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オンライン授業の先に起こること

【オンライン授業の先に起こること。深刻な平等の履き違えとは何か?】

オンライン卒業式が終わったら、今度は、オンライン授業が始まるよう活動しています。

でも、もし、そのオンライン授業が、先生のペースで、先生と教科書の中心に進められるとしたら、、、耐えられるのは、よほど従順な子ども、大人にとって都合の「よい子」なんだと思う。

学びって遊びへの熱中で生まれるから、教えることじゃない。遊びとその探求が生まれる雑談のような自由でカオスな場がどれだけオンラインで用意できるか。

親や先生が、何をやっているのか分からない!ようなところに学びってあると思う、それくらいマニアックになっていく。
先生が親が学びを管理!?
違うよ、先生や親は必死に理解しようとするだけでいいよ。

●オンライン授業の先に起こること

さておき、もしYouTubeを見るような授業や、YouTubeでの授業配信が始まったら、学校じゃなくて、東進衛生予備校などのビデオ授業でいいと思う。
そして、それを耐えられるなら家で見てたらいい。

でもね、不登校だった子どもは、確実にこんな一方通行の授業には耐えられないと思うよ。

今まで不登校したいけど我慢してきた子どもだって、おそらく耐えられない。

進学校で体育教官室で先生に殴られても、僕は学校には毎日行ったよ。でも、ずっと学校では寝てたよ、部活以外と休み時間の時間はずっと。

●オンライン授業で昼寝をする権利が重要だ

だからさ、授業中のお昼寝が教室では許されていたが、オンライン授業だとちゃんと寝かせてもらえるのか心配でならない。もしかしら保護者が起きなさいって!言うんじゃないの。

寝てしまうようなものは寝かせてあげてほしい。

「この授業、あなたは本当に心の底から必要としていますか?」
そんな問いかけもなく、イエスもノーもなく、椅子に座らせて、授業を受けさせる。

そうやって学習性無力感を高める。そういうのを心理学で勉強してきました。
あなたにはどうすることもできないんだと何度も小さいうちに経験させて、無力だと自覚させるの。
すると電気ショックを与えても逃げなくなるの。

学習性無力感というのは、身体は生きているけど、ほぼ死んでるのと同じ状態。

こんな授業をすることをすることで、自己肯定感はさがるし、自分の意見を主張するなんて馬鹿らしいと感じさせる。主体性を消し去り、他責の人間を生み出していく。

●オンライン授業で寝てしまう子どものために

だから、今度はオンライン授業が詰まらないと感じる子どもに学校を使えるようにさせてもらいたい。多数の先生のペースに合わせられる子は家で授業受ければいい。すると学校の教室は今までより少人数でいける。

●本当に重要なこと

オンライン授業を平等に受けられるようにしなきゃという。。

でも、ほんとに重要なのは、平等な環境じゃない。

みんな同じじゃないんだよ。みんな興味もスタイルも身体も違うんだよ。だから、全員オンラインとかじゃないんだよ。いろんな学び方を許容していく、これがほんとの平等なんだよ。

全部理解しようとすること、全部認めようとすること、これが本当の平等だし、本当の民主主義だと思う。

●本来の民主主義へのアップデートが始まる

そういう社会は、中央集権では作れない。
一人ひとりが自律分散的になり、タテ・ヨコ・ナナメの志や気持ちや興味でつながったり、はなれたり、自由に動ける社会だ。
企業対生活者じゃない、生活者と生活者の取引だ。CtoCというシェアリングエコノミーであり、ギグエコノミーだ。

実際、株式会社ガイアックス - Gaiax co.ltd. は、そんな組織になってきて、何が何だかわからない。
これは会社が行ったことではなく、一人ひとりの情熱を大切にしたほうがリターンが高いという合理的判断で、自然に起こったことだ。

●研究で明らかになった「絆」の反対は何か?

みんなが心から繋がりあえる社会。
研究でわかっている、絆の反対は何か?
絆の反対は、人に合わせることだと。言えることを言えないことだ。人の顔色をうかがうことだ。

本当の自分との繋がりを切って、人と繋がることはできないんだ。
鎧をかぶった自分では、人と繋がれないんだ。
本当の愛というものを感じれないんだ。
愛というのは傷づく勇気と一緒にあるものだ。

ちゃんと本当の自分を大切にしよう。本当の自分を打ち明けよう。

僕は職場でそんな勇気ある姿をたくさん見せてもらえてきたことで、以前より自分を大切にできるようになった。
これは職場じゃなくてもできることだ。

自分を大切にする。
ここにしか次の時代への扉はない。

サポートを頂けると、自分のシェアが必要な方に届いたんだな。書いてよかったぁと励みになります。読んで頂きありがとうございます。