黄金の契り
朝日が差し込む高層マンションの一室で、
林田美紀は大きな溜息をついた。
28歳になる彼女は、外資系化粧品会社の
中間管理職として忙しい日々を送っていた。
しかし、そんな彼女の人生にかかわる話題が、
今朝の新聞の一面を飾っていた。
「老舗バナナ輸入商『黄金フルーツ』、後継者不在で廃業の危機」
美紀は記事を読みながら、額に深いしわを刻んだ。
黄金フルーツは、彼女の祖父が創業した会社だった。
しかし、父親の代で経営が傾き、美紀が幼い頃に他界してしまった。
その後、叔父が会社を引き継いだものの、
後継者がいないまま高齢化し、ついに廃業を考えているという。
美紀は幼い頃から、祖父の話を聞いて育った。
バナナへの情熱、そして世界中の農園を巡って
最高品質のバナナを日本に届けるという使命感。
それらは美紀の心の中で、かすかな憧れとなって残っていた。
しかし、現実は厳しい。
彼女には会社を継ぐ知識も経験もない。
そして結婚している訳でもなく、安定した家庭を持っている訳でもない。
そんな折、彼女の携帯電話が鳴った。
画面に表示された名前を見て、美紀は驚いた。
「磯貝健太?」
彼女が高校時代に付き合っていた元カレだった。
「久しぶりだね、美紀」
カフェで再会した健太は、変わらない爽やかな笑顔で美紀を見つめた。
「君の実家のことは聞いたよ。実は僕に提案があるんだ。聞いてほしい。」
健太は真剣な表情で切り出した。
彼は今、大手商社でバナナの輸入事業を担当しているという。
そして、黄金フルーツの窮状を知り、
会社の再建に協力したいと考えているのだった。
「でも、それには条件がある」
健太は少し言いよどんだ。
「君と僕が、契約結婚をすることだ」
美紀は驚いて目を丸くした。
健太は慌てて説明を続けた。
「聞いてくれ。僕の会社では、
家族経営の伝統ある企業との取引を重視しているんだ。
特に、若い世代による事業承継には、追加の支援制度がある。
だから、僕たちが結婚すれば、
黄金フルーツの再建に必要な資金や人材を優先的に確保できるんだ」
美紀は複雑な思いに包まれた。
確かに、健太との再会は運命的なものを感じる。
しかし、契約結婚という形でよいのだろうか。
「でも、それって…詐欺まがいのことじゃない?」
美紀は躊躇いながら尋ねた。
健太は首を振った。
「いや、僕たちは本当に結婚するんだ。法的にも、社会的にも夫婦になる。
ただ、お互いの気持ちを強制しないだけさ」
彼は続けた。
「期間は2年。その間に黄金フルーツを軌道に乗せる。
そして、2年後、お互いに本当の気持ちを確認して、
続けるか別れるか決めよう」
美紀はまだ躊躇っていた。
健太は彼女の手を取り、真剣な眼差しで語りかけた。
「美紀、君には経営の才能がある。それに、バナナへの情熱もある。
僕には、業界のネットワークがある。力を合わせれば、きっと成功できる」
彼の言葉に、美紀の心が揺れた。家業を守りたい。
でも、自分に本当にその力があるのだろうか。
「考える時間をください」
美紀はそう告げ、その日は別れた。
翌週、美紀は弁護士に相談した。
契約結婚の法的リスクや、万が一の場合の対処法について詳しく聞いた。
そして、叔父や親族とも長い時間話し合った。
悩みぬいた末、美紀は健太の提案を受け入れることを決意した。
家業を守るために。
そして自分の新たな挑戦のために。
契約書にサインをする日、美紀と健太は互いの目を見つめ合った。
「お互い、精一杯頑張りましょう」
美紀がそう言うと、健太は静かにうなずいた。
こうして、二人の奇妙な同居生活が始まった。
最初は気まずい空気が漂っていたが、徐々に打ち解けていった。
朝は一緒に出勤の準備をし、夜は黄金フルーツの再建計画を語り合う。
休日には、バナナ農園を視察に行ったり、
料理教室でバナナを使った新レシピを学んだりした。
