見出し画像

読書感想文が嫌いなあなたへ

昔から読書感想文を書くのが苦手だった。

でも、文章自体を書くのが嫌いな子供ではなかった。むしろ自治体など作文コンクールで入賞することもしばしば。作文に関しては少しだけ腕に自信があった。

それがどういうわけか、読書の感想となると途端に書けなくなっていた。どうしても文章が出てこない。挙句の果てに、物語をそのまま書いて、「そのときぼくはこうおもいました」という展開しか書けない。そもそも感想が思いつかない。そう、何も書くことがないのだ。400字詰め原稿で2ページ程度の課題でも1週間くらい掛かっていたという貧弱ぶり。

かろうじて書き出した感想文は、巻末にあるあとがきや書評のパクリということも多かった。1番ダメなパターンだ。小学2年生の時分には、隣の女の子の発表を聞いて衝撃を受けたもんだ。どうしてこんな感想を持てるのだろうとーー。

それくらい読書感想文が苦手な子供だった。

感想文をうまく書くための工夫も色々と試してみた。まずは本選び。小学生のころは何冊も読み、その中で一番面白いと思った作品を題材に扱った。時間の掛かる作業だ。いま思い出すと、「大どろぼうホッツェンプロッツ」シリーズなんかが印象に残っている。その際の感想は…「おもしろかったです」。ものすごいバカ。

そして中学生になり、もっと文学性の高いものを選ぼうとした。それならば書くことも増えるだろう。カフカ(Franz Kafka)の「変身」を選ぶ。感想は、「意味が分かりませんでした」。

高校生。ストーリーはもういい。基本からやり直そう。「宝島(Robert Louis Balfour Stevenson著)」だ。感想…「冒険やってるみたいだけどつまらなかった」(ごめんなさい。いまなら切腹する)。

もうどうしようもない。

読書感想文嫌いは、次第に物語小説から私を遠ざけ、最後は物語を活字で読まなくなっていった。自分が読む一番文字の多い本は、とうとうジャンプになった。私にいまでも読書の習慣がないのはそのためだ。

そんな学生時代を過ごしたが、高校生以降はこのトラウマを克服したいと思い、自分でできる努力を続けていた。まあ、大学生にもなって書評も書けなければ論文も書けないわけで、それはそれで致命的になるからっていうのもある。

まずは自分が入りやすい映画や新書の感想文を書いて自習するようになった。映画の感想はなんとか書けた。尊敬する淀川長治先生のように、監督や脚本、俳優、演出など多角的に捉えて語るとよく書けた。新書だと「自分ならこう考える」という視点を大事に文章は構成した。

おかげさまで現在は、あの時なぜ書けなかったのかどうにか分かるくらいにはなった。要するに、自分を投影して感情移入や社会的背景などを考察できなかったということだ。そう考察だ。

感想文を書く上でのテクニックは諸処あるだろうが、この考察を抜きにして感想文は成り立たない。それが徹底的に足りなかった。つまり考えながら読んでいないという(笑)。どうりで何も浮かんでこないわけだ。

今では、文章力はともかくとして読後の感想を人に伝えるのはうまくなったと思っている。一応、金もらって文章書いているし…。それも苦手で終わらせず体系的に考えたせいかもしれない。その原理原則は簡単なものだった。しかし、その仕組みを伝えるのは難しい。

読書感想文、その楽しさを含めちゃんと指導してくれる先生がいてくれたらなあ…。少しは読書を楽しめる人間に育っていたかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?