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慣性なんてぶっとばせ④

この『慣性なんてぶっとばせ』シリーズは⑤が最後になります。今回は最後の一個前ですね。

昔、水泳をやっていた中学生のころ、バタフライの足(ドルフィンキック)がばらけていてバタ足になっていると指摘を受けたことがあります。自分ではまったくわからなかったのですが、そう言われるので仕方がない。

なるべく意識をして両脚を同時に動かすように努めたのですが、コーチから見ればまだばらけている。らしい。僕にはそのあたりがどうもわからなかったのです。で、どうしようもないので、コーチに両脚をロープで縛られました

これでどう足掻こうが両脚まとめてしか動かせません。こうして僕はドルフィンキックの習得へ向けて邁進したのでした。

……というか、今思い返せばぞっとしますね。安全性なんてへったくれもない恐るべき練習法。おかげさまで、ドルフィンキックは身についたようです。とはいえ、実はその辺の実感はないんですよね。

ただひとつ、明確にわかることは、人間は手足をロープで縛られていても泳げるようになるということでしょうか。

フィードバックよりも前に、そもそも……

同様に、ここ最近、ビジネスシーンでよく叫ばれるようになったワードは「フィードバック」ですかね。自分では自分のことがわからないから、誰か自分を見ている人に指摘をしてもらうというものです。

「フィードバック」が「圧倒的成長」につながっているというのは、なんというかもはや「常識」の域であって、フィードバックとか別にいいですとか言いだそうものなら、サボリーマンの烙印を押されんばかりの勢いです。

本書、『仕事に関する9つの嘘』では、面白い実験が紹介されます。

まず、工場の作業効率をアップさせるべく、ラインの照明を上げる実験をします。明るくなると、ライン作業員のパフォーマンスが上がります。ここまでは想定通りです。

そのあと、今度は照明をもとの暗さに戻してパフォーマンスが落ちることを確かめようとします。パフォーマンスが落ちれば、ライン作業員のパフォーマンスは明るさと関係があることが判るはずです。

ところが、照明を落とすと、作業員のパフォーマンスはまたもや上がってしまったといいます。

人は適切なフィードバックで成長もするのでしょうが、それよりも、そもそも適切なフィードバックをくれる人がいるということ、「誰かが見ていてくれている」ということで伸びるのだと言います。

まずは暖かな注目を向けること。これに勝るものはありません。

当たり前のように思うかもしれませんが、エンゲージメントに資するのは、
ポジティブフィードバック>>ネガティブフィードバック>>無視
という順になります。

邪魔な部下がいて「こいつ潰したいな」と思えば、とにかく無視をすればいいのです。声掛けに答えず、提出された資料を読まず、ほかの人をべた褒めしているところをあえて見せればいい。これであっという間につぶせます。

部下を導いたり成長させたりするのにはきめ細やかなセンスと広くて深い知見が必要になりそうですが、あらま不思議、部下クラッシャーにはすぐにプロ中のプロなれます。

「きついお灸」の効能

さて、無視よりましであるネガティブフィードバックでも、相手を一時的に機能障害レベルまで劣化させる欠点があります。これは、「厳しいフィードバックが人を育てる」という宗教の信者になっている人には信じがたいことかもしれません。

でもよく考えてください。人間は「闘争-逃走ストレス反応(fight-or-flight response)」が起動しているとき、原始的な脳はまず命を守ることしか考えられなくなります。そういう状態のときに、創造的発想など無理です。

どんな素敵なネガティブフィードバックでも、相手の創造性を失わせることになるのです。相手を身構えさせたらそこで終了。

戦前のアメリカの指導者には、人に改善点を渡すときは、日頃の仕事ぶりを称賛して、感謝を伝えてから、「もうちょっとこの部分はこうしてもらえると嬉しいな」などという伝え方をしていたという有名な話があります。

かの徳川家康もそうですよね。家来を叱るとき、まず呼んで日頃の行いや功績を褒め、その後で、あの失態はどうもお主らしくないな、などと言う。フィードバックのお手本のようなやり方ですね。

これらの話だって長く伝えられてきている真実であるのに、どうも「厳しいフィードバックほどありがたい」みたいな話の方が根強く広がりがちです。指導する側が怠慢なのか、指導される側がドMなのか、そのへんはよくわからないところ。

ポジティブフィードバックは脳に合っている

そうすると逆に、いいフィードバック者になりたいと思えば、ポジティブフィードバックを重視すればいいのだということになります。

これは脳のつくりとしても理に適っているようです。脳のニューロンは、「すでに育っている部分がちょっと伸びる」ことしかしません。ゆえに、そもそも下手なことを直せと指摘するよりも、その人が得意なことを伸ばすほうがずっと効率がいい。

そんなことで部下は伸びるのか、という疑問はあるでしょう。「仕事舐めんな」みたいな声が聞こえてきそうです。が、部下Aが苦手なことは部下Bに配分して、部下Bが苦手なことは部下Cに配分して、……という仕事の戦術的配分はチームリーダーの仕事です。それができないとしたら、部下の責任ではなく、リーダーの怠慢なんです。

(この、個人は尖ってチームはオールラウンドというのは、慣性なんてぶっとばせ③で説明した概念です)。

それでも、もし、部下本人が苦手なことをやりたいと言っているなら、それは一緒に考えてあげればいいのだということです。

ただし、アドバイスは禁物です。世間で「助言」と呼ばれているものの大半は、自分だけに有効な一連の戦術を並べ上げたものといいます。つまるところ、何かの攻略法は、自分にだけ有効だった方法にすぎないということです。

自分にしか有効でない方法を、自分ではない人に伝えたところで意味はありません。その人にとってベストな方法を一緒に考えてあげることでしか、その人ができるようになる方法は見つからないのです。

「おい、上達したいならこれをしろ」ではありません。

正しいセリフは、「これを達成するには、君にはどういう方法が合っているのだろうね」です。

はて。「お前、足ばらついてんじゃん。ちょっと来いや、ロープで縛るわ」ってのは、正しいフィードバックだったのか。正しいコミュニケーションだったのか。どうなんでしょうね。

(慣性なんてぶっとばせ⑤へ続く)

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