2022入試 問題研究② 北海道大学の現代文
二週目は北海道大学の研究。一週目は以下のリンクから。
◇これまでの北海道大学問題分析
北大に関しては過去にもいくつかエントリーがあったりするので、こちらもご覧あれ。
毎年、中途半端に終わっているこの分析。今年こそは完走したい。
◇今年の問題について
・試験直後のやり取り
国公立前期試験の時期、東進で新講座(共通テスト対策現代文)の収録と、模試関連業務と、解答速報作業……が重なり、てんてこ舞いだったので、各大学の問題をまともに問題を見る時間が無かったのだが、Five schools/代ゼミの村上先生から「北大の大問2がおもしろい」との連絡を受け、とりあえず解いてみたという経緯がある。
その上で、大問1は普通の北大だが、大問2は非常に興味深い問題、と言える。
・出典分析
大問1 『手の倫理』 伊藤亜紗
九州大学と同一出典。毎年どこかとカブるのが北大。
大問2 『漱石深読』より「吾輩は猫である」 小森陽一
(引用を挟んで)冒頭二行で読めない人は読めないだろう、とは村上さんの言。本当にそう。
◇大問1
・本文の分析
⑴ 視覚と触覚の対比 その1(①~⑨段落)
→ 伝統的に視覚が上位に、触覚は下位に位置付けられてきた。それは視覚が理性(人間独特の感覚)、触覚が欲望(動物と共通の感覚)にそれぞれつながるという考え方からであった。
⑵ 視覚と触覚の対比 その2(⑩~⑭段落)
→ 視覚に比べて触覚は「時間的感覚」であり、「持続性が劣る」とされてきた。これは、視覚が一目で全体を確認できるのに対して、触覚は「部分を積み重ねるようにして」対象を認識するしかないということからそのように扱われてきたのだ。
⑶ 触覚の特徴 その3(⑮~㉘段落)
→ 触覚は「対称性」を持つ。これは、自分で自分の身体を触るときに「私が私に触れている」=「私が私に触れられている」という主客の入れ替え可能性を指す。このことで自分自身の物理的な輪郭を「発見する」ことができたのである。
・問一 漢字
「寓話」などはやや難ではないかな。5/7が死守ラインかと。
・問二 理由説明
<解答根拠>
論のまとまり⑴(①~⑨段落)の内容を踏まえて答える問題。今回は「視覚」が「精神的な感覚」であることを説明するので、視覚と精神の関係性が論じられている部分を探す。
すると、⑥段落に理性的に分析、判断することを可能とあること、そしてその対比として「触覚」が「物理的」な接触を前提としているところからこの部分を使用することが分かる。
そもそも。「精神」=「理性」が働くということが分かっていないとやや難かもしれない。(上記対比から考えることは出来るが)
・問三 理由説明
<解答根拠>
ここも論のまとまり⑴(①~⑨段落)に基づき考えていく。問1と合わせると対比の内容が整理できる問題。(来年以降のテキストに採用すること決定。)
記述の構文を考えると、「触覚の性質」が「動物と共通している」(=人間独特ではない)ということを示せばよいのである。その「触覚の性質」は⑥段落に書いてある。「接触」(=対象との距離がない)ことで「快不快」「欲望」とつながる。(=理性と異なるものであることを対比関係から読み解く)これが、「動物と共通する」ものなのである。この部分をまとめればよい。
意外とBが書けない?構文を意識して書かないと解答がややズレると思われる。
・問四 換言
<解答根拠>
論のまとまり⑶を利用する。ここは長いが、具体例をうまく峻別して読んでいくと(飛ばすということではないよ。)論に相当する部分は非常に端的であることにも注意されたい。
さて、今回は傍線部直前の「ここ」が「この触覚に主体と客体の入れ替え可能性」を指していて、さらに「この触覚」が「自分で自分の身体を触ること」を指しているので、この部分を使うのが一つ。
次いで、㉖段落にもこの対称性の説明がなされており、さらに「注意すべき」点として、「主体と客体は同時に主体かつ客体であることは出来ない」とあるので、ここを使うのがもう一つ。
以上2点をまとめる。
・問五 換言
<解答根拠>
例年通り、「文章全体から」考える問題。今回は論のまとまりが「触覚」の性質ごとに3つ(⑴~⑶)で出来上がっているので、そこをまとめる。
⑴・⑵が冗長になって⑶が圧迫されるという答案が多いことが想定される。
⑴・⑵は主に視覚(を中心とするほかの感覚)との対比なので、そのニュアンスも反映したい。
⑶は単に「主体と客体の入れ替え」でとどまってはならない。それが「自己の存在を明確にする」というところまでつなげてほしい。
◇大問2
・本文の分析
⑴ 現実と虚構の世界の線引きを猫が設定する(①~③段落)
→ 夏目漱石の『吾輩は猫である』冒頭の「吾輩は猫である…」のくだりにより我々は「猫の言葉を理解する存在」として虚構の世界に引き込まれる。一方で虚構の中の「人間」は猫の言葉を理解しないという複雑な境界線がそこには存在している。
⑵ 「吾輩」という語の翻訳不可能性(④~⑧段落)
→ 「吾輩」の語は本来複数形の一人称(We)だったのだが、そのうちに「尊大な自称」(I)を示すようになったのだ。そしてこれは「吾輩」に対応する二人称である「諸君」があたかも人々を代表しているかのように振る舞うこと、つまり当時の演説や講演を「パロディ」として揶揄しているのである。
⑶ 「無名性」と「存在」(⑨〜⑭段落)
→「吾輩は猫である」における猫は名前がない。そう、無名性を持つ存在だが、彼は飼い主との関係がありながらも、社会においては自らを他のものと峻別する「名前」を持たない存在である。そんな存在を世界に存在可能とするのが、「吾輩」という明治の日本語システムがあってこそのことなのである。
・問一 抜き出し
傍線部と2段落の1~2文目は同義である。その文に対して「なぜなら」と続いているので、解答の箇所が答えとなる。
・問二 言い換え
<解答根拠>
傍線部がIとWeへの分裂なので、それぞれの指す内容を明確にする。
使用箇所としては直前の「複数形の自称」「尊大な自称」を用いればいいのだが、構文に注意されたい。文章は「複数形の自称」が基本で、そこから尊大な自称として「も」「用いられるようになった」「派生した」というようにまとめなければならない。ここが中途半端な予備校の解答速報も多い。
・問三 言い換え
<解答根拠と所感>
やや答えがズレた。
設問条件が「どのようなことによってパロディ化したのか」なので、私は「吾輩という語の使用で、当時の演説や講演話し方を連想させる」ことまで必要なのではないか、と考えたが、どうやら「その使われ方」まででよかったらしい。むしろ、そこまでにしておかないと得点がつかない解答が多かったのか?という疑問が残る。
さて、解答根拠は、論のまとまり⑵を利用する。まず「尊大な一人称」とは「吾輩」のことであり、⑥段落にある通り、「君主や主筆の用いる一人称」である。それを⑧段落のように「猫族を代表させる」用い方をすることで卑小に扱う、揶揄していると言えるのである。こりをまとめる。
・問四 換言
<解答根拠と所感>
え、これでいいの?笑
後者って無名性の話……ではない気がするよ笑
これに限っては私と各予備校の解答の方がいいと思うけどなぁ。
とはいえ、採点者は大学。そちらを優先する。⑶のまとまり、⑪段落の「しかし」の前後、つまり譲歩内容(⑩〜⑪)と逆接後の内容(⑫)をまとめる。
そんなこともよぎったけど、短絡的すぎる気がしてならない。
・問五 理由説明
<所感>
解答例は解答例、という感じ。おそらく私の答えでも、各予備校の解答例でも高得点はいただけると思う。しかし、あくまでも今回は「吾輩」により猫が自ら語ることの出来る理由を、「明治の日本語システムの奴隷だった」という結果から考えるのであれば、解答例の答えは微妙にズレていると思われる。
よって、今回はあえて解答根拠や得点要素は載せない。
もし、この答えどうですか?という受験生の疑問があれば、このエントリーのコメント欄や私のTwitterのDM等におくってほしい。
この記事を書いた時期は2022年5月末だが、2023年でも、2024年でも、受験期に近づいたときに必要であればお応えしたい。というよりも、どういう答えを書くのかが気になる問題である。
◇北海道大学の対策として
論理構造を意識して文章を読むこと。これに尽きます。
大きく見れば論のまとまりであり、小さく見れば対比や因果、さらには譲歩逆接までである。そこを意識して読むことで、設問で求められていることがわかるだろう。
それでは。
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