コンフォートゾーンとレタスチャーハンの話

土曜日にレタスチャーハンを作った。
色々と思うところがあり、意を決して料理を習慣づけることにした。まずは週末に昼ごはんを作ることに挑戦。

初めて自分以外の誰かのために作ったレタスチャーハン。
妻曰く"40点”とのこと。初めてにしてはまずまずといったところか。台所に自分が立って妻にご飯を振舞ったことで、35点は取れているはずだ。出来は良くないけど、どことなく「またリベンジしてみたい」と思った。


料理は自分からは手を出そうとしなかった領域だった。
妻が料理が得意なので、どことなく手が出しにくかったこともあったと思う。しかしながら、今は自分以外の誰かが築いてくれた環境に甘えていたことを痛感している。仕事も家庭でも何事においても言えること。

きっかけは色々とあるのだが、その内の1つがたまたま視聴したoishi haruさんのVoicy。
妻が築いた土壌にフリーライドしている旦那や組織、そしてそれらを生み出す社会構造に問題がある」と話していて、自分もそういった社会に見事に染まって揉まれてしまっているのだなと、不意に痛いところを突かれるというか、刺さるような感覚だった。


ここ最近の自分は家事や育児、仕事にどことなく一生懸命頑張った気になっていて、妙な居心地の良さを感じていたのかもしれない。コンフォートゾーンと呼ばれるものだ。仕事も育児も家事も、何か1つでも妥協の気持ちが入ると、それは一気に牙を剥いて自分を蝕んでくるのだろう。

「自分にできることを精一杯やろう」
そう思うことで出来ない自分に言い訳をしていた。どこか甘えと恐れがあったし、目の前の困難や課題から逃げていた。

何となくうまく乗り切ろうとするから、歪みが生じる。仕事も家事も育児も失敗を恐れずに行動することが大事なのだと、ようやく腹落ちして気づけたような気がして、今はどことなく気持ちが晴れやかだ。

ちなみに来週はパスタにでも挑戦してみようと思う。せめて、妻から”45点”くらいは点をもらえるように頑張りたい。