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新国立劇場でオペラ「コジ・ファン・トゥッテ」

コジ・ファン・トゥッテとは「女は皆そうしたもの」という意味だそうだ。
貞淑な女、一途な女なんて存在しない、女は本質的に浮気者だという、モーツァルトの人間洞察に基づく言葉なのだろう。

いささか、女性に厳しく、今のご時世では批判が起きそうなタイトルであり、内容でもある。
とはいえ、男が浮気者であるか否かは、この作品では試される場面がない。そうした場面がないこと自体が女性への一方的厳しさとして捉えることもできるだろうが。

そうした可能性を呈してか、プログラムでの記事には、この「女は皆そうしたもの」を「(男を含めて)人とは皆そうしたもの」として読み替える提起が行われていた。

そう言う提起にも違和感のある向きもあるだろうが、さらに敷衍して「人の感情とは流動し、変化するものだ、固定したものとして期待することは大きな失敗を生み出す」とすれば、いかがだろう。

ま、作品「コジ・ファン・トゥッテ」とは詰まるところ、行く川の流れは絶えずして、もとの川にあらずという鴨長明「方丈記」ということなのかもしれない。

さて、今回の新国立劇場のコジ・ファン・トゥッテの演出はダミアーノ・ミキエレット。舞台を10年ほど前のキャンプ場に置くという面白い設定。
舞台美術としては回り舞台を積極的に活用して、キャンプ場を具体的に作り込んでいる。衣裳もキャンパーやバイク野郎が忠実に模されている。

しかし、結果として具体的に「着きすぎて」いて、想像力の余地がない。私にとっては、想像力への羽を持った作品に惹かれることもあり、単なるお芝居に堕してしまったようにも見える。

また、原作では最後に2組のカップルは再び元の鞘に戻って結婚式をあげるんだと思うが、この舞台では破局して終わったのだろうか。
確かに、ここまでの状況で幸せに元の鞘に収まるとはいささか信じ難いと思われるので、元の鞘に収まらないという展開は論理的ではあるとおもう。

しかしながら、敢えて「自然な流れ」から逸脱することが、ここでも想像力を羽ばたかせるのではないか。全体として理に落ちた演出という印象を受けた。まあ、素人の意見である。

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