10年ひと昔。〜予備校講師生活10年目を迎えるにあたって
時は2023年3月末日。
2022年度が終わる。明日から2023年度だ。
……というよりも、セ・リーグの開幕日である。
去年の開幕3連戦は全て参戦したが、初戦の7回頃までしか記憶が無い。あの頃のミュートワードは「俺たちの野球」だったな。
話を戻そう。2023年度で大学受験の予備校講師として10年目を迎える。この10年は悪い意味で激動の予備校業界だったわけだが、そこをなんとか生きながらえることができた。次の10年はさらに厳しいと言われている中で、とりあえずこれまでの経験の棚卸しということも含めて簡単に振り返っておこうとおもう。
◇前章:2013年度
某財閥系デベロッパーを退職。最後の方はまともに機能もしてなかったが、これで晴れてフリーターに。
そして9月に早稲田アカデミー(以下早稲アカ)中央林間校に時間講師で入社。とりあえず大学生以来5年ぶりに「先生」になったので教える感覚を取り戻そう……としていたら、2週間ほどで結構エライヒトに見つけられ、いきなり志望校別対策講座のNNフェリスの担当に抜擢される。ここで出会った人達とはまだ年に一度は交流している。もう10年経つのか……。という始まり。
◇1年目:2014年度
・早稲アカ:中央林間とNNフェリス
→この年、NNフェリスは過去最多に迫る合格者数。
・みすず学苑:西荻本校とどこか
→初めての大学受験予備校デビュー。仕来りに馴染めず、苦戦。
・増田塾:立川
→予備校毎にシステムがこんなに違うのか……と驚く。翌年の打診が遅く、この年限りで撤退。
◇2年目:2015年度
・早稲アカ:中央林間、ExiVたまプラーザ、NNフェリス
→2015年1月ぐらいに当時のExiVたまプラの校長に「話がある」と言われてヘルプでの出講決定。(なお、その校長は3月で渋谷校に異動)ここが早稲アカ人生のターニングポイント。この年のたまプラ中3での働き、活躍、結果で沢山の優秀な同世代に会うことが出来た。
・みすず学苑:南浦和と横浜とか上野とか?
→南浦和以外あまり覚えていない。南浦和はそのあと長く勤めることに。スタッフも生徒も最高の環境だった。
・IRL
→初年度。そもそも採用時にエライヒト(複数)にフルボッコにされる。正直、この仕事を辞めようと思ったレベル。その意味ではいわゆる育成枠採用。でも、千賀だって甲斐だって育成枠から世界一になった。彼らの目が正しかったのだろう。(と思う)
◇3年目:2016年度
・早稲アカ:ExiVたまプラーザ、中央林間、国立附属必勝
→早稲アカでは所属校舎がExiVになる。月曜日は18:40に中央林間で授業を終えて、19:15からたまプラーザで授業するという意味不明スケジュールをこなしていた。そして最後の中学受験担当を終える。楽しかった。
特別講座は高校受験へ。前年に中3の最上位クラスの合宿に行き、そこで出会った現ニューヨーク校校長に声をかけられたのがきっかけ。ここもひとつのターニングポイント。
・みすず学苑:南浦和のみ
→南浦和でのみ重用される謎の講師になる。
・IRL
→2年目。結構苦しかった印象だな。この時点では高校入試専業にするのもありかな、と思っていた。
・代官山medical
→2学期から突如コマを持つことに。何が何だか分からぬうちに終わった……。次年度は無しに。
◇4年目:2017年度
・早稲アカ:ExiVたまプラーザ、ExiV渋谷、開成必勝
→前年秋に渋谷校校長(たまプラに勧誘した人)に「話がある」(2回目)と呼び出され、渋谷校への出講が決定。なお、その校長はまた3月で異動。そこで中3最上位、全員が開成高校を受験するクラスを担当。筑駒高合格実績で校舎レコード達成。開成も全校舎トップの合格実績。そして、たまプラで早慶高合格実績、悲願の全校舎トップを成し遂げる。
……しかし、MVPにはなれず。とは言え、早稲アカ人生のピークはこの年。
・みすず学苑:南浦和
→書けないことも多いが、この年で終わり。最後はめっちゃエライヒトが労いに来てくれた。ありがてぇ。
・IRL
→この年辺りから運営が安定。少し自信になる。
・北九州予備校:鹿児島、博多駅
→マイルを溜める飛行機通勤スタート。鹿児島は反省が多かったが、博多は順調。予備校講師としてやっていけるかな?と思った。
・四谷学院:大宮、厚木、自由が丘
→黄色い予備校スタート。初年度にしてはアンケートがよかった。それにしても横浜在住で大宮と厚木は試されてるなぁと思ったな。しかし、そんなクソ遠い冬期の大宮が増設。人生初の出来事。ここでやれるなら予備校でそこそこやっていけるのかな、と思えた。
・城南予備校:南浦和
→授業アンケートは良かったが、色々と対応が難しかった。翌年の打診が来たのがかなり遅く、すでにコマが埋まっていたのでこの年限り。
◇5年目:2018年度
・早稲アカ:ExiV渋谷、開成必勝
→渋谷に移籍。受験学年を持たずに中2最上位を希望。良いクラスだった。
・四谷学院:たくさん
→たくさんやった。それが体力的にきつかった。そんな中悟りを開くように「一つの仕事を丁寧にこなして良いものを提供する」という仕事観が生まれた。ワークライフバランスの是正とも言える。翌年から収入が減ってでも仕事量を減らして勉強する時間を増やそうと決意。それが、いずれかもっと大きな対価として返ってくると信じていたし、まあまあ返ってきてる。
・北九州予備校:大分と博多駅
→この年が北予備で絶頂だった。アンケートは年間通してほぼ100%。人数が決して多くない大分で増設講座が出来たりと、自信になったが、あまり評価されてなかった模様。その点はちょっと萎えた。
・IRL
→この年はブレイク感がある。とにかく楽しかった。この年の生徒たちとは大学卒業まで毎年年に2回ぐらいは飲んでる。IRLの中での存在感が増してきたのがこの年かな。
◇6年目:2019年度
・早稲アカ:ExiV渋谷、ExiVたまプラーザ、開成必勝
→この年が早稲アカ最終年度。渋谷は2年前のゴールデンメンバーで、たまプラは同世代仲良しの最強メンバーで。結果はボチボチだが、なんというか、34にして青春してるな……という1年だった。渋谷の校舎長(めっちゃエライヒト)とも、最後は打ち解けて、わざわざ餞別の品までくれた。その高級ボールペンは大事な仕事の時に必ず胸に忍ばせている。
今でもここで一緒に頑張ったメンバーとは飲みに行く。戦友だ。
・四谷学院:町田のみ
→ちょっと減らしたいと申し出たらめっちゃ減らされた笑
まあ、そんなもの。予備校の厳しさを知る。そしてこの年限りで撤退。
・北九州予備校:鹿児島、博多駅、小倉駅
→いよいよ北予備の本丸、本校の小倉へ。今思うと大校舎ばかりだから評価されてたのか?このころは午前に授業をして、午後から夜までひたすら自分の勉強時間に充てていた。それが翌年以降に非常に大きな成果をもたらしてくれた。
・IRL
→この年も大盛り上がり。スゴく楽しかったのだが、コロナ禍の影響か卒業後に交流は無かった。そして、この年までが柏校の第一章。翌年からは津田沼へ。
・学内予備校
→埼玉県の某高校に古文講師として出講。無事にやりおおせたものの、この年限り。
そしてこの年は矢野耕平さんと出会った年で、新書を出した年でもある。
人生を変えてくれた先輩の一人。翌年からは矢野さんが直接的、間接的に関わってくれている案件が多い。
◇7年目以降:2020-2022
・2020
→東進ハイスクール・東進衛星予備校、北予備、水戸駿優予備学校、夕陽丘予備校、IRL、博耕房
※北予備出講終了
・2021-2022
→ 東進ハイスクール・東進衛星予備校、水戸駿優予備学校、夕陽丘予備校、IRL、博耕房
※水戸駿優出講終了
もう書き疲れた。それはさておき2020年からの数年を振り返るにはまだちょっと生っぽい。現在進行形のものが多いからね。
そんな10年目。今年も東進をメインに各所で頑張ります。
それでは。