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3.11🌏️命懸けで仕事してくれてた大人たち

3.11

遅くなりましたが。

あれから12年も経ったんですね。

当時私は高校生で卒業式間近でしたかな。

家にいて韓国ドラマを視てたら、急に大きな揺れを感じました。

あのような大きくて長時間揺れが続いた地震は初めてで、地震の迫力に圧倒されて驚くことしかできませんでした。

停電でテレビも突然消えて、この日に限って携帯の充電も力尽きて、連絡手段もなくなり、外部からの情報も遮断されてしまいました。

冷え込んでた日だったので、毛布にくるまって暖をとり、学校から帰ってきた弟と両親の帰りをひたすら待ち続けていました。

当時の私はあの大地震が日本中にどれだけ大きい影響を与えていたかはすぐには分かっていませんでした。

後にあの大地震の恐ろしさを知ることになり、驚愕しました。

10代の私にはなにもできることはなく、ただただ予期せぬ自然災害の恐ろしさに震えて、少しでも多くの方々の命が助かりますようにと願うことしかできなかったです。

そのようなことばかり願ってた当時印象的だったのはサンドウィッチマンのおふたりです。

大地震発生時、おふたりはロケで偶然にも気仙沼市を訪れていたそうです。

被災に遭いながらも、山上から被災地の現状を動画撮影し、動画をSNSにあげることで、地震によって起こった津波の凄まじさを私たちに伝えてくれてました。

私もそのときの動画をみた覚えがあります。

余震が続いて未だ安心できないなか、命懸けで現状を私たちに届けてくれたこと。

おふたりのプロ意識に感服です。

サンドウィッチマンのおふたり以外にも、当時自分のことよりも、日本を助けようと必死で働き続けてくれた大人たちがいたことを忘れてはなりません。

被災地の姿を少しでも鮮明に伝えようと現場に入ってた報道陣の方々や、少しでも多くの方々の命を救おうと救助にまわってくださったレスキュー隊の方々など。

もしかしたら、私は一生被災地の現状を知ることができなかったかもしれませんし、もっと多くの方々の命が失われてたかもしれません。

私たちのために、未来のために、当時多くの方々が命懸けで仕事してくれてたことは生涯忘れてはいけません。

あの当時を振り返って、私もこのような方々のように、命懸けで人のために生きることできてるのでしょうか。

当時命懸けで働いてくれていた大人たちの足元にも及びませんが、少しでも誰かに勇気や笑顔を与える存在になっていることを願います。

今生きてることに感謝を抱きながら、1日1日を噛み締めて大切に過ごしていこうと改めて決めたそんな2023年3月11日でした。

たくさんの人に感謝と愛情を込めて。

以上です。

竹中



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