表向きは夫婦として振る舞いながら、
実際はビジネスパートナーのような関係。
しかし、時間が経つにつれ、お互いの長所や短所、
そして情熱や夢を知るようになっていった。
ある夜、残業で遅くなった美紀が帰宅すると、
健太が夕食を用意して待っていた。
「疲れてるだろ。食べてゆっくり休んで」
その何気ない優しさに、美咲は胸が熱くなるのを感じた。
仕事以外の時間も、二人は徐々に打ち解けていった。
休日には映画を見に行ったり、近所を散歩したりするようになった。
そんな中で、お互いの新しい一面を発見し、
心の距離が縮まっていくのを感じていた。
半年が過ぎ、黄金フルーツは少しずつ活気を取り戻していった。
美紀は持ち前の経営センスを発揮し、健太のサポートを得ながら、
新しいマーケティング戦略を展開した。
特に、バナナの新品種「ゴールデン・サンシャイン」の開発に力を入れた。
しかし、ある日、思わぬ事態が起こる。
「美紀、大変だ!」
健太が慌てた様子で事務所に駆け込んできた。彼の手には一本のバナナが握られていた。
「これを見てくれ」
そのバナナには、不自然な模様が浮かび上がっていた。
よく見ると、それは文字のようだ。
「『R・E・A・L』…?何これ?」美咲は首をかしげた。
健太は深刻な表情で説明を始めた。
このバナナは、開発中の新品種「ゴールデン・サンシャイン」だった。
どういうわけか、皮に文字が浮かび上がるという現象が起きているのだ。
二人は慌てて専門家に相談した。
やがて、衝撃の事実が明らかになった。
このバナナには、遺伝子組み換え技術が使われていた。
特定の環境下におくと、
文字を浮かび上がらせる仕組みが組み込まれているというのだ。
「でも、私たちはそんな技術は使っていない…」
美紀は困惑した。
やがて、彼女の脳裏に一つの疑問が浮かんだ。
「もしかして、これって…」
彼女は急いで倉庫に向かった。
そこには、祖父の遺品が保管されていたのだ。
埃まみれの箱の中から、一冊の古びたノートが見つかった。
それは美紀の祖父が残した研究日記だった。
ページをめくると、そこには驚くべき記述があった。
祖父は若い頃、バナナの品種改良の研究をしていた。
そして、ある日、偶然にも遺伝子の一部を操作することで、
バナナの皮に文字を浮かび上がらせる技術を発見したのだ。
しかし、その技術があまりに革新的すぎたため、
祖父は世に出すことを躊躇った。
その秘密を胸に秘めたまま、
通常のバナナ輸入業に専念することにしたのだった。
美紀は震える手でノートを健太に見せた。
「これが、『ゴールデン・サンシャイン』の秘密だったのね」
健太は驚きの表情を浮かべながら、ノートに目を通した。
「驚いたな。でも、これは大きなチャンスかもしれない」
彼は興奮気味に語り始めた。この技術を応用すれば、
バナナに様々なメッセージを込めることができる。
例えば、生産者からの感謝の言葉や、環境保護のメッセージ。
それは、単なる果物以上の付加価値を生み出す可能性があったのだ。
美紀と健太は、この発見を機に、さらに事業拡大の計画を練り始めた。
その過程で二人の関係にも変化が訪れる。
契約結婚から始まった二人の関係は、
次第に本物の愛情へと変わっていった。
バナナへの情熱を共有し、困難を乗り越えてきたからこそ、
お互いの大切さに気づいたのだ。
ある日の夕暮れ時。
健太は特別な「ゴールデン・サンシャイン」を美紀に渡した。
そのバナナの皮には、文字が浮かび上がっていた。
『MARRY ME, FOR REAL』
美紀は涙を浮かべて、満面の笑みでうなずいた。
バナナに導かれた二人の物語は、新たな章へと歩み出していった。
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