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ステークホルダー資本主義の本当の意味

「ステークホルダー資本主義」という言葉をご存知でしょうか。

これは2020年のダボス会議で提唱された、
これから目指すべき新しい資本主義の形の一例です。

ダボス会議っていうのは、
世界中の財界のトップが集まってこれからの経済について話し合う
「世界経済フォーラム」という組織がありまして、
そこが毎年1月に開催している年次総会です。
2021年はコロナ禍で開催されていませんが、
2020年の1月はまだコロナ禍が始まる寸前でギリギリセーフでした。

そこで創設者のクラウス・シュワブ氏から
驚くべき提言がなされたんですね。

それは「株主第一の資本主義は終わった」という内容でした。

財界のエリートたちが集まる場での提言だけに、
ものすごく大きな意味があります。
そして、資本主義が向かうべき「次の形」として、
ステークホルダー資本主義が提唱されたというわけです。

ステークホルダーってなんでしょうね。
ビジネスの世界では「利害関係者」のような意味で
使われることが多いです。
その件に関係のある人、すべて、ということですね。

でも、この場合のステークホルダーの意味は、
商売上の利害関係者という限定的な意味ではなくて、
株主だけでなく、社員、顧客だけでもなく、
この社会全体、地球全体、人類以外の生き物までもを含めて、
我々人類の経済活動に影響が及ぶすべての存在に対して、
つまり「全方位」を第一にした資本主義、という意味なんですね。

これまでの資本主義が株主の利益を第一に考えたものなわけですから、
これはものすごく大きな変化です。

このステークホルダー資本主義という言葉が飛び出したとき、
一部、日本の専門家からはこんな声が上がりました。

そもそも日本では「三方良し」という商習慣を表した言葉がある。
これは「つくった人、売る人、買う人」みんなにとって良い商売の仕方、
という意味で、これこそまさにステークホルダー資本主義だと。

また、そこに「環境」を加えて「四方良し」にすればいいのだ、と。

私はその考えにはちょっと違和感を持っています。
ステークホルダー資本主義という言葉が持つ本当の意味は、
もっと深いのでは?と感じているからです。

そもそも「資本主義」とはどんな定義でしょうか。

いろいろあると思いますが、
資本が市場での経済活動を通じて利益を生み出す経済スタイルです。

ちょっとややこしいですね。
少し噛み砕きましょう。

資本家という人がまとまったお金を元手に事業を起こし、
労働者や消費者が物の売り買いをすることで利益が生まれ、
それが資本家へと還元されるという仕組みです。

資本主義をいちばん象徴する存在として
銀行がありますので、銀行を例にとってみましょう。

銀行がどのように利益を出しているか、皆さんご存知ですよね?

そうです。企業や個人に対してお金を貸して、
返してもらうときに利息をつけてもらうわけですね。
その利息部分が銀行の稼ぎです。

お金を貸す、つまりレンタルするわけですから、
レンタルビデオに例えてみましょう。
(レンタルビデオももう古いですが・・・)

お客さんにビデオを貸して、
返してもらうときに代金を支払ってもらう、ということです。
実際にレンタルビデオは返す時ではなく、
借りる段階で代金を支払いますが、銀行は返すときに支払いますね。

お金を貸してあげた代金を「利子」という形で支払ってもらうわけです。
35年の住宅ローンなんかだと、
トータルでは貸した金額の倍の金額を支払うことになるそうです。

2000万円を35年ローンで借りたら、総額4000万円支払うってことです。
で、そのうちの2000万円分が銀行の利益ということですね。

しかし、ここに違和感を感じて欲しいんですね。
利子がずるいとか、そういうことではありません。

銀行がやっていることを完全にレンタルビデオに当てはめると、
実はこうなるはずです。

レンタルビデオを35年間貸して、返すときに、
同じビデオをもう一本つけて返してください。

そういうことです。
けれど、その「もう一本のビデオ」って、
いったいどこから持ってくるのでしょうか?

もし世の中に存在するそのビデオの総本数が決まっている場合、
誰かの手からそのビデオを持ってこなければなりませんよね?

これと同じことを「お金」で起こさなければいけないのが、
資本主義なのです。

もう少し掘り下げてみましょう。
この世の中に存在するお金というものは、
すべてが「誰かの借金」によって生まれています。

借金は返すときに利息をつけて返しますね。
その利息分のお金というのは、
いったいどこから生まれてきたのか?ということです。

それは経済活動によってかき集められたものなはずです。
(もちろん正当にです)

世の中に発行されたお金がすべて借金によるものであれば、
それらはすべてが「利息」を必要とするわけです。
しかし、利息分のお金もこの世に供給されたお金で賄われる以上、
そこに矛盾が生じますね?

これはつまり、誰かが泣かなければならない、ということなのです。
誰が泣き、どんな目にあって泣くのかは様々でしょうが、
そういうことなのです。

いま、「借金」ということで説明しましたが、
資本主義は、資本家が用意したお金で経済活動を行い、
元の資本以上のお金を利益として生み出すという仕組みなわけですから、
借金と利息の関係と、資本と利益の関係はほぼ同じですね?

誰かが利益を得ているということは、だれかが泣いているのです。
その泣いている人の存在を、
目につく場所の外側に置くことで、
つまり不都合を無視することで今までの資本主義は走り続けてきたのです。

理由は簡単です。
そうするしかないからです。

さて、ステークホルダー資本主義をもういちど見てみましょう。
資本主義経済のあらゆる利害関係者にとって良いものにする。
これはつまり、SDGsの基本理念である
「誰も取り残さない」と同義であると言えると思うんですね。

ステークホルダー資本主義=誰も取り残さない資本主義です。

ところが、資本主義そのものが、
弱者に負を負わせ、
それを見えない場所に押しやらなければ存在できない仕組みなわけです。
・・・ということは、ですね。

この自己矛盾を自ら解決するということは、
資本主義が、自ら崩壊して別のものへと変容するということを、
「ステークホルダー資本主義」は意味しているはずなんですね。

誰も取り残さない資本主義は存在しないし、
すべてのステークホルダーにとって良い資本主義は存在しません。
それはすでに「資本主義」ではないものなのです。

少なくとも「今までの資本主義」ではない。

それを、財界のエリートたちが言っていることに
本当に本当に大きな意味があるのです。

世界は変わっていく。そう確信できる理由の一つは、まさにそれです。
私は絵空事を言っているのではないのです。

こんな会話を想像してみてください。

A「この仕事、お金をかけずにやってくれないかな。お金がないんだ。」
B「え?ただでやれってことですか?」
A「ただでやれとは言ってない。お金をかけずにやって欲しいんだ。」
B「少しは予算があるんですね?」
A「いや、まったくない」
B「じゃぁ、ただでやれってことじゃないですか」
A「いや、ただでやれ、とは言ってない」

こんな意味のことが、現代の社会では横行していますよね。
確かに「ただでやれ」とは言葉では言っていない。口が裂けても言わない。
けれど実際の意味としては
「ただでやってくれ」と言っているのと同じことを要求する。

そんなことです。

口では明言していないけど、意味を解釈すると、
めちゃくちゃなことを要求している。
今のコロナ対策でも、このスタイルのことが溢れています。

「お金は出さない」
「じゃぁ、死ねってことですか?」
「いや死ねとは言ってない」
「では、お金なしに、どうやって生きろと?」
「・・・・とにかく、お金は出さない」

ね? なんか覚えがありますよね。

これって、やり方はわからないけど、
自分で考えて生きてくれってことなのでしょうが、
受けて側にとっては「死ね」と同義なんですよね。

こんなふうに、明言していないけれど、
意味を解釈すると明言しているのとほぼ同じだ、
ということがあるわけです。

ステークホルダー資本主義も、そういうことなんですね。

資本主義ではない、別の形のものに変えよう。
どんなものかは、今のところわからないけど。

それが現状での「ステークホルダー資本主義」の本当の意味なのですね。
三方良し資本主義とか、四方良し資本主義じゃないのです。

今はまだ資本主義社会に生きる人間たちに、
脱資本主義を要請している。
あえて言うなら、「資本主義じゃない、資本主義」なのです。

だからこそ、噛み締めるほどに意義深く、
人類社会の根本からの変化を促す言葉だと言えると私は思っています。

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