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「なるようにしかならない」を活用する

お前は○○なんだから××であるべき。

これ、僕が嫌いなフレーズの一位に燦然と輝くやつなんですけど、あろうことか、僕にこれを言ってくる人が後を絶たないのです。

「おまえはこういう人間なんだからこうすべき」というのは、だいたいは僕が一方的に損をして相手にかしずけという意味です。ひどいことに、その損を、苦しみを快感として感じろというマゾの勧めまであります。「苦しめ! そして喜べ!」というわけです。正気か。

だいたいの友達は僕が型破り(というか型がない)ことを理解してくれているので、そこはとてもありがたい。でも、そういう人ばかりというわけにはいかない。

無理なものは無理。できないものはできない。ないものはないのです。それを「お前は〇〇なんだから」どうにかしろと迫るのは、ただただ追い詰めているだけなのか、ただの駄々っ子です。いい歳して池袋の乗り換え通路で寝そべって要求を泣き叫ぶのはマジで止めてください(やられたことがある)。

ヒトの自由とは、ヒトに危害を加えない範囲までです。

駄々っ子を超えていけ

さてさて、今回の本はこちら。型どおり、というか、無茶が織り込まれた「常識」を捨て去り、本当にできること、自然であること、意味があることを突き詰めるのが一番よいよという本です。

本書で引用されている、松下幸之助のこの言葉、これがすべてです。

「別にこれといったものはないが、強いて言えば、“天地自然の理法”に従って仕事をしていることだ」(松下幸之助『実践経営哲学』)

天地自然の理法。儲ける算段もないのに「稼いで来いや」と営業を出撃させたり、プロダクトができそうもないのに「来期の収益は倍になります」と言い放ったり。無茶もたいがいにせえよと言いたくなることはビジネス界には多いです。

できることしかできない。ないものはない。それに尽きるのです。

だから、できることを着実に増やす。ないものはきちんと手に入れて用意しておく。そういう根回しこそが、経営サイド/リーダーサイドのお仕事です。そういうこともせず、ただ現場の人々を死地に追いやるのはリーダー失格です。

けれども、これまで、こういう男気溢れる声のでかいリーダーが「リーダーらしい」とされたんですよね。弱音を吐かず、「やれる」と「やれ」しか言わないような人が。

んで、未達になったら部下を詰める。よくまあそんなもので仕事を回せてきたものです。それで達成できるのはチームの成果ではなく、リーダーの保身だけです。そんなものに巻き込まれちゃたまらない。

なんのために

大事なのは、自分たちは何のために仕事をしているのか、です。組織図で考えるならば(組織図好きじゃないんですが)、部はひとつの大きなミッションを負い、課は部のモジュールとしてミッションの一部を担います。

つまるところ、課員は課の成果を最大化するために働きます。この考え方、人間を部品のように見なしていて、あまり人道的でないので好きではないですが……。

ところが、課のアウトプットを最大化するよりも、自分の出世を第一目標においてしまう人がいます。もっとひどいと、そのときそのときに上の人に媚びるためにコロコロと課員の仕事を変える人がいます。

「沈みゆく船で特等席を争うな」

「臨機応変」は仕事にとって大切なことですが、その源泉が「課長が部長や役員におべっかを使った結果」なら非常に情けない話です。これで課長の出世は早まるかもしれませんが、仕事の本質からかけ離れるほど、部下はしらけます。一発しらけさせると、取り返すのには何年も要します。そもそも、その部下は来年もその部署にいてくれる保証すらなくなります。

大事なのは、その会社がなんのために存在しているのか? その部が何を担っているのか? その課がミッションに向けてどんな貢献をしているのか? です。これらがハッキリと述べられないと、ダメです。ダメダメです。

「そうは言っても君、これがサラリーマンなんだよ」と言う人もいいます。大人になりなよと。でも、僕からすれば、自分で考えることを放棄して、場当たり的に、目的にそぐわないその場限りのことをしているのは滑稽です。その間に諸外国のまともな企業に追い抜かれていったんでしょうに。

そんなことに命を使うのは楽しいですか?

