原告記(仮)#54 「矢野顕子と私①」

#38、#44からのつづき、 
昨年から間が空きましたが、私とりょーすけさんの出会い的な話、3話目。
まずは、かなり昔に話は遡ります。

1980年代後半…まだ私、10代の真っただ中。日本の音楽シーンでバンドブームというのがあった。
レコードからCDに切り替わる時代。
「PATI・PATI」「B・PASS」など、蛍光色のつよいビジュアルを前面に出したような、それこそキラキラした音楽雑誌がたくさん出ていた。
「PATI・PATI(パチパチ)」という雑誌で代名詞のように使われていたあの字体。
GO-BANG'S(ゴーバンズと打ったら文字変換で出てきたスゴい)や、KYON2(キョンキョンは変換出なかった…)のアルバムジャケットにも使われていた。
黒く切り絵みたいで、フォントが動いている感じはキース・ヘリングっぽくもあるとおもう(のは、ちょっと強引か)。

↓うちにある1冊。以前、札幌の古書店で、りょーすけさんが面白がって買ったもの、あと「宝島」


対して「ROCKIN' ON JAPAN」がテキストを重視する硬派のスタンスをとっていて、恒例の2万字インタビューなど、アーティスト写真も、背景に何もないフラットなデザインが基本にあるようだった。

メディアをフルに生かしたシーンの盛り上がりに懐疑的な論調も少なからずあった気がする。…といってもインターネットも十分じゃなかった時代、いまとなってはそれほどでもない、、、、
渡辺美里(←10代のりょーすけさんが好きだった)など、メッセージ性の高いとされた音楽、まぁ前向きな歌詞や表現を否定する評があったり、夜ヒットにブルーハーツがリンダ・リンダを演奏したときとは、すごいインパクトで事件だったとか、記憶を追うといろいろ思い出す。
ちなみに、うちの姉と母はBO∅WYのファンでした。

とにかく、いろんな人たちが大きなうねりのなかで、それはお祭りのような過渡期を思わせたような…、でもそれから何か結論づくわけではなく、気がつけば新しい世代の新しい音楽が上書きしていったように感じる。

…なんかここまで書いてきて思うのが、昨今のLGBTシーンに似てません?!
いまも昔も、未来も、人間自体はそう変わらないのかもしれないなと。

つい世の中をひとまとめに、かつ今だけを見てしまうけれど…当時、バンドブームといっても、それ以前から音楽のムーブメントは連綿とあったし、いわゆるバンドだけじゃなく、本当にいろんな音楽や人たちが、(思い返してみると)いたし、いまも活動していたりする。
と、なんで、こんなことを書いているかというと、最近とある方々と、PSY・Sやdip in the poolの話題で盛り上がったからでした(この詳細はまた後日)。

つい当時のバンドブーム事情を書いていますが、そこから10代後半にかけて、わたしの場合、一世代上の音楽に興味を持つようになって、矢野顕子に辿り着いたわけです。
いきなり一曲目"これでいいのだ〜"で始まるアルバム「LOVE LIFE」1991年(この一曲目「BAKABON」にコーラス参加しているのは鈴木祥子です)からリアルタイムでCDを買い、次の弾き語りのアルバム「Super Folk Song」1992年 は、カルチャーショックといってもいいくらい大ハマリした。クラムボンの原田郁子さんが、フェイバリットのアルバムにこれをあげていた。

で、ここから10年後、矢野顕子のCDがきっかけで、私とりょーすけさんは出会ったのでした。

長くなったので、つづく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?