原告記(仮)#62 「20190415*第1回期日㈣」

はじめての法廷からはじめての報告集会へ。場所は札幌弁護士会の会議室。
提訴のときと同じく、横長につなげた折り畳みテーブルを前に原告4人が着席。すでに各メディアのカメラがズラッと取り囲む中、まずは記者会見が始まった。

裁判の最初の頃は、記者会見と報告集会はしっかり分けられていた気がする。
裁判を傍聴した人たちは、記者会見の間は後ろで見学。参観日さながら、そのなかに僕の母と姉もいた。


家族というものは、つくづく不思議なものだと思う。
自分が…23歳頃だったか一人暮らしをするようになって、そして姉は結婚し、母は再婚したあと暮らす中古の戸建で…もうみんな別々の生活を過ごすなか、四半世紀の時間が流れている。
母親から見た子供、またはその逆の姿。
生まれてから一緒に過ごした20年あまりは、あまりにあっという間であっけない。
そこには、母親を「人」として見る視線はなかった。

数年前、法事かなにかの都合で、母と姉夫婦&甥っ子と一緒に東京に行ったことがある。
東京メトロの日比谷線の車内、人形町駅を通過したときのこと、母が言った。
「私、昔この辺りに住んでいたの」
サラッとした母の呟きに、不意打ちみたいに驚いた。
母(愛子)が若い頃、東京で働いていたことがあるとは聞いていた。なんとなく頭にあったにも拘らず、いまその実際の場所を伴うと、急に生々しく感じられた。そう、自分の母親のことを、どんな「人」でどう生きてきたのか、実は何も知らないんだと目の当たりにした気分だった。
道北の漁村で大家族で暮らしていた、まだ20歳そこそこだったアイちゃんは、どんな志を持って上京したのだろう。


札幌地裁の裁判を振り返って、もっとも反響が大きかったのはやはり判決の日で、次はその前年夏、丸一日がかりで行われた原告と証人の尋問がつづく。
でも、第1回目の期日、このときの報告集会も捨てがたい……弁護団・原告・傍聴したみんな、始まったばかりの裁判に対する新鮮な高揚感が全体にあった。

札幌の報告集会は、お菓子とお茶を用意していて(これは僕のアイデアが採用されたもの)、まぁいつも和やか、しばらく感染対策が必要になる前までこれは続いた。
そしてこの日、会場の空気を一変させたのが姉だった。もう主役の座を"持っていった"と喩えてもいいくらい、笑。

報告集会の後半にさしかかり、参加者の何人かからコメントをもらう場になった。
そこで、指名された姉がみんなの前で話し始めたときのこと。
原告Eさんの意見陳述の後半のエピソードを踏まえて、若いセクシャルマイノリティの自死の問題に気持ちを寄せた話の流れになったそのとき─。
姉はその語りのなかで、原告Eさんだけでなく、まるですべての人たちを包括するようにこう述べた。
「生きていてくれて、本当にありがとう」
その一言は、会場全員の心に刺さった。

何この感動を呼ぶスピーチ力、うちのお姉ちゃん、何者?!
こんなに"熱い"人だったとは…いや本当に、家族でも、姉がどういう「人」なのか知らなかった。
一気に会場を号泣モードに変えた、もはや伝説と化した姉のスピーチは、弁護団にとっても強い印象を残すこととなった。そして翌年夏の尋問で、姉は証人として法廷に立つことになったのでした。

感動が伝播したのか、この日はみんなすごかった。
同じく指名されてコメントに立った「7丁目のママ」の店長Yくんも、たぶんもともと泣くようなキャラではないのに、話の途中泣き出した。溢れて止まらなくなった涙に、本人が1番驚いているみたいだった。
たしか原告Eさんの指名で、記者Iさんも話をした。報告集会の場でメディアの人が話すことは珍しいパターンだったと思う。

先日、この記者Iさんからメッセージがあった。
春は記者さんたちも異動のシーズンで、何人かから連絡をもらうことがあるが…Iさんの場合、異動ではなく転職だった。
スーツ姿似合いすぎの、見た目ピシッとしているので、最初しばらくの間、30後半くらいだと思っていたが実はまだ若かったIさん。札幌地裁の判決を"ペンの力"で支えてくれた1人として、記憶のなかにしっかりとどめておきたい。

記者K村さんからは丁寧な手紙が届いた。
口調は柔らかいけれど、いざ取材になると眼光鋭く質問を繰り出すK村さんも、最初の赴任地である北海道から旅立つ。
昨年春、憲法をテーマにした取材のなかで改めて札幌地裁の判決について質問があった。
判決が出たときの法廷の様子を、
『輪になった原始人がドンドン太鼓を叩いているような、真ん中に松明があって、地響が起こっている感じ!』(…これはいい表現だと内心おもっていた)と話したら(このとき初披露)、りょーすけさんとK村さん2人で、あっさりとしっかりとスルーしてくれたのは、泣…よき思い出。

50年も前、東京で生活を始めた、デパートで働いていた若きアイちゃんも、いまを生きる我々も、どこかで繋がっているように思う。
みんなが、この春、良いスタートをきれますように。

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