まじめに生きていればこそ、サラリーマン演劇を一日八時間以上して、成果に結びつかないこと、社会をひとつもよくしないことをしてお金をもらって有限の時間を無駄にしていくことに耐えられないはずです。

では、どういうことであれば、有意義な時間と言えるのか。

こればかりは人に依りそうですが、多くの人が「会社はつまらないが、我が子を育てるのは楽しい」とか言っているのを聞けば、労働の喜びの中には利他がありそうです。

そういえば、「この仕事に就けば多くの人を幸せにできると思ったのに、結局は弱者から巻き上げてるだけだよ……」という辛い言葉を聞いたこともあります。そうです。誰だって、最初の就職のとき、この会社は人のためになると考えて就職したんじゃなかったんでしたっけ。

それが何年も経つうちに、会社はお金をもらう場所と割り切ってしまう。プライベートを充実させるためだけの資金源と成り下がる。ひどい場合は、つまらない仕事がプライベートを侵食するという矛盾に悩まされながらも、それを無視する。そんな大人になる。

夢を持って入社する若者を迎えるのは、そんなボロボロの大人たちです。そりゃあかみ合うわけがない。若者は「人を幸せにしたい」と言う。大人たちは「トップライン拡大!」「CAGR○○%!」と叫ぶ。

強権的なリーダーが顧客の不幸を生む

かくして、大人たちによる若者の矯正が始まります。ガキのような夢物語は捨てて、とっとと稼いでこい、稼げばおネエさんのいる店に連れてってやる——そんな世界観に沈めようとさえするでしょう。

徹底的に、「自分は何をしたいのか」「何で喜びを感じるのか」を麻痺させにかかります。上っ面だけの狂宴が始まり、浮き足立ち、怒濤の三十年を過ごせば、あとに残るのは何もありません。退職金はもらえるかもしれませんし、それで配偶者やお子さんは潤うかもしれません。

でも、何かが違う。

それもこれも、若手のうちに思考を止めて疲れ切った大人の言いなりになり、そして自身も思考停止した大人になったせいです。

それで済めばなおいいでしょう。でも、もはや終身雇用は破綻しています。思考停止した中年など、社外で誰が必要とするでしょうか。

さて、よく考えてみてください。思考停止営業マンがあなたの家にやってきます。徹底的に要らない高マージン商品を売りつけてきます。「なんでわたしがこんなものを買わなきゃならないんだ」と問うても、「必要ですので」「セットでないと売れませんので」などと返してくる。

どこにそんな規約があるのかと訊いても、まともな返事はない。あるはずがないんです。だってそうでしょう。この営業マンは上司に「あの客に高マージン商品を売りつけてこい」と一喝されて会社を出てきただけなんですから。場合によっては、「でなければ稟議をとおさない」とまで脅されている場合すらあります。あなたにそれを買う必要はなくても、営業マンには売る必要がある。ただそれだけなのです。

ここで、異様に会社に適応してしまう人も出てきます。抱き合わせではない商品を抱き合わせでないと売れない仕組みであるかのように語ったり、必要ない商品を必要かのように錯覚させたり。ひどい場合は、「このサポート契約さえ買っておけば、あなたが上司から責められる心配はないですよ」と下品なメリットを持ちかけたりします。

おかしいな。本当の目標は、自社が社会をよくすることを手助けすること、そして顧客企業が繁栄することを手助けすることだったはずなのに。

幸福が先

現代では、強権的なリーダーは時代遅れになりつつあります。上で述べたように、強権的リーダーは会社と社会の不利益を生みます。強権的リーダーもまた、その上の強権的リーダーに脅されているわけですから、意味のわからない命令が降ってきても反論できない。よって、意味のわからない命令がそのまま最底辺の平社員にダイレクトに降りかかります。労働の喜びなんて、あっという間に消え去ります。

『Being Management』では、古いタイプのリーダーは「孤独でつらい」のだと言います。決して弱音を吐かず、誰にも相談できず、自分ですべてを決める。舐められないよう、弱みを見せてはいけない。

僕は、これについては部下も共犯者なのだと思っています。部下は偉い人を自分と同じ人間だと見なさないのです。偉い人なんか理不尽な命令を与えてくるから嫌いだが、その不始末は全部偉い人のせいだと思っている。偉い人がどれほど苦しもうが知ったことはない。部下同士で集まって上司の悪口を言って楽しむ。

こうなれば、上司のほうだって部下を人間扱いするのをやめます。理不尽な命令を繰り返し、未達なら詰めます。潰れても取り替えが利くとさえ考えるでしょう。実に不幸です。

本当はどちらもただの人間なのに。

本書によれば、新しいリーダーは「楽しい」から支持されるのだといいます。部下は「楽しさ」や「喜び」を与えてくれるからついて行く。

また、本書では、成果はあとだと言っています。成果が上がるから幸福になるのではなく、幸福であるから成果が上がるのだと。

仕事における成果の概念図
A (疲弊する組織)
  頑張る・根性、努力 → 成果 → 幸せ → (ループ)
B (生き生きした組織)
  幸せを感じる → (情動・感情) → 成果 → (ループ)

以下も非常に印象的な箇所です。

「どうすれば社員を頑張らせられますか」「どうすれば根性のある社員に育ちますか」といった質問をなさるのです。
私はこの質問に返答することはできません。
「船橋屋」では、「努力」や「頑張り」が成果につながるとは考えていないからです。むしろ、われわれの「人財開発」は、まず「努力」や「頑張り」を否定するところから始まります。
(『Being Management』)

陳腐なMVVの代わりに

多くの会社は、「お客様のために」とか「お客様のベストパートナー」みたいな浮ついた言葉をミッション、ビジョン、バリュー(MVV)に掲げます。これらMVVのいずれかに、「お客様のために」と書いていない会社を探すのが難しいほどです。

ところが、その実は、結果に結びつかない無茶なゴールを立て、無為無策にも拘わらず、なぜできないんだと駄々をこね、部下を詰め、サプライヤーに無理難題をふっかけ、……という狂気のお祭りを年がら年中やっているだけになっているところも多いと聞きます。

また、社内では同業他社と比較して勝った負けたばかりを議論していて、ちっともお客様の方を向いていないということもあります。若手が「お客様のために、こういったことを始めるといかがでしょうか」と提案しても、他社がどこもやっていないからやらない(他社が始めたらやる)という返答を、役員レベルの人が大真面目に言ったりするようです。

とことんまでに従業員を腐らせて、そのうえでお客様のもとへ送り込むのです。考えてもみてください。そういう人に来てもらって嬉しい人はいますか?

お客様を幸せにするような従業員をつくること。それが先決だとすれば、まず従業員を幸せにすることからです。社内政治に明け暮れない幸せな従業員を増やすことは、きっと社内の精神的な健康にもいいはずです。

通底するのは、人間のあるべき姿を否定して、機械のパーツのように組み込み、無茶な要求をすることを辞めよう、ということかと思います。

なるようにしかならない。と言えば、なんだかなげやりな風に聞こえるかも知れませんが、だいたいの問題はここに集約されるように思うのです。何のプロダクトもなく、人もまともに雇えず、汲々としながら魅力のないサービスを売れと怒鳴るだけ。それは、自然の理法によるとならないことです。なることへ舵を切るべきでしょう。

慣例だとか、みんなやってるからとか、そういうのはぜんぶ放っておいて、人間(あなたが・あいてが)が何を心地よいと思い、どういうときに力を発揮できるのか、ちゃんと目を向けるべきでしょう。なるようになるのは、きっとそのあとの話です。

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