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向きは意志だ:人生を(スパルタに?)編集する方法について

「中国にはこんなことわざがある。『木はいつ植えるのが一番いいか?二十年前』ってね」
中国人技師はほほ笑む。「面白いね、それ」
「『その次にいいのはいつか? 今』」
「ああ!なるほど!」。
彼の笑みが本物に変わる。彼は今日まで、何も植えた経験がなかった。
しかし二番目にいい時期である”今”は長く、すべてを書き換える。
―『オーバーストーリー』リチャード・パワーズ

編集スパルタ塾という企画講座がある。下北沢B&Bにて2013年から始まり、今年で8期目を迎える。

主催は編集者の菅付雅信氏。昨年は、WIREDの人気連載『動物と機械からはなれて』の書籍化をはじめ、編集した片山真理の写真集『GIFT』は木村伊兵衛賞を受賞、企画したアーティスト・武田鉄平の初個展では、無名ながら全ての絵画が数年待ちと、写真を中心に領域を横断してインディペンデントな編集活動をつづけている。

そんな菅付氏による実例豊富な編集講義を彩るのは、多彩なゲスト講師たち。

・『ブルータス』編集長 西田善太氏
・スマイルズ代表取締役社長 遠山正道氏
・『WIRED』日本版編集長 松島倫明氏
・NHKエンタープライズ プロデューサー 河瀬大作氏
・電通 エグゼクティブ・クリエーティブ・ディレクター 高崎卓馬氏
・電通 エグゼクティブ・クリエーティブ・ディレクター 菅野薫氏
・サンアド アートディレクター 葛西薫氏
・「くらしのきほん」編集主幹/エッセイスト 松浦弥太郎氏
・NAOTO FUKASAWA DESIGN プロダクトデザイナー 深澤直人氏
・ゲンロン創立者/哲学者 東浩紀氏
・Tha Ltd. インターフェイス・デザイナー 中村勇吾氏
・「週刊文春」編集局長 新谷学氏
・博報堂ケトル 嶋浩一郎
・numabooks 内沼晋太郎
(第8期で既に発表済のゲスト一覧。ここから更に追加発表アリ)

編集・広告・デザインを中心とした講師からの課題に、2週間で企画提出。菅付氏による事前選抜を経て、毎回10名程度が講師の目の前でプレゼンし”スパルタな”講評を受ける。ゲスト賞が毎回一人選ばれ、年間の最優秀賞に選ばれると、受講料分のB&B商品券がもらえる(実質全額キャッシュバック)。過去にはプレゼンをきっかけに講師と話ができ、転職が決まった人もいた。

参加者は、広告代理店や出版社、デザイン事務所で勤務する人が比較的多いが、全く違う業種・職種の方も、学生の方もいる。バックグラウンドやスキルの違う人達と、1年間という長期間、密度の濃い時間を過ごせる企画講座は珍しいかもしれない。

世の中に企画講座はたくさんあるが、ひとまず、一人でも会いたいと思った講師がいたら申し込む価値はある。また、時代を超えて活躍しつづけている経験豊富な講師陣からの言葉は、今すぐに役に立つものというよりは、時代に流されない普遍的な言葉が多かったように思う。(だから、SNSで話題の新進気鋭のクリエイターに会いたい!というような人には、もしかしたら合わないかもしれない。)下北沢の地下で、人知れず夜な夜な開催される、いぶし銀な講座。それが編集スパルタ塾だ。

ここまでは、一通りのスパルタ塾の紹介。実は今日が第8期の初回授業で、今期はオンラインでの参加も可能なように準備されているそうなので、少しでも何かが引っかかった方はとりあえず電話やメールしてみると良いかもしれません。

以下は、この講座に時間を置いて2回参加した自分が感じたことの備忘録です。

自分が面白いと思えることを考えつく自信がなかった

2014年、友人の紹介で、下北沢B&Bのインターンスタッフとして編集スパルタ塾第2期に参加した。会場の準備・後片付けと、参加者のプレゼンの取りまとめ、講義の文字起こしをする代わりに、講座がタダで聞ける。大学2年生当時、なんとなく広告とかデザインとかクリエイティブってかっこいいな!と思いはじめたぐらいの自分は、講師陣の名前を見てもあまり知った名前は多くなく、まぁとりあえずすごい人の話聞けるんでしょ?とゆるふわな気持ちでB&Bの後ろの方に座っていた。

最初のゲスト講師はBRUTUSの西田編集長。菅付さん曰くスパルタ塾の名物講師たる西田さんは、ちょっと驚くぐらいスパルタだった。その時の課題は「BRUTUSの映画特集を考えよ」。受講生の人たちも、初回の課題ということで気合を入れている。力のこもったスライドも多かった。みなさん話も上手で熱がこもっていた。でも厳しい講評だった。「マーケティングは絶対にしない」という言葉の通り、明確な彼独自の基準によって白黒がはっきりと判断されていた。その言葉は、圧倒的な映画と映画以外の知識、そしてBRUTUSを背負ってきた経験に裏打ちされた、自分が言うことは絶対に面白い、という自信に満ちたものだった

有名な広告とかデザインだけをつまみ食いしたり、やっとアカデミー賞の話題に興味を持ちはじめたぐらいの、ゆるふわなカルチャー好きだった自分は、これはどう足掻いても勝てないと思った。

東浩紀さんも凄かった。とてつもない早口で、あらゆる角度から批評していく(文字起こしがえらく大変だった)。彼も、彼自身の先鋭化された(ある意味では強烈に狭い)ストライクゾーンに入らなかった提案を、片っ端から切り落としていた。批評家って職業がどういうものかよく分かっていない自分にとっては、本当に容赦がないものに感じた。

当時インターンスタッフは、「やる気があったら課題出してもいいよ」と言われていた。でも、大の大人が、それもプロとして働いているクリエイターの人たちがボコボコに言われているのを見て、正直とても怖くなった。結局その一年は一回も課題を出さなかった。そもそも課題に取り組むこともしていなかった。それは、講師に何か言われるんじゃないかという恐怖はもちろん、自分が面白いと思うことが考えつく自信がなくて、そんな自信のないことを発表する勇気もなかったのだと思う。なんだか面白そうと思ったクリエイティブという世界が、とても遠くにあるように感じた。

いまの自分を、過去の自分が見ている

2019年、今度は会社の同僚に誘われてスパルタ塾に通うことになった。正直気が乗らなかった。あれから5年が経って、広告代理店に入って企画の仕事をするようになった。楽しいと思うときも、自分は向いているんじゃないかと思うときも増えた。他の企画講座にも通って、講師賞をもらったりもして、少し自信がついてきたかもと思うこともあったが、スパルタ塾だけは気が重かった。あのプレゼンの場に自分が立つ。そして自分の企画ですと発表する。しかも、もうインターンではなく、一人のプロとして。言い訳はできない、あーもう逃げられないところに来てしまったんだと思った。

やっぱり最初の課題は西田さんからで、課題は「BRUTUS40周年記念号の企画を考えよ」。2020年はBRUTUS40周年の年。ポップカルチャーの総合誌として、オリンピックイヤーに何を特集するべきか?自分が出した企画は「みんなの終わり方」というものだった。

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オリンピックに向かって盛り上がってきた東京、日本。その盛り上がりは、当たり前だけど永遠ではない。人も、雑誌も、街も、いつかは必ず終わりが来る。BRUTUSは40周年、人間で言えば40歳。ちょうど、働き盛りな一方で、人生の折り返し地点にも近い。そんなタイミングだからこそ、少しでも前向きに終わりに向かうために、この先も楽しく生き続けるために、みんなで一度終わり方を考えてみませんか。そんな企画だった。

40歳になる文化人へのインタビュー、人生の先輩との対談、終わりをテーマにした映画や本、死に際の身の回り品の選び方、世界の葬送のあり方から、もし今生きていれば40歳だったかもしれない人への思いを語る企画まで。時間の許す限り、考えられる企画を込めた。

プレゼンの評価は、上々だった。西田さんが、これが企画だ、と言ってくれた。君は雑誌を一冊作れるんじゃないかとまで言ってくれた。それはとても嬉しかったけど、多分一番自分にとって良かったのは、BRUTUSを題材にして、こうしてここに上げてもいいかなと思うぐらいの企画を考え、プレゼンできたことだ

この5年、自分は何よりも、ポップカルチャーの良い企画を考えたかったのかもしれない。音楽や本に救われてきた。広告とかデザインってかっこいい。アートや映画が好きだ。でも自分はアーティストや作家ではない。そんな自分でも、脈々と受け継がれてきた人間の歴史と、誰も見たことがない新しい景色をつないでいくカルチャーという世界に少しでも関わりたかった。ずっと憧れてきた、そんな自分自身だけは少なくとも納得させられる企画を考えたかった

この企画は、実際に考えてプレゼンを作ったのは丸3日ほどだったけど、この5年間考え続けてきたとも言えるのかもしれない。音楽や本をもっと好きになった。広告やデザインが何たるかをちょっと学んだ。アートや映画に詳しい友人と時間を過ごした。アーティストや作家と一緒に仕事をできる立場にもなった。今はまだ、誰も見たことがない新しい景色を作れたとは思わない。

でも、このプレゼンを経て、自分が好きなものは、自分が良いと思うものは、少しは人の心を動かせるのかもしれないという、一握の自信のようなものが残った。漠然としていたクリエイティブへの憧れが、カルチャーに携わる一人として自分の背筋を正すようになった。

いま何に向くかで、今まで何に向いてきたかさえ変わる

遠く未来に目標を掲げて、それに向かって一直線にひた走ることは理想的だしかっこいい。自分だって、もっと早く物心ついたときからカルチャーの魅力に囚われていれば、そこに対して盲目的に努力を重ねていれば、今ごろもっと、自分が憧れるかっこいいクリエイターの仲間入りをしていたかもしれない。

でも自分はどうやら、そこまでまっすぐに進めないようだ。そのときに憧れるもの、いま見たい景色に向かって、ちょっとずつ方向を微調整しながら進むことしかできない。(時代も社会も高速で移り変わる中で、一直線に進むことはもっと難しくなる、どころか正しくないのかもしれないけど。)

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思うに、人はある程度のゆるくて幅のある道を歩いている。(目標に対して一切の無駄や寄り道を許さない態度はかっこいいけど、よほどストイックでも難しいことだと思う。)今この時点にたどり着く入