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主観としての"良い写真"と妥協

俺が考えるGFXのコスパの良さと、良い写真を撮るための心持ちについて端的にまとまっている記事を読んだ。

EOS Kiss X6iを使っていた時から機材の性能については悩まされてきた。X6iは連写が弱く野鳥は撮れないし、高感度ノイズの出方も気に食わなかった。
そこからX-A1、X-E1と富士フイルムに鞍替えしたけど、今度はAF性能がしんどかった。X-T2を買ってからは年々向上するAF性能と、動画ユーザーへの配慮で操作体系が変わるTシリーズに悩まされた。

さて、良い写真だがあくまで”俺にとっての”という話で究極的には好き嫌いのレベルだ。当然「全然良い写真じゃねーわ」と思う人もいるだろうけど、そんなことは無視する。

自分が満足できる写真=良い写真

第一段階の回答としてはこれで十分だと思っている。もちろん己の中で深掘りすることは欠かさないけど。
で、自分が満足する写真が何なのかと考えた時に答えの一つとして「妥協せずに撮った写真」があった。

撮るために妥協しないというのは後述の機材にも繋がるが、己自身についても当てはまる。滝壺までの歩道をラッセルしながら降りるのも、強風で自然と鼻水が垂れてくる展望台で粘るのも自分には当たり前のことだ。
だが今回の話は忍耐力とか、寒さ耐性とかではなく機材とそれによる気の持ちようだ。

なぜ妥協するのか

これはレンズがなくて妥協した写真。当時はGF20-35mmが発売前だった。

ラッセルしたり、凍結した歩道を降りてまでなぜ撮りに行くのか、と思う人はいるだろう。これが入門機だったら自分でも降りてなかったと思う。
リスクを冒してまで降りて行っても撮れる写真にはまだ上がある。センサーは大きいに越したことないし、サイズを重視したキットレンズよりも画質優先のレンズの方が良い。

以前は仕事終わりに車を借りて星を撮りに行ったが、徐々に行かなくなってしまった。もちろん業務負担が年々大きくなっていることも一因ではあるが、当時の機材の限界が見えてしまったということもある。

要するに満足できない写りのためにリスクを冒すのは割に合わないということだ。機材を妥協すると俺という人間の心理はこう働く。
逆に今の機材でリスクを冒さないのは己自身への妥協であり怠慢だ。

もちろんベースは”いのちだいじに”なんで「あ、死ぬな」なんてリスクは冒さないけど

GFXを使い始めてからの変化

そろそろGFX100の後継モデルが出る頃なんじゃないかと噂されているらしい。だが全く興味が湧かない。何なら新しいレンズに関してもそうだ。以前は楽しんで漁っていたリーク情報も半ば義務感で見ているようなところがある。

ボディはGFX100S、GFX50S II、X-Pro3。
レンズはGF120mmF4、GF35-70mm、GF20-35mmF4、NOKTON35mmF1.2

今の機材はこれで全てだが、そうそう陳腐化しないと分かっているところは大きい。昨年末にGFX100Sを買ってからもうすぐ半年経つが、機材の追加や入れ替えは一度も検討すらしていない。

そもそもセンサーが大きいほど歩留まりが悪く、レンズも大きく重くなるのだからアップデートできるのは快適性のところだろう。写りに大きな影響を与える変更はチップくらいだが、1億画素の16bit RAWよりデータ量が増えることはないはず。
そうなると画作りの好みが問題になるくらいで、物理法則を捻じ曲げるレベルの革新的発明がなければラージフォーマットの大きな進化は見込めないと思っている。

GF120mmが等倍じゃないけどトリミングすればヨシ!

トリミングすることへの忌避感もなくなった。元々はGF120mmがハーフマクロだったからだが、GFX50S IIで使っても条件が良ければ等倍以上に拡大して尚期待以上の画が出てくる。

Xシリーズがメインだった頃はトリミングする気になれなかったが、超広角以外単焦点で揃えていたためけっこうキツい制約だった。

正確には再編集して輪郭できっちり塗り分けてるので若干違う部分はある

今回の写真展の個人的なテーマとして作ったこの写真はGFX50S IIとGF120mmで撮っているが、元の写真は下の通り。下部の木々が邪魔だったのと、一部の建造物の色がうまいこと浄化されなかったのでビルやマンションの密集度が高い右側を切り抜いた。

何を妥協し、何を妥協しないか

もちろん苦手な被写体はあるのでGFXシリーズを買っておけばどんなシーンも万全とはいかない。そもそも富士フイルムのAF性能は元々他社より劣っていた上に、連写するにはデータ量が重すぎる。

また35mm換算の焦点距離はレンズ名に0.8掛けしたものになるため、望遠域はサイズ感の割に被写体が小さく写る。これはトリミングで解決できるとは思うが、換算1200mmクラスにできるのかは試したことがないので分からない。

まあ要するにカワセミのような動きが速くて小さい被写体を撮るカメラではないということだ。

白鳥くらいのサイズならGFX50S IIでも撮れます

俺はそういう野鳥を撮らないので問題ないが、見方によっては被写体選択を妥協しているのかもしれない。オールラウンダーが良いのならZ9かZ8が安牌だろうけど、写りは妥協することになる。
これよりも大きなセンサーサイズのカメラが同価格帯なんだよな、と僅かにでも思ってしまう可能性があるからこそフルサイズ機は選ばなかった。

その代わりと言えるかは分からないが、公式がフラッグシップと銘打つGFX100ではなく100Sを選んだ。ファインダーの性能差は残念なところだが、サブ機もあることを考えるとフィールドを歩き回るにはつらい重量だった。
だが写りに関する部分は同等なので、ここは妥協とは思っていない。むしろ50S IIと併用していることの方が妥協っちゃ妥協なんだが、GF120mm使ってると不満がないんだよな……。0.5段でも手ぶれ補正の段数は欲しいところだし。

どちらにしても言えることは、物理法則が反転でもしない限りGFXが俺にとって良い写真を撮るための必要なカメラであるということだ。

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