見出し画像

毎日note'19.11.5/孤独を愛したい

孤独であることと,人と繋がりたいという欲求は別にしたほうがいいのではないか。.

人は本来孤独で,それ自体はどうしょうもない.
このとき,人とつながる動機を孤独の埋め合わせとすると問題が生じる.
集団から別れたとき,一人でいるときの孤独が耐えられなくなる.
中毒的な承認欲求に繋がるし、直感的に不健全だと思う.
人は一人であるということを当たり前として飲み込んでおく.
孤独であることとは脇において,好きなものやエモいことを語らいとして人と繋がってみる.
孤独を飲み込んでおけば,感謝と尊敬につながると思う.

孤独を埋めるために繋がろうとすれば無理が出るし余裕はなくなり,相手に期待する.
期待が裏切られたとき,人は感情的にマイナスになり,悔しくて,尊敬を見失う.
その時,人はジョーカーに近づくのかもしれない。.

https://note.mu/tkrei/n/nee5545762f72

この考え方は「課題の分離」に似ている.
孤独であることは自分だけの問題だし、相手の孤独は相手だけの問題だ.
アドラーの視座には賛同したい.
自分と他人に対する境界を超えた期待が,「本来ならこうだ」という思いを押し付け合い,同調圧力を生じていると思う.
この圧力を超えるには一歩引いて,自身の孤独を自身のみに向けて,そのことを前提に相手とつながったらいいのではないか?
君の目の前の彼/彼女も同じ孤独を抱えている。
本人の自覚はなくても,人という生き物の構造は皆同様だから.
孤独を持つ者同士なら,共感と尊敬を持てるのでないか.
相手が孤独を自覚していなくて,ただ承認欲求という期待にまみれていても,いやだからこそ,その痛みを持つ同士として,共感と尊敬に向けたらいいのではないかな.

こんなふうに思っても人は忘れるものだから,初めに自戒と言った.
これは自分に向けた文章だ.
人のせいにすることで現状を悲観的に捉える癖を戒めたい.

「お前がこういった」「お前がこうした」「だから、今の俺はこうなんだ。」
この思いは結局自分の自由を相手に明け渡していることになる.

ジョーカーとか無敵の人とか,社会の闇のような暗い話題に触れたとき,こんなふうに自戒を思い返す.

交錯する人間関係の感情の中で,停滞せず,孤独を愛したい.
そこで生まれる内発性こそが自己を満足させると思いながら.


#毎日note #エッセイ #散文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?