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『それで君の声はどこにあるんだ?』『会話を哲学する』

榎本空『それで君の声はどこにあるんだ?』(岩波書店)を読み始めて、思い浮かんだ曲がある。ピアニストのロバート・グラスパーが、ラッパーのコモンを迎えて2013年に発表した「I Stand alone」。その公式動画で、曲が始まる前にこんな言葉が並ぶ。「We stand alone...but We are not alone(私たちは一人で立つ。しかし私たちは独りではない)」と。

 本書は黒人神学の大家、ジェームス・H・コーンに学んだ著者による体験記だ。黒人神学とは、白人優越主義を内在してしまっているアメリカのキリスト教を、黒人の側から問い直す学問であり、400年以上続く黒人差別への抵抗であるブラック・ライブズ・マター運動を支える思想でもある。

 「黒人以外の人間が、黒人の背負ってきた苦しみや痛みを理解するのは難しい」。コーンがゼミの中で発した、寂しさと諦めを含んだ言葉。この越えがたい境界線の前で立ち止まり、日本人である自分がニューヨークで黒人神学を学ぶ意味を考え続ける著者の切実さに、引き寄せられる。そしてこの切実さは、本書で登場する先生や学生たちに共通している。

 読み終えて思い浮かんだ言葉は、「責任」。英語では「responsibility」で、分解すると「response」と「ability」で「応答・可能性」となる。

 「君の声はどこにあるんだ?」と問われても、稚拙な言葉しか出てこないかもしれないし、押し黙ってしまうかもしれない。でもそれらは、多くの可能性の中から差し出された応答であり、相手の問いかけへの責任を少しだけ果たしていることになるはずだ。

 三木那由他『会話を哲学する』(光文社新書)は、会話という行動を、コミュニケーション(発言を通じて話し手と聞き手の間で約束事を構築していく営み)とマニピュレーション(発言を通じて話し手が聞き手の心理や行動を操ろうとする営み)と捉え、具体的な作品(小説・コミック・映画)を読み解いていく。

 例えば『うる星やつら』(小学館)の最終回。結局一度も「好きだ」と言わなかった主人公あたるに、ラムが「一生かけていわせてみせるっちゃ。」と言い、あたるは「いまわの際にいってやる。」と返し、結局言わずじまい。しかし実は「お互い一生一緒にいると思っている」という約束事が、すでに成立していることが分かる仕掛けになっているのだ。

 こんな風にフィクションの優れた仕掛けとなる一方で、コミュニケーションとマニピュレーションとの違いを悪用して、差別的・パワハラ的言動が行われていることも指摘する。「そんなつもりで言ったんじゃない」と相手に責任を押し付ける、よく見るやり方だ。

中年男性というマジョリティーである自分への戒めとしておこう。

 ちなみに「応答」の「response」は、語源をたどると「誓い/約束を返す」になるという。会話はいつも少し難しく、少し楽しい。

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