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noteで学べるシステマ講座 第53回「自分の動きの源とは? 前編 ミカエル講座テキスト版」

noteで学べるシステマ講座 第53回
「自分の動きの源とは? 前編 ミカエル講座テキスト版」

モスクワ本部国際ウェビナー「2つの動きの源」初日、ミカエルによるイントロダクションのテキスト版です。

自然な動きを妨げるもの

ミカエル:今回のテーマは簡単に思えて実は簡単ではない、2つの側面を併せ持ちます。

まず人間は、私たちが生まれる際に受け取った人間の身体には、遺伝子の記憶が備わっています。そこには人間の成長が成長し、動きを身につける過程がすでに組み込まれているのです。人間が生れてすぐに歩けるわけではありません。段階を踏んで、徐々にできるようになります。

赤ちゃんが身近な方でしたら、観察すればわかるでしょう。まずは床で寝返りをうつような動作から始まり、這うようになって、立ち上がるというように、長い時間をかけて少しずつ筋肉の動かし方を身体に組み込んでいきます。頭による認識は、人が成長するとともに後から出てくるものです。まずは少しずつ筋肉の動きができあがっていきます。

体を壊して自由に動けなくなってしまった人の治療を頼まれたことがあります。その場合、はじめから歩くことを教えるわけにはいきません。床を這うこともできない人を歩かせることはできないので、まず床を這うことから練習させます。それができなければ何も始まらないのです。全ては床での運動から、筋肉の動きを段階的に組み込んでいかないといけません。

子どもたちには成長のプロセスがあります。ある月齢まで成長すると立ち上がり、ある年齢に至れば歩き、走りだします。こうした成長に伴ってできるようになることは、誰の助けも借りる必要はないはずです。この段階において誰かの力を借りたり、または歩いたり、走ったりできるよう干渉したりすることは良いことではありません。早く歩けるようになってほしいという思いから、歩行器などを使って無理やり歩かせたり、何らかの器具にぶら下がらせたりといったことは、悪い干渉のしかたと言えます。本来、助けを借りずともできるはずです。そこに大人が干渉してしまうと、子どもの自力でやろうとする意思や、工夫、どうしたらいいんだろうと疑問を持つ気持ちなどを排除してしまうことになるのです。

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