見出し画像

Pig&Pearl -思考実験-

値付けはとかく難しい。

宝石屋さんに「丸くてキラキラしたものを買いたい」とお客さんが訪ねてきた。喜んでもらおうと思って、原価1万円の真珠を特別に5,000円に値引きしたら「ぼったくりじゃねーか」と怒られてしまった。

そのお客さんはプンスカと店を飛び出して別の宝石屋さんにいって、原価10円のビー玉を1,000円で売りつけられて、ホクホク顔で出てきた。

「さっきの店では5,000円とふっかけられたけど、こっちの店では似たようなのが1,000円で買えた。とてもいい店だ。」

もしかしたらこの真珠には5,000円の価値もないんじゃないか。自信をなくした宝石屋さんは、次に来たお客さんに1万円の真珠を3,000円だと言ってしまった。そのお客さんはじろっと宝石屋さんを見ていった。

「あなた。この真珠は3,000円じゃないでしょう。少なくとも10,000円の価値はあります。」

でも原価で買ってはお店の利益がでない。15,000円で買いましょう。そう言ってそのお客さんは15,000円で真珠を買い取った。

そのお客さんは真珠を職人に頼んでネックレスにしてもらい、思いを寄せていた女性へのバースデイプレゼントにした。女性は喜び、お客さんとぐっと親密な仲になった。ゴールインに一歩近づいたと、お客さんも心の中でガッツポーズだ。

一人目のお客さんは5,000円とふっかけられたものを1,000円で入手できたのだから、4,000円得した。

二人目のお客さんは3,000円の真珠を15,000円で買ったのだから、12,000円の損。

「この店では4,000円得するぞ!」

一人目のお客さんが立てた噂が街中に広まって、2軒目のお店にはお客さんが押し寄せた。大勢の人が10円のビー玉を1,000円で買い取り、ほくほく顔で帰っていく。お店も原価の100倍で売れるのだからうはうはだ。「金なら出すからビー玉を売ってくれ」なんて人まで出てきたので1,500円に値上げしたけど、まだまだ売れるんだからたまらない。

かくしてその街の女性はみな、ビー玉のネックレスをつけて街を歩くようになったそうな。ビー玉こそ美の極地、ビー玉こそ至高。そんなビー玉ブームがやってきた。

この様相をみてご婦人、密かにこんなことを考えた。

「この真珠を3000円で売れば、ビー玉が2個買えるんじゃないかしら?」

残念ながらそのご婦人も、真珠とビー玉の違いがわからなかったのだ。でも、お金持ちのあの人がくれたのだから、価値があるのかも知れないわ。

そう思ってなんとなく売るのを躊躇していた。

すると街に変化が起きた。

猫も杓子もビー玉を身に付けている。ビー玉の流通量がどんどん増えている。

でも最初にビー玉を売った店の売り上げがあがる訳でもなくて、むしろ下がっている。

ビー玉騒動に目をつけた隣町の宝石屋が900円でビー玉を売り始めたのだ。原価はもともと100円なんだから、それでも利益は出る。大量に発注したものだから、原価も80円まで落とせたこともあって、利益はしっかり確保できている。

するとまた別の宝石屋が乗り出してきて700円でビー玉を売り出した。大口注文だから原価はさらに下がって、利益はしっかり確保できる。それが繰り返されて、ビー玉の価格はどんどん下がり、ビー玉が街中に溢れた。

良心的に真珠を売っていた宝石屋も馬鹿らしくなってきて、ビー玉屋に鞍替えした。かくして街中から宝石屋がどんどんなくなっていった。

その時、一部の人々は騒ぎはじめた。

「真珠はどこに行ったんだ!?」

街には僅かながら、ビー玉と真珠の違いが分かる人が残っていた。でも宝石屋がなくなってしまって、真珠が手に入らなくなってしまった。ビー玉が真珠を排除してしまったのだ。

700円でビー玉が買えるこのご時世に、誰が10,000円もする真珠を買うのか。街の人々はそう考えた。

「700円で買えるものを10,000円で売るなんて、よほどぼったくってるに違いない」

そんな意見が多勢を占めた。なんとか踏みとどまって真珠を売り続けていた宝石屋さんも、猛烈な批判を浴びた。それどこか、うかつに真珠をつけて街を出歩けなくなった。

「あんなボッタクリの片棒を担ぐのか」

そう言って石を投げられるからだ。

かくして街から真珠が一掃されて、ビー玉で埋め尽くされた。

そして真珠を持つ人も姿を消した。

真珠の価値を知るものは、新しい街を作った。

真珠を身に着けても石を投げられない街。ビー玉をありがたがる人を排除する街。

かくして真珠をまとう人と、ビー玉をまとう人は別れて暮らすことになった。他人の価値観に口出しするほど不毛なことはない。

ビー玉と真珠。

違いが分かる人と、分からない人。

分かる人は分からない人の気持が分かるけど、分からない人は分かる人の気持が分からない。

そこには厳然とした非対称性があるのだ。

さてビー玉屋さんとなった元宝石屋さん。企業努力によって原価50円でこれまでのものよりもきれいなビー玉を作れるようになった。でも街なかにビー玉は溢れている。各社の値引き競争もあって、60円でしか売れなかった。だからたくさん売って、10円の利益を積み重ねるしかない。競合他社が60円で売り出せばさらに値引かないといけない。いつしかビー玉を売って稼いだお金も徐々に減っていく。

こうして元宝石屋さんが汲々とする一方で、一部の宝石屋さんは別の行動に出た。

ビー玉を売って稼いだお金で真珠を買ったのだ。

腐っても宝石屋さん。ビー玉と真珠の違いは分かる。ビー玉のあおりで価値が大暴落した真珠を買い漁ったのだ。近いうちに真珠の価値を皆が思い出す日が来る、と。

そして「真珠を身に着けても石を投げられない街」に、真珠を売りに行ったのだ。

大衆は安ければ良いと考える。そこに自分で価値を決める意思はない。

そこに住んでいたのは、自分で価値を決められる人達だった。

失われたと思っていた真珠を売りに来てくれた。そう喜んだ人たちは、吟味した末に気に入った真珠を買っていった。


ここから先は

0字

¥ 10,000

お読み頂きありがとうございます。投げ銭のかたはこちらからどうぞ!