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足りないもの

写真家の横田さんの記事を読んで、プロの写真家でも写真展を開くのはこんなに大変なのかと思い知らされました。

今参加している写真サークルでも毎年写真展を開いているが、今年は予算の都合によりA4で出展した。仲間内からは半切の方が良かったという声もあったが、枚数を変えずに半切にすると2倍以上の金額差になる。こればかりはどうしようもないし、紙や額装にこだわる規模でもない。

今年で2回目だが、家に飾るスペースがないので展示後はほしい人に譲っている。飾ってくれるならお代はいらない。箱にしまったままにするよりは、見てもらえる方が絶対にいいことだけは分かっている。

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先日仕事終わりに車を借りて栃木まで走らせた。けっこうアホなことしてると思っていたが、明け方に電話を貸した白髪のまばらな登山客も同じことをしていた。熱中できるものがあれば年齢や体力は関係ないのかもしれない。

夜の冷え込みが足りなかったのか、今回も大雲海にはならなかった。雲の中に入る瞬間は初めてだったが、別段涼しくもならないしびしょ濡れにもならなかった。

撮れ高も良くはないし、今回も1445段を踏破することは叶わなかったが、それでも霧降はなぜか別格に感じる。2日経っても筋肉痛がやってこないことにやや恐怖を感じてはいるが、もし無事だったら今度は頂上まで登れるはずだ。

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眼下いっぱいの雲海は見れなくとも、どこかしらに雲海はできていることが多い。右下の日光市街にも薄く雲がかかっていれば文句なしだった。天気ばかりはどうしようもない。だからこそ、こうして通うのかもしれない。

今回はヘッドランプを買って行ったので、日の出の前に登ることができた。星の撮影でも三脚のセットやレンズ交換で役に立つだろう。それでも機材を背負っての山道(といっても階段なので足場は良いが)はかなり厳しいと痛感した。来月はイベントで山登りしながら撮るので、何かしら対策を考える必要がある。

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こうして美しい風景を狙って写真を撮っていても、まとまりがないとどうしようもないとは思う。ウェブで見る分にはよくある綺麗な写真かもしれないが、作品にするにはテーマを決めそれに基づいて撮り、プリントする紙やサイズ、額装など考えなければならないことが多い。

撮るときに構図を考えるようになったし、絞るか開けるか、止めるか流すかを決めてある程度は意図通りに撮れるようになった。それでもこんなものは記録写真なのかもしれない。

俺にとって写真は撮ることを楽しむものなので、記録写真か作品かなんかは正直どうでもいい。ただ作品と呼べるものの方が何となく格式が高いように感じて、自分にはそういう撮り方ができないことに何となく不満を抱くだけだ。

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結局未だに感性というものが身についたのか定かではない。元々表現したいという気持ちからではなく、自分の生きる糧になるようなものを撮ろうとしていたので当然かもしれないが。

ただ俺が死んだときに、親しい人に出来の良いと思っている写真を見てもらい、俺が眺めてきたものを知ってほしい。自分の写真に願うのはそれくらいだ。

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