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選ぶということ、選ばれるということ

先日Facebookで募集していたカレンダーの写真コンテストで当選したと連絡があった。フォトコンテストと名の付くもので選ばれるのは初めてだったので、仕事の休憩中にメールを見て「うおお!マジか!」と喫煙所で一人声を出して驚いた。

写真を始めた頃はこういう賞金のないコンテストに応募していたが、最近はめっきりだった。自分が満足した一枚が撮れればそれで良かったとカメラを買った時の気持ちを思い出したこともあるし、当時は自信のあった写真が箸にも棒にもかからなかったこともある。
今見てみると大したことのない写真だと冷静に顧みることができるようになったのは、独学なりに撮り方を試行錯誤してきたからなのだろう。

DSCF8126のコピー

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3枚までという制約の中、上から3月・9月・6月の写真として選んで応募した。結果の連絡は採用されたということだけで、どの写真が選ばれたかはFacebookで発表された。

3月の写真が選ばれなかった時点で、何となく6月に選ばれた予感がして、実際それは当たっていた。改めて残りの2枚を見てみると、どちらも暗い印象で極力忠実色になるように現像している。カレンダー、それも2020年という節目の年のものだという意識が足りていなかったのだろう。明るい印象の写真の方が良かったのだと思う。

応募する写真は自分の好きなものを選んでいたが、そのやり方は選ばれようという態度ではなかったと今更ながらに痛感した。自分がどんなに気に入っていて、よく撮れたと思っていてもコンセプトに合致しなければそれは駄作なのだ。今回選ばれたのはたまたま自分の気に入った作品と、コンセプトが合致していたに過ぎない。

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思えば能動的な選択をしたことは写真に限らず少なかったように思う。しかし選ばれたければ選ぶことにもっと熱意を捧げるべきだったのだ。もちろん撮ることにも。

カメラを始めてからこの12月までで約6年。6570時間、これは6年間の中で撮影に使った時間を多く見積もった時に出てきた数字だ。どんなプロでも1万時間は練習しているというが、俺は多く見積もってもまだ3000時間以上不足している。つまり今回選ばれたのは自分の腕ではなく、機材の力によるものだ。

下手なら道具でカバーすればいい、という理屈に納得して上級機を使っているが実際その通りだった。どこで聞いたかは思い出せないが、ひっそりと感謝しておこう。

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来年は毎年出ているサークルではなく、某SNSの写真展に出展するつもりだ。これまで撮ったものから出すか、写真展ように撮り下ろすかは未定だが選ばれるためにまず自分が作品をしっかりと吟味する。この姿勢を忘れないようにしたい。

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