原告記(仮)#65 「札幌地裁*判決まわりの話②…後悔の先」

うれしいことや楽しいことは迷うことなく反応できるのに対して、悲しさや怒りには時差があるように思う。
たとえば、あれ、なんかおかしいなと感じても、すぐには確信が持てない…
それがなぜおかしいと感じるのか、なぜそんなことになったのか?、相手の立場を想像してみたり、気にしすぎなのかとかあれこれ考えて、時間がたってやっと、あ、やっぱり、納得出来ない自分に気づいたとき─。

札幌地裁判決、歴史的かつ自分にとって、大切な違憲判決を得たあの日。
実は、悔いの残ることが一つだけ、ある。

後悔先に立たず…もう過ぎてしまった出来事に、もはや正解も不正解もわからない。
でも、嫌なことは嫌だとなぜはっきり言わなかったのか、そんな後悔は残る。何事もなかったように爽やかでいられない。

2021年3月初旬、札幌地裁判決の日が差し迫るなか、取材つづき、日々をこなすよう過ごしていた、とある日。
弁護団からこんな連絡があった。

『判決の日、東京のNHKのSさんが来られる。ただ、(この裁判ではなく)「カラフルファミリー」の取材を行うようです』とのこと、だった。

カラフルファミリーとは─?
LGBT家族(この表記は公式の原文ママです)の子育て、トランスジェンダーとそのパートナー、ゲイ3人の親の日々を記録したドキュメンタリー番組のこと。

この番組の出演者でもあり、同性婚訴訟の動きにも大きく拘っているMさんが来道することはその前に聞いていた。つまり、Mさんは、札幌地裁判決の場にやってきて、自分が取材をされる状況なのか…

当日は、札幌のNHK…前回(#65)書いた「北海道道」のディレクターHくんが、引き続き、私たち札幌の弁護団・原告の密着取材をすることになっていた。

そんななか、弁護団からは、
『NHKさんだけで2台もカメラがあると混乱しかねないので、北海道弁護団や原告への取材は札幌局の方に一本化して欲しい』そう、東京のNHKに伝えたとのことだった。

いや、なんかこう…いいのか。
やっぱり変じゃないか、これは?…
私から弁護団にこう返信した。

"スミマセン一応確認なんですが、カラフルファミリーと札幌の裁判・判決は、何か関係があったんですか?これまでも今も。
いや、なんというか、札幌の判決という大事な局面の、自分にとって大事な1日になるはずの、その大事な場の目の前で、別の取材を敢行するという理解でいいんでしょうか?"
"スミマセンまわりくどいですね。↑の通りなら、ハッキリ言います、
1原告として、
「やめてください」"

弁護団からは、
たかしさんの気持ちはわかるが、
『彼らが取材に来るの禁止する権限はない』以上は…という、それはホントにそう、だっだ。

数日後、私たちの困惑を間接的に知った東京のNHKのS氏から、メールが届いた。お詫びと、私たちの迷惑にならないように取材は行うとの話だったが、
でも、文中のある箇所で心が冷えた。

自分たち(つまり、NHKの東京)が取り上げれば、たくさんの人たちに、札幌地裁の裁判を広く知らせることが出来ると思いました、といった一文だった。

悪気はない、むしろ良いことをしているという意味なのか…でも、いや、そんなことを頼んだ覚えはない私たちは。

Mさんには、この裁判が始まる直前の2018年末、全国の弁護団と原告が集まった東京での説明会で挨拶を交わしている。
ちょうどそのとき、新宿2丁目にある、道路整備計画で伐採されるクスノキをベンチにしようというクラウドファンディングをMさんが立ち上げていた。少額を寄付をしたが、あれからもう3年が過ぎた。

判決までの2年近く、期日の度に様々な報道の方々が、足蹴くこの裁判の現場で取材を重ねている。その熱量は判決を前に高まっていた。
コロナ禍で傍聴席の抽選は厳しく…にもかかわらず、この判決の場に居合わせたい、遠く道外からも来る方々がいるという、事前の情報も聞いていた…応援に駆けつけてくれるのは、本当にありがたい。

判決から数日後、Mさんから謝罪のメールが届いたが、やってしまってから謝られてもしょうがない。
判決の結果だけ、こうやって、そこだけ持っていくのか、と白けた気分になった。

『彼らが取材に来るの禁止する権限はない』そう理解するしかなかったが、よくよく考えると、取材対象者であるMさんは断ることができたはずだ。
私たちだって、納得できない取材環境なら引き受けない。

数ヶ月後、直接Mさんに事情を聞くことが出来た…詳細省くが、まぁいわゆる大人の事情だった(に過ぎない)。
正解・不正解はわからない。ただ、相互にコミュニケーション不足だったのは確かだと思う。
法廷で違憲判決が出たあとすぐ、裁判所の前での旗だし(勝訴とか不当判決とか、俗に、びろーんと呼ばれるやつです)が行われた。
たくさんのレインボーフラッグに囲まれ、その歓喜あふれた映像は、多くのメディアでいまも使われている。

実は、この旗だしの場面…弁護団と原告で決めていたことがあった。
札幌レインボープライドの関係者を中心に、地元で活動してきた人たちに並んでもらうこと、だった。

札幌のコミュニティの歴史と先人たちへのリスペクト、そして、自分にとっては、せめてもの抵抗という気持ちがあった。


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