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13の夏、携帯を開いた。

大抵の文章はスマホで書く。小説も、日記も、卒論も、履歴書の自己PRもスマホひとつで書いてきた。私の文章はほとんどが親指で出来ている。

スマホで書くことはとにかく気軽だ。どこでも書ける。思いついたことがあればパパッとメモ出来てしまう。文字だけで整理出来る内容であれば、構想から清書まですべてスマホ一台で完結させる。

スマホの前、ガラケーでもとにかく文章を書きまくっていた。私の入力速度に、友人が驚いていた記憶もある。

そうとはいえ、スマホやガラケー、つまり携帯を手に入れた瞬間からひたすら書いていたわけではない。むしろ最初はこんな行動思いつきもしなかった。

携帯はあくまで携帯。人と連絡をとったり、ときどき写真を撮るものだ。物語をつむぐ道具はもっぱら作文用紙とシャープペンシルだった。

携帯で打った文章はフランクかつごく個人的だ。見せる相手が限られている。間違っても誰かから評価を受けるようなものではない。

評価をもらえるのは、作文用紙に書いたものだけ。学校へ提出した読書感想文も作文用紙に書いていたし。

しかし、そんな考えに衝撃を与える出来事が2006年に起きた。


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そう。あの『恋空』が発売されたのだ。

『恋空〜切ナイ恋物語〜』

携帯小説関連サイトの中では伝説的存在である「魔法のiらんど」にて作者・美嘉さんが実話を元に書いたとされる恋愛小説。はちゃめちゃに売れて映画にもなった。今話題のガッキーが主演だ!
(©️2006 美嘉/スターツ出版)


お行儀よく青い鳥文庫や世界の名画のような本を好んでいた私に、この作品は衝撃的だった。友人が貸してくれたのだが、開いて早々から驚かされた。

『恋空』は、それはそれは自由な本だった。

横書きのレイアウトも文章の書き方も、今まで見たことがないものだ。序盤から音符マークが二つ並んでついているところにはクラッときた。このクラッとは、「本当にいいのか?」という気持ちが半分で、もう半分は「これもいいんだ!」という気持ちである。

『恋空』を皮切りに私は夢中になって携帯小説を読み漁った。その頃の私は中学生。部活もやっていなかったので本当に携帯小説漬けだった。

あらかじめ言っておくと、中学生には刺激的な内容が好きだったわけではない。いや、そこもまあ気になりましたけどね!?

それより、あの小説と呼ぶには未知の、めちゃくちゃな感じを気に入っていたのだ。メールみたいな文章。記号が当然のように挿入される。ピンクや水色の、読む人間には不親切なかわいい文字達。魔法のiらんど内を検索し、毎日あらゆるものを読んだ。

私は携帯小説が好きだった。なんの縛りもなかったからだ。自由で、親しみのある存在。見つめるだけだった「小説」が、私のずっと近くにある。

「私も書ける、私も書きたい!」そう思うまでに時間はいらなかった。

中学一年生の私は、手汗を滲ませながら夢中で携帯に文字を打った。夏休みの1ヶ月、毎日コツコツ書き続けた。エアコンのついていない部屋で携帯はかなり熱くなって、そのたびに十円玉で冷やした。冷やしては書いて、冷やしては書いて、ときどき汗が目に入って痛かった。

そうしてはじめて完成させた小説は、1ページ200文字くらいがだいたい150ページほど。拙い文章だったけれど、量も内容も自分なりに満足はした。今読んだらきっと「クラッ」としてしまうのですが……。

書き終わった瞬間は本当に嬉しかったのでよく覚えている。内容よりも、ひとつの創作物を完成させた達成感の方が記憶に刻み込まれた。漫画を描いても終わらせられなかった私だ。ノートにあるのはキャラクター設定のみ。頭の中では完璧な話が出来ているつもりだったが、この世のどこにもそれはなかった。私が書かなかったから。

曲がりなりにも「物語」をきちんと完結させたのはそれがはじめてだった。嬉しくて、ほとんど自分だけが読者のその物語を何度も読み返した。加筆修正も繰り返した。今思うととても真摯に自分の書いたものに向き合っていたと思う。

今でも文章を書いているのは間違いなくその経験のおかげだ。『恋空』、ひいては携帯小説というものは、自分にとって物を書くという行為を語る上で外せない本である。

この文章もスマホで書いた。最近はタッチタイピングが出来るようになったのでキーボードも使うのだが、寝転がっても作業出来るのでやっぱりスマホで書いてしまうことが多い。

あの頃はまだ新しかったことだけれど、今では携帯で物を書く行為がずっと当たり前になったと思う。私のように寝転がり、スマホで文章を書いている人がこれを読んでいる中にもいるかもしれない。

あの頃読んだ携帯小説は、私や誰かの「今」を作っているのだと思う。


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