無題
その人とはけっこうフランクな食事の席で出会った。
お箸では食べられないほどの大きな生のクルマエビが目の前に運ばれてきて、美味しそうだけど食べづらそうだなと迷っているうちにだいぶ時間がたった。
宴もたけなわの頃、誰かが、残すの勿体無いから全部食べちゃおうよとみんなに声をかけた。美味しさ半減だろうなと思いながらみんなと同じように手に取って食べるとなんとも微妙な味だった。少ししかめっつらする私に視線を投げてきたのがその人だった。その人もしかめっつらをして首を振った。おそらく無理に食べなくてもいいよという合図だったのだと思う。今考えるとはしたない食べ方はやめなさいという意味だったのかもしれない。巨大ボタンエビをお皿に戻すと父親のような少し厳しい笑顔でその人は頷いた。
知人同士のちょっとした親睦会のような食事の席だったので、普通にその人は既婚者だと思っていた。
店を出るとかなりの土砂降りで、どうやって地下鉄まで歩こうかとみんなで話していると、その人はタクシーで帰るけど一緒にどうぞと声を掛けてきた。だいぶ迷ったけど、まわりの人からも家がそんなに近いなら乗せてもらったらと言われ、2人で1番近いタクシーまで数十メートル走った。
夏の終わりだった。
関連会社に勤めていたため、タクシーの中ではなんとなく仕事の話しか思いつかなかった。その人は仕事の話はいいからという感じでプライベートの話をしたがった。聞いているうちに既婚者じゃないのかなという気になってきた。毎日出前かスーパーのお弁当だから今度食事に行かない?と誘ってきた。ごはん行こうとか飲みに行こう、ではなく、食事に行かない?と誘われたのは初めてだったような気がする。
あまり出会ったことのない感じの人でこれといって見た目なタイプとかではなかったので、ドキドキというより不信感とも違う謎な印象が強かった。連絡先をかなり頑張って聞いてきたので、まわりの知人も多いしそれほど恐れる必要はないなと言い聞かせ結局折れた。
ボタンエビの時の父親のような眼差しを思い出して、なんとなく悪い人ではないのかなと思った。
タクシーが先にその人の家に着くと、そこは立派なファミリー向けの分譲マンションだった。
やっぱり既婚者?別居中?バツイチ?と誰もが思うことを想像した。そのあと、まぁ独り身でもマンションに住む人はいるか、と無理矢理思い直した。
多めのお金を運転手さんに預けていたようで、わたしの家に着くともちろんおつりが出た。返さなきゃなーと術中にハマった気になった。
恋の予感はしなかった。
バツイチと聞かされたのはけっこうすぐだった。バツイチと言っても死別だそうだ。とくに聞き返さなかった。同情してほしいわけではない口ぶりだったので深く追及しなかった。
なんで聞かないの?と一度だけ言ってきたことがあって、黙って話を聞いた。
初めてマンションを訪れて仏壇の写真を見ると、なんとなく私に似ていた。
その人とは文章にできないくらいのいろいろなことがあり、付き合って結局別れてしまったけど、最近夢をみた。
相変わらずな感じだった。
このことを書こうと思ったのは夢を見たからではない。
なんとなく綴っていてそういえばこの間夢見たっけなとふと気付いた。
その夢を見た日は、亡くなられた奥様の誕生日だったような気がする。
今年も、月命日よりも少し早く花を飾っているのだろう。
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