Future is
11/24
昨日大学サークルのOBライブに出た。久々にいろんな人と会えたし、卒業しているのに今更はじめましてから仲良くなれた後輩とかもいた。新しい機会というのは億劫でもあるけれどこういうホームランみたいな日もたまに連れてくることがあって、そしてなんだか演奏も上振れの瞬間を褒めてもらえて、そして褒め返すこともできてすっかりハッピーなモードになってしまった。こういうときばかりは都合のいい性格も悪くないと思う。というか、根が絆されに弱い。じゃっかん恥ずかしい。
やりたいことというか、心の赴くままに進んで、好きなひとに好きといって、会いたいひとに会って、ちょっと恥ずかしいくらいで素直に真摯にいたい。そんな刹那的かもしれないユーフォリアでもなんとか日々を縫い合わせるために、久しく開いていなかったラインのチャットルームからメッセージを送ってみたり、行きたい場所を調べてみたりしている。今年のうちにやりたいことがなるべく済ませられたらいい。
あと、バンドで音源を配信する告知も解禁した。ずっと温めていたわけではなく、単にうだうだとあーでもないこーでもないと言って過ごしていただけなのだがそんなことを言ってばかりいても仕方ないのでとりあえず出す。出る前からこんなことを言うのも聴いてくれるひとに失礼かもしれないがかといって隠すのもどうかというところではある、そしてこのnoteはおそらく全然見られていないのでOKだろうという前提のもとでいえばつまりはもっとこうしたかった、がままある音源になっている。きっとすべてのバンドが通ってきた悔しさなのだろうこれは。まあそんなことは聴き手にとってはさておくべきノイズであり、ともすれば言い訳でしかないのでやはりこれ以上は封ずる。
活動開始してからのマイルストーンと呼ぶのもためらう短さではあるが、ある意味でレコーディング当時、つまりは病から回復したばかりのときに録った八月、あのときの現在地をどうしようもなく反映しており、バンドというのはまさに音のように波のように、中心からゆっくりとしか進まない・伝わっていかないものなのだろうと思う。
しかしまだまだ、模索しつつやるだけ。やることは山積みである。我に返るスキマを埋めろ、というのはこういうことなのかと最近思った。