3日前の自分、病みすぎ

思うところあって、この記事の公開3日前に結構な量の下書きを書いてた。えげつなく落ち込んだ文章を。そのままだと厨二病ノートとほぼ同義みたいな内容なんだけど、落ち着いて読み返すと教訓も得られたので書き足して公開しようと思う次第にて御座候。まずはその落ち着いてないときに書いた文章をどうぞ。くっらーい自分語りが2000字以上続くので覚悟してね♡


残ってた鬱下書き大公開

前々から気付いてはいたけど、入れ込んでるものが全然ない。笑い事じゃないレベルで。そういう危機感について。

何があったのか

数年前から自分のことをネット文化・サブカル系のオタクだと思ってきた。その遍歴はこんな感じ。
小学生のころ、友人の多くがなぜかニコニコとかのミームを好んでいて、当時まだインターネットが何かもよく分かっていなかった僕はそれを「なんだこいつら」と思いながら見ていた。その辺は別の機会に書くかも。その後、中2になってパソコンを買ってもらい、YouTubeなんかを見ているうちに昔聞いたフレーズの元ネタを発見していく。長年(といっても長くて5年くらい)の謎が次々と成仏してゆく爽快感とともに、僕はネットを好きになっていった。
中3の秋、美術の課題が終わらなかった僕はパソコンで動画を流しながら作業を続けていた。その頃にはもうニコニコというものを覚えていたので、YouTubeとほぼ同頻度で利用していた。西暦では2019年。春に亡くなったwowakaさんの楽曲が多く再生され、トップページなどで頻繁に目にした。それを聴いてボカロが好きになった。「ニコニ広告」という、いまでいうスパチャの変種みたいなシステムにも夢中になった。あとYouTubeでは平沢進なんかもなぜかおすすめされるようになり、これにもハマった。何より、にじさんじを知った。コレが大きかった。当時からVTuberやキズナアイという名前くらいは知っていたけど、御伽原江良という人生初の「推し」に出会ったという点において、それは衝撃的なファーストコンタクトだった。そこからはVTuberというコンテンツに入れ込む日々。のちにVOMSとなるプロジェクトをGYARIさんが始めたときはリアルタイムで説明配信を観たし、ハマる前の配信も切り抜きを活用しつつ可能な限り追いかけた。
そうこうしているうちに2020年春。高校生活とほぼ同時にコロナ禍が始まった。6月末には前回書いた大ノイローゼ時代が幕を開け、胃を痛めて寝ている時間が増えた。それでもVTuber熱が冷めることはなく、枕元のパソコンで配信や切り抜きを観る日々が続いた。ちなみに、このとき活字を読むのもしんどくなって読書習慣が死滅し、戻らないまま今日に至っている。

これ、その一番ヤバい時期に聴いてた気がしてたのに投稿日見たら結構後だった。どうなってるんだ…
その後、徐々に学校が再開したりノイローゼが収束したりギバラが卒業したりと色々あって、いつの間にか全盛期ほどの熱もなくなってきていた。別にそれは構わんのだ。あんまり必死すぎるとバテるし。問題なのは、その減った分の熱が他に向くでもなくただ消えたこと。エネルギー保存の法則が崩れている。プロセカをゲートウェイドラッグ(?)として音ゲーを触るようにはなったし、思い立ってシャニマスを始めたり、ちょっと雀魂をやってみたりもした。が、全部ものすごくライト層。どう考えても熱量が釣り合わん。

人間失格?

この文章を書くに至った直接的動機は、これ。

ちなみに画像の出典はコチラ。

知り合いでもないのにこれを読んでいる有徳の士がいるかもしれないので念のため説明しておくと、この「日本橋」は大阪の方、アキバと並び称される西のオタク街である。そこに4時間いてなーんにも買わなかったというのだからこれはヤバい。もう少しメンタルが弱かったら世を儚み毒を飲んで死んでいたかもしれない。
とまぁ、かぁーなりショックだったんだけれど、具体的に何がショックなのか解像度を上げるには時間がかかった。別に物欲が枯れて悲しいわけではないということは最初から分かっていたが、だとしたらなぜこんなにダメージを負っているのか?これについて考えてみると、けっこう深刻で絶望的な話になってきた。
改めて現状を確認すると、色々なものがそこそこ好きなはずなのに、どうも買う気にならない状態。重要なのが、この「買う気にならない」の中身が「出費が痛い」みたいな理性的判断とはどうも違うっぽいのだ。バイトこそ一向に決まらないものの焦るような話ではないし、まだまだ貯金は潤沢に残っている。つまり経済的に困窮するにはよっぽどの豪遊をする必要がある。何より、僕は今や独居大学生だ。自分から入れない限りは誰にも部屋を見られないし、モノを陳列する空間なんていくらでも作れる。それならば、この状況はどういうことか。
しばらく考えて、例の「深刻で絶望的な」結論に到達した。「買う」という行為の心理的ハードルを、あらゆるコンテンツへの熱意がどれも超えられなくなっているのだ。高額商品を買うか悩んで「ハードルが高い」などと言うときの、あのハードル。VTuberにせよアニメにせよゲームにせよ、安くて見栄えの良いグッズなんて山ほどある。現に缶バッジとかで数百円のが大量にあったじゃないか。アクスタだって高くて3000円かそこら、大体1500円くらいだろう。それにお財布にはキャッシュカードが入っていた。それなのに、そのハードルに負けたのだ。この価格帯における心理的ハードルは、もう別名を「無気力」とか「怠惰」という。流石に我ながら引く。人間失格。人である意味がない。

末路が見える

『岡本太郎式特撮活劇 TAROMAN』に、「未来を見た」という奇獣が登場する。

コイツは人間に未来を見せ、将来への期待や展望を失わせて無気力人間を大量発生させた。コイツの因果関係を逆にすると我が哀しき現状に似ている。無気力人間すぎて将来の展望もへったくれもない。この状態を「末路が見える」と名付けよう。笑えんわ。

進展があったよ

…とまぁ、ものっそい絶望感がにじみ出た文章。こっから数日で立ち直れるんだから人って偉いもんだよ。
んで、その立ち直るに至った直接の理由があって、こっからはその話。単刀直入に言うと、高めの買い物して人権回復してやりましたぜ。

お買い物したよ

コレの小清水透モデルの方をポチった。前回の記事で書いたように、あと10か月ほどでタバコデビューすることはほぼ確定している。そこにきてZIPPOだ。買うほかあるまいよ。
こんだけ直球ド真ん中な衝動買いができるなら、上記のような悲観をする必要も大してないのではないか、というお話になってきた。それでショックがいくらか軽減されたし、あのテンションのまま下書きを書き進めるほどの悲壮感もなくなった。ということで、こういう形式で他人事みたいに書き足す形となったわけですわ。

けつろん!

人間の知性とか人格なんてブレるもんなので、ある時点でクソみたいに無気力でもあんまり気にする必要ないんだなぁ、という話に帰着した。その日が大下振れデーだったというだけで、それを根拠に己の人間性とかまで否定しにかかるのはネガティブでナーバスだよな、っていう。普段が能天気なだけにこれまで気付いてこなかったし、逆に一度気付いたら目立っちゃったけど、たぶんそういう日って誰にでもあるんだと思う。今後はこういう暗い感情のフィードバックを起こさないように注意したい。まだ3日しか経ってないのに自分の闇っぷりに引いたもん。怖すぎ。
最後に、今回再確認した我が信条のひとつを紹介して今回はおしまいにしようと思う。皆様も教訓として肝に銘じてほしい。

男のメンヘラに需要はない!

ではまた次回。

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