【36/100】「都会の庭」がバえるワケ
久しぶりの飲み会に、何とも言えない感情が沸き上がってきているぐっさんです。
明日は急遽、香川に行くことになりました。
めっちゃタノシミです。
というわけで今回は、以前の続きとなります。
「『都会の庭』がバえるワケ」について書いていきます。
余白と無駄
都会って、庭作る~とか屋上緑化~とかやりがちやと思うんですけど、地方にとっての「緑」って割とありふれたことですよね。
確かに、あの高層ビル群の中に緑が生える場所って、ギャップがあっていいよなあと思うのです。
ただ、本質はそこじゃないよなあと思い始めたのが前澤ファンド。
正直、こんな話はクソくだらんし、しょーもないんですけど、言いたい、言わせてほしい。(笑)
本質は、庭とか緑化よりも「余白と無駄」かなと。
都会ってありとあらゆるものの効率化を図った最先端だと思ってるんですけど、そこには「余白としての無駄」あるいは「無駄に見える余白」が無いんじゃないかと。
庭ってある種、「余白」ですよね。
余白や無駄がほとんどない都会には、それこそ余白としての庭が求められてるってのは納得できる。
それを考えると、ミニマリストの方ってすげえなって思うのが、彼らは日常の中の無駄を省いて余白を手に入れようとしているんじゃないか、、、??と。
自分でも何言ってるかわからなくなってきたのですが、そういうことを考えると面白いなあって思いますね。
地方における余白や無駄は認識されていない
で、おそらく「庭」や「公園」が当たり前にある地方には、余白や無駄があり過ぎて、認識しきれていないんじゃないかと思うんですね。
ただ、やはり「場所」ってのはすごく重要なものだと思っていて、前澤ファンドでもそこを考えた結果、「やっぱ場所だよね」となった。
そこを認識しようって取り組み、、、かな。
ざっくりやけど、こんな感じです。(笑)
では!
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