技術系コミュニティの健全化論
技術系コミュニティ、たくさんあります。それ自体は良いことだと思います。
が、しかしですね、現状、色々と憂慮すべきこともあるんですよね。
波風が立つかもしれませんが、それを共有したいと思います。「波風を立ててでも」共有しないといけないと感じてる理由も、それ自体に起因するので。
「技術系コミュニティ」の定義
ちょっと最初に、これを書きます。これは別に、万人に納得して貰おうとは思いません。どちらかといえば、この文章のスコープ(言及したい範囲)のことだと思ってください。
何かというと、コミュニティ(的なもの)って大まかに、
推進するグループ的な人がいて、参加者がいる
特定の技術やソフトウェア、プロダクト等に興味ある人が、なんとなく集まってる
の、2パターンとあると思うんですよ。で、後者を「コミュニティ」と呼ぶかどうか、というのは人によるかもしれません。
が、この文章のスコープには、後者を明確に含みます。「コミュニティとは何か」という小難しいことを議論したいわけじゃないので、この文章はそういう前提に立っていると思ってください。それだけです。
鉄道の話をしよう
ところで私、鉄道が好きなんですよ。どちらかと言えば「乗る」のと「走ってるのを見る」のと「鉄道模型をいじり倒す」あたりなんですが。
で、鉄道趣味関連で言うと、いわゆる「撮り鉄」の問題って、鉄道に興味がない人でも、見たり聞いたり、色々感じたりされてると思うんです。
諸々のイベント(珍しい列車が走るとか)のときに、過剰に集まって鉄道関係者や他の利用者に迷惑かけたり、撮影地とかで粗相をやらかすタイプの人ですね。
あれ、すごい難しい問題だなーと思ってまして。
まず、「日本撮り鉄協会」みたいなのがあるわけじゃありません。故に、問題を起こした「撮り鉄」を、除名するとかっていう機構はありません。
また、少なくとも現在の日本では、鉄道写真を撮ることに免許や資格が必要ではありません。つまり、鉄道写真を撮るという行為を制限する根拠はないわけです。
もちろん、「鉄道の安全運行を阻害する形で撮影」とか、「私有地に勝手に立ち入って撮影」等は、別の法律に触れるので、事後的に社会的ペナルティは発生し得ますが。
なので、前述のような「日本撮り鉄協会」みたいなのを作ったとしても、そこが権威を持つことはできないし、迷惑行為を行う人を、そこに参加させなければ解決するか、っていうと、全然そういう問題じゃないのです。
そしてご存じのように、日本では私刑は認められていませんし、他の撮り鉄の行動を抑止する根拠とかはないのです。
つまり、迷惑撮り鉄がいて、それを何とかしたいと思っても。現実的にできるのは「言葉で注意する」のと「警察を呼ぶ」ぐらいなんですよ。
でも前者はまあ、それで片付けば理想なんですが、現実的にやらかす人って人の言うことなんか聞かないし、それ故にトラブルになるわけです。
そして後者は、公権力の介入でその場は収拾できますが、結果として「撮り鉄がやらかした」って事実は確定するので、被害をなくしたって話じゃないですし。
つまりですね、「一部の迷惑行為を行う撮り鉄の行動」を憂慮している鉄道ファンにとって、非常に頭が痛い問題なんですよ。少なくともそう感じてる人はそれなりに居る筈なんです。
とはいえ、まあ、できることって「あれはいけないよね」って否定・非難し続けることだけです。
「撮り鉄で自浄作用を」なんて言う人もいますが、前述のように、「どうすりゃいいねん」にしかならないのです、現実的には。
でもまあ、だからといって「どうしようもないから」と開き直っていたら、結局のところ行き着く先は、鉄道ファンがパブリックエネミー扱いされるだけなんですよね。
じゃあそれを防ぐにはどうしたら良いか、と考えたら。2つの理由で、せめて「迷惑行為はいけないよ」と言い続ける、迷惑行為をやった人を非難し続ける。これしかないのです。
2つの理由というのは、1つめが、そもそも誤った行為を許容しない空気を作っておく必要があること。そしてもう1つが、これはやや狡い考え方と取られるかもしれませんが、迷惑行為をする人の同類として扱われないようにするため。
あー、もちろん前提として、自分が迷惑行為をしない、ってのはあってこそ成り立つ話なので、迷惑行為はしちゃ駄目だと思ってますし、しないよう注意してますよ。自分も。
本題のコミュニティ論
ちょっと前置きが長くなりましたが、技術系のコミュニティ論に戻ります。
技術系コミュニティっていうのも、それこそ先ほどダラダラと書いた「撮り鉄問題」に近いリスクを抱えてるんですよね。
だっていわゆるIT系の技術を扱うには、基本的に資格は不要です。(IT周辺だと、たとえば電波関係の機材を扱うには、その出力等によっては免許が必要だとか、細かい分野ではありますが)
で、迷惑撮り鉄的なことになるリスクっていうのは、挙げるといくつかあって、
技術の使い方を誤って、自分または他人に被害を出す
間違った情報を流布することにより、それを信じた人に被害を出す
製品や開発者などに関する不正確な情報を広めてしまう
みたいなのが、ぱっと思いつきやすい感じでしょうか。
傍流的な話だと、学習をしようと思って質の悪い情報商材を掴まされるとか、不適切な技術情報を真に受けて、認識しないまま違法行為を行ってしまう、なんてパターンも考えられます。
でね、問題はそういう情報を発信する人に対して、コミュニティがどう対処するかなんですよ。
絶対いけないと思うのが、放置することなんです。放置しちゃいけない理由は、前述の「撮り鉄」問題に書きました。
コミュニティの在り方、すなわち主催者がいて、明示的にメンバーを固定しているようなところであれば、主催者がしっかりしていれば、問題になる情報を発信したメンバーに訂正を求めたり、それがうまくいかなければ除名するなんてこともできます。
が、主催者不在の自然発生的コミュニティではそれはできませんし、主催者がしっかりしてなければ、残念ながらそうもいきません。
つまりですね。撮り鉄も技術コミュニティも同じで、問題のある情報発信に対しては、「それをNOと言う(言える)」風土が絶対に必要なのです。これがなければ、行き着く先はコミュニティ纏めてのパブリックエネミー認定なんですよ。
ちなみに、ここで注意すべき点は、人は誰でも過ちを犯すし、初心者も世の中にはいるということです。
故に、間違った情報を非難することと、間違った情報を発信した人を非難することは、明確に区別する必要があります。
常習的に間違ったことばかり書いてるとか、金儲けのために情報商材を~みたいなパターンなら兎も角、間違った情報を否定することはあっても、間違った情報を発信した人の人格を否定しない。この区別が成り立ってこそ、健全な批判ができることは、肝に銘じなきゃいけないわけです。
馴れ合いはやめよう
「他人の意見を否定しない」ってのは、よく言われることで。それはそれで重要なのですが、特に技術コミュニティにおいては、「意見を否定すること」と「技術的な情報や、技術の使い方を(誤っているという理由で)否定すること」は、明確に区別されなければいけません。
そして、前者を錦の御旗に、後者を阻害することがあれば、そのコミュニティはそのまま、腐っていきます。
というか、前述のように、問題を起こしてそのまま、参加者や、或いはその技術を使う人全体までが、パブリックエネミーのような扱いを受ける可能性すら孕んでいます。
どんなコミュニティにも、それなりに発言力がある人とか、諸々の理由で尊敬されてる人っていうのは居る筈なんですが。
そういう人に対する批判を、尊敬されている人への批判だという理由で反発したり。あるいは、放置したり。
あるいは、情報発信に対する誤りの指摘を、情報発信者への攻撃と見なす。そういう人が居る限り、その技術的コミュニティの未来は、どんどん先細っていきます。
ですが、繰り返してきたように、問題がある人を除名するとかができない以上。
「健全な批判ができて、それを受け止める空気を作る」ことこそが、コミュニティの中に居る(特に)上級者に本来は求められる役割ですし、それを放棄したら、そのコミュニティは将来的に、パブリックエネミーになる予備軍に成り下がるわけです。
技術コミュニティ(あるいは「~クラスタ」)に興味がある、そこに携わっている、あるいはそこを盛り上げていきたい、と考えてる皆さん。
今のコミュニティの状況は健全ですか?
きちんと建設的な批判が機能する空気ですか?
間違ってることを間違ってると言った時、ちゃんとみんな反応してますか?
と、胸に手を当てて考えてみて欲しいです。
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