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人はなぜメモすると忘れるのか

社会人になった頃、「言われた事は必ずメモしておけ」と言われたものだ。

で、ポケットサイズのメモパットとボールペンを持ち歩いていた。

夏などはシャツの胸ポケットにボールペンをしまうので、うっかりペン先を出したまましまってしまってシャツにインクのシミができてしまったものだ。そういう胸ポケットがインク染みだらけのワイシャツを着たサラリーマンを見ると、なんだか懐かしい気分になる。

で、メモパットは尻ポケットなので尻の形に丸くなる。

メモあるあるだ。

確かにメモは役に立つ。ただそれはOFF-JTや ON-JTなどで、教える側がメモをとる時間をくれる場合じゃないかと思う。あと作業の手順や固有名詞、数量など正確な「情報」を保存しなければいけない場合だ。

学習には「記憶」と「理解」がある。

記憶は点で、理解は線。

点と線を繋いだネットワークが知恵。

だから知恵を増すには、点と線の両方を増やす必要がある。

で、メモが役立つのは「点」の記録においてだ。

人間が暗記できる情報量には限りがある。だから外部記憶装置としてメモを使う。それは良いと思う。

でもたまにメモが機能していないとおもうことがある。一生懸命メモをとっているのにまるで頭に入っていない、という時だ。

それはおそらく「線」が必要な時に、メモを使ってしまっているのだ。

記憶ではなく、理解しなくてはいけない時にメモしてしまっている。

当然、メモをしている時は人の話を聞いていない。聞きながら書けるほど器用な人はいない。数秒前に聞いたことを、頭の中で反芻しながら手を動かしてメモに書く。するとその数秒間の流れが切れる。その間に論理が飛んでぶつ切りになる。

僕は基本的にメモをしない。もうちょっとメモした方が良いんじゃないかとも思うけど、基本的にしない。なぜなら僕の頭はどうもストーリー記憶に特化している。だから論理をつかめさえすれば芋づる式に記憶を引き出せるのだけど、それがつかめなければ綺麗サッパリ忘れてしまう。

だから意味と論理にこだわる。意味も分からず脈絡のない情報をとりあえず詰め込む暗記にはあまり向いていない。メモしても、メモしたこと自体を忘れるのだから意味がない。

テレビのシナリオを書いていたときも、僕の師匠はアイディアメモを持ち歩いていて、なにか思いついたらすぐにメモしていた。

でも僕は「忘れるようなアイディアは対したアイディアじゃないだろう」なんて考えてメモしなかった。実際にやってみたけど、あとで見返してもたいしたアイディアじゃないし、そもそも字が汚すぎて読めないのだ。

でも背後のストーリーを掴んでしまっていると、忘れない。その点においては自分の記憶力はずいぶんとねちっこくできているので、何十年も前の記憶も簡単に引き出すことができる。

記憶の「点」と理解する「線」。

どっちも大事だけど、試験向けの勉強するには「点」が大事よね。特に語学とか法則として文法を覚えなきゃいけないわけで、「そもそもなぜその文法がそうなってるの」なんて理解することなんてできないのだもの。

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