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非行少年にシステマを

「ケーキの切れない飛行少年たち」に興味深いことが書いてあった。

少年院に来る非行少年たちはそもそも、認知が歪んでいる。

だから聞いたこと、見たことの解釈そのものがくるってしまっている。

殺人を犯した少年が「自分はやさしい人間です」と言う。

本人の中では、やさしさの帰結が殺人だったのだろう。

彼らは問題を解かせても、そもそも問題文の意味がわからない。妙な受け取り方をしてしまう。数分先の未来でさえ、予測できない。だから強盗したりする。強盗すれば遊ぶ金が手早く手に入るので、短期的にはメリットがあるだろう。でも長期的に見ればデメリットのほうが遥かに大きい。逮捕され、有罪となり、刑務所で時間を過ごすことによる経済的、社会的損失のほうが遥かに大きい。

つまり犯罪は損をする。それがわかっているからこそ、普通の人は犯罪に手を染めない。でもその計算ができない。だから犯罪に手を染める。そういう認識能力がなんらかの理由で発達しなかったのだ。すると努力して何かを成し遂げると言う成功体験が得られないから、「努力する」ことの価値がわからない。すると、人が努力して積み上げたものを平気で壊すようなこともする。

そのへんのことはとても勉強になるので、ぜひこの本をご一読いただくとして、システマーとして特に興味深かかったのが、「非行少年にしばしば、身体の使い方が極端に不器用な少年がいた」ということだ。

力加減がわからないから、水道の蛇口をもぎ取ってしまう。トイレで便器の中に用が足せない。皿洗いでは皿を何枚も割ってしまう。すごい例だと「喧嘩で相手の頭を軽く踏んだだけなのに、頭蓋骨を陥没させてしまった」なんてのもある。

身体のコントロールは、自分をコントロールすること。身体がコントロールできなければ、自分のコントロールはできない。

ミカエルが指導の際に「コントロール、コントロール」と繰り返すのも、おそらくそういう意味なのだろう。

その教えの正しさが、奇しくも非行少年たちによって証明されてしまったように思う。

「身体が器用に動くようにする」というのは、システマ東京で昨年までやっていた親子クラスのテーマのひとつだった。だから日常生活ではやらないような、思いつく限りの動きをやってもらった。それもまた的外れではなかったのかも知れない。

スケジュール的に続けられなくなってしまったのだけど、親子クラスはやっぱりよかったんだな。弓矢とか投石器の練習までしたもんね。

ただ似たような試みはやっぱり世の中にはあって、ブラジリアン柔術のトライフォース五反田から全国に広まった、柔術体操とかはとても良いと思う。

人間の動きはレゴブロックみたいなものだ。あらゆる動きは、細かなブロックの組み合わせだ。だからどれだけ組み立てがうまくても、少ししかブロックを持っていなければ、たいしたものは作れない。でもたくさんブロックがあれば、いろいろなものが作れる。多少下手くそでも、なんかでっかいすごいのが作れる。だからブロックを集めること。それが身体能力を高めるうえでの必須条件になる。子どもの場合は特にそう。

非行少年たちは、成長の過程で手にしたブロックが極端に少なかったんじゃないかな。なぜそうなってしまったのだろう。そこには育った環境も大きく関わっているのだろう。

幼少期に、将来の非行を防ぐためにできることは、もしかしたら次の二つかも知れない。

・盛大に身体を使う遊び。

・読み聞かせ。

前者は自由に動く身体を養い、後者は論理力を高めて認知の歪みを防ぐ。

非行少年にシステマを。

それも案外良い気がするね。

それには僕はまだまだ力不足なので、もっと学んでいかないといけない。

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