奥深い世界の理(システム)に惹かれるようになった理由(ワケ)

「十二国記」シリーズを読んでいる。

去年このシリーズに手を出したのは書店員としてのちょっとした興味からだったが、その完璧に構築された世界観に舌を巻き、今ではすっかりシリーズのファンだ。

もともとファンタジーも好きだし、しっかりとした理論に則った異世界の方が性に合っているが、この傾向を強化したゲームがある。

耕さんが開発したフリーゲーム「巡り廻る。」だ。

最も新しいバージョンはプレイできていないが、まだ学生だった数年前に初めて出会い、その世界観に引き込まれて長く遊んだ。

「巡り廻る。」を知らない方には、ファンタジー世界を冒険するゲームと思っていただければよいのだが、その特徴は「プレイヤーキャラは必ずしも世界を覆う闇の元凶を討たなくてもいい、世界は勝手に廻っていく」ということだけに留まらない。

人々が住まう三国(三大陸)とその中央に位置する町のない陸地、これらが世界を構成する主な土地で(「十二国記」の地図と近いものがあるかもしれない)、プレイヤーキャラは周囲の三国を巡り歩くのが基本となる。

一箇所に留まって魔物を狩ると、魔物がどんどん強くなって手に負えなくなってしまうし、行商をするなら安くで仕入れたものを他国に輸出するのが効率が良い。

また、闇に覆われた世界に光をもたらすこともできるが、それはプレイヤーキャラだけに与えられた特権ではなく、何もせずとも他の”勇気ある者”が闇を討ってくれる。

ただし、光の時代の後にはまた闇の時代が到来する。

時代は光と闇を繰り返すのだ。

「巡り廻る。」とはこれらを総括したタイトルだと言える。

精緻に作り込まれたこれらのゲームシステムはさることながら、それが物語の世界観を壊さないように織り込まれていることには驚嘆させられる。

しかし、さらに驚くべきことがある。

それは、光をもたらすための旅を自ら経験すると明らかになる、この世界の条理である。

なぜ光と闇を繰り返すのか、その度に闇がより強大になる(レベルが上がり強くなる)のはなぜか、そういったことに答えらしきものが提示されていき、世界の根幹の”システム”があらわになる。

「十二国記」の世界でも、天帝が定めた太綱に従って各国を王が治める、その王は麒麟によって選ばれるなど、世界は”理(ことわり)”によって動いている。

あまりにも壮大な”世界”を創造する作者方には敬服する限りである。

私も自分の創作世界を一つ持っているが、このような域にはとても及ばない。

しかし、「巡り廻る。」を遊んだことで世界観の深め方の道を一つ発見することができたのは、私の創作活動の中でも大きかったと言えよう。

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