。
コロナ禍でパートナーの実家への帰省が叶わず、久しく彼のお父さんお母さんと会っていません。
これから先まだまだ続く人生のなかで、同性愛者も結婚出来る社会の実現を…その日を2人で迎えたいと願っています。
ちっぽけな自分でも、同性愛者として生きている証として、この社会と若い世代に何かを引き継ぐことが出来るなら、望外の喜びです。

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