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EMSの皆さんへの自己紹介

エッセンシャル・マネジメント・スクールで学ぶ皆さん。こんにちは。アドバンスコース9月4日の回に登壇する北川貴英といいます。

そちらの代表の西條さんとはかれこれ10年くらいのお付き合い。震災直後、仙台の実家を案じる西條さんを「気になるならさっさと行ってきたら」とプッシュしたら、「じゃあ一緒に行きましょう」となったのがきっかけで、色々なことが始まりました。今回の登壇も、当時のやりとりが遠いきっかけになってると言えそうです。

登壇では時間が限られてますし、片耳が聞こえてないという都合もあって、複数人数の中で話すのが苦手です。なのでおそらくたいして壇上で発言することもないだろうと思うので、予め自己紹介的なことを書いておこうと思います。

わたしはロシアでうまれた軍隊武術「システマ」の先生をやっています。

もともと空手をやっていたのですが、結局若くて手足の長い人が有利というごく当たり前の事実を突きつけられました。何年もの修行の成果が、若さと手足の長さで軽々と超えられてしまうのです。でも空手は何百年と続いている知恵です。その成果がそんなものに負けるわけがない。わたしは体の使い方を工夫するのが好きで、当時から突きや蹴りのフォームをあれこれ微調整して、それなりの効果を実感していました。わたし程度でそのくらいのことが起こるのだから、もっと才能のある人が良い環境で、何百年も積み重ねたらものすごいことになるはずです。そういう本当の知恵がどこかにあるはずだ、もしなかったら諦めよう。そう思って、著名な武術家を尋ね歩くことにしました。今はなき御茶ノ水の書泉ブックマート地下武道コーナーに通い詰めて本を立ち読みしまくり(学生時代でお金がなくて買えなかった)、コンタクトできそうな武術家をあたったのです。

で、この人はすごそうだ、と目星をつけたのが甲野善紀先生でした。書いてあることはなにやら意味がわからないけれども、とりあえず誰でもウェルカムで技をかけてくれる。誰でもウェルカムなら、おれも行けるだろう。それにこれだけ世に認められている人ならそれなりの技を使えるに違いない。もしフェイクなら武道・武術は全部幻想だったと諦めて、きっぱり足を洗おう。

そう思って甲野先生の稽古会に行ったのが運の尽きでした。

甲野先生の技は、武術に秘められた果てしない可能性を感じさせるのに、十分すぎるほどでした。急速に武術にかぶれていくわたしに、当時の空手仲間は「催眠術じゃないの?」と冷ややかな言葉を浴びせましたが、催眠術だとしてもたいしたものです。一体、そこには何があるのか。その疑問がわたしの心に深く染み付いてしまったのです。

わたしは就職氷河期のど真ん中に一部上場企業にすんなり内定をもらうという得難い幸運を得ていましたが、わずか1年でその立場を投げ出してしまいました。当時は失われた20年が始まったばかりで現場にはその実感がまるでなくバブル気分を引きずっている先輩が大半だったこと、何もせずにモノが売れたバブル時代の反動で、ものを売るノウハウも後進を育てるノウハウも完膚なきまでに失われ、学ぶべきものが全くなかったこと。そのことに職場全体が全く危機感をもってなかったこと。等など色んな理由がありますが、やっぱり「武術に何があるのか気になって仕方がない」という理由は、とても大きかったように思います。そして「そこにある知恵はきっと世界を良くするはずだ」という謎の核心がありました。

そんなお宝が埋まっているって分かっているのにみすみす見過ごすなんて、人類全体に対する怠慢です。そういう根拠のない義務感に駆られて90年代末からもがきつつ稽古を続けて行き着いたのが、結局、世の中を良くするのは身体なんだということです。

どれだけ優れた主義主張でも、それで人を動かそうとする行為のすべては扇動です。その扇動が歴史を動かし、多くを生み出し、多くを壊してきました。資本主義、民主主義、マルクス主義、帝国主義などなど、すべての主義主張がそうです。人を煽ることでそれは成立するのです。

でもそれは個人の幸せに繋がるのでしょうか。

それは矛盾します。その人がその人らしく生きるのが幸せだとしたら、扇動はその人らしさを奪います。むしろ扇動される側は必ず、主体性を失っていなければいけません。大勢を主義主張で染め上げるには、主体性が邪魔なのです。高度な扇動は、本人にその自覚をさせず、あたかも自分の意思で選択したかのように、主体性を放棄させます。

つまり何らかのイデオロギーを選択するという時点で間違っているのです。おそらく「選択しない」が唯一の正解です。皆が好き勝手に自由に行きて、誰かが誰かを染め上げたりするすることがなく、それでいて調和の取れた世界。

そこに近づくにはどうしたら良いのか。それはおそらく、身体の状態をより良い状態にもっていくということです。

フィジカルマネジメント。つまり身体をマネジメントするということは、何も病気をせず長生きすることを目的としているわけではありません。自分の人生は自分で選択し、思う通りに行動したい。それにも関わらず、多くの人は自分の身体すら思うように扱えていません。頭で考え、判断し、まるで身体なんてないかのように扱っています。だったら今より少し自分の身体に目を向ける人が増えれば、世の中が変わるんじゃないか。

わたし達は自覚している以上に、肉体の影響を受けて生きています。空腹や眠さで不機嫌になったり、判断力が低下するのは誰もが経験していることでしょう。その対処法は上機嫌を保つように心を鍛えることでも、判断力を高めるトレーニングをすることでありません。適度に食べて寝ることです。こうした肉体の影響力は、意思をはるかに上回る強度で私達の人生を左右します。

でも私達は自分たちの肉体に対する認識があまりにもおろそかで、この影響に対してあまりにも無防備です。あたかも肉体の奴隷であるかのように振り回されているくせに、肉体を支配している君主であるかのような気でいるのです。

フィジカルマネジメントとは、そんな風にいびつになってしまっている身体との関係性を築き直すことだと考えています。支配されるのでも、支配するのでもありません。そういう上下関係はどちらかの反発を招きます。そうでなくて対等にお互いを理解して付き合っていこうということです。わたし達の身体は生命誕生以来、約38億にわたってアップデートが繰り返された作品です。その間、数限りなく個体は死んでますが、肉体そのものは絶えることなくつながっています。わたしたち個人の年齢は100歳足らずですが、肉体はすでに38億年もの長きを生き抜いているのです。その偉大なる隣人とどう付き合うか。

戦場という極限のストレス下では、どれだけ自分の身体をマネジメントできるかが生死を分かつ。ロシア軍特殊部隊の軍務の中でそのことに気づいたミカエル・リャブコが創始したのが「システマ」です。

逆境を生き抜くうえで、身体ほど味方につければ頼もしい存在はありません。システマはそのためのツールです。断絶してしまった身体との関係を作り直すのです。

今より強く、自分らしく生きる人が増えれば世の中は少しは明るくなることでしょう。別に輝かしくある必要はありません。真っ暗闇でも一筋の光を灯すことができる。身体はそう思える自信を与えてくれます。

それがStudio Libraやシステマ東京でやっていることであり、エッセンシャル・マネジメント・スクールでやりたいと思っていることです。

システマは私が知る限り、そのための最上のツールとなります。他にもっと良いのがあるかも知れませんが、現時点でにおいてシステマは、空手に始まるわたしの武術遍歴における終着点となっています。

まあ壇上のグループディスカッションではたいした発言せず座ってることとは思いますが、そんなことを考えているヤツなんだと頭の片隅においておいて貰えれば何よりです。


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