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あの世へ何も持っていけないならば 何を残すべきなのか

  あの世へ何も
  持っていけないならば
  何を残すべきなのか         
                          №128
                        2021.05.01

釈迦は、おっしゃった。
「これは俺の財産だ、俺の土地だ、家だ、息子だ、娘だ、と思い 込んでいる。そして、愚かにも、それを守ることに苦しんでいる。
 自分の身体さえ自分の思うようにならないのに、財産や子どもが どうして自分のものであろうか」
 この世の中のものは、何一つ自分のものではない。ただ、自分は荷物の一時預かり所の職員のようなもので、天命というお客が取りにきたら、いつでも渡さなければならないのだ。
 では、どうすればいいのだろう。
 中国の司馬温公(しばおんこう)という人が、家訓に、
「子孫のために万巻の書を積んでも、子孫はそれを読まないかもしれない。子孫のために大金を残しておいても、子孫はそれを守らないかもしれない。子孫をいつまでも栄えさせようと思えば、世の人々のために陰徳(いんとく)を積んでおくことが最も大切なことである」
 陰徳というのは、「世のため人のために善いことをせよ。だが黙ってやれ」というのである。世の中に利口な人は多いが、なかなか成功しないのは陰徳を積まないからである。
(大栗道榮師『空海 感動の
人生学』「中経の文庫」より)

 私たちは、残された者たちのために何ができるのか。何を残してあげられるのだろうか。本当に渡すべきものは何なのか・・・
 
諸悪莫作(しょあくまくさ)
 「悪いことは行わない」
衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)
「善いことを進んで行う」
自浄其意(じじょうごい)
「心をきよらかにする」
是諸仏教(ぜしょぶっきょう)
「これが仏の教えである」

『七仏通誡偈
(しちぶつつうかいげ)』
 
気づかれないかも知れない。覚えてくれていないかも知れない。感謝されることもないだろう・・・ 
たとえそうであろうとも、「善いことだ」という、ただそれだけを理由にして、「善いこと」を実行していきたい。

  最後までお読みいただき
ありがとうございます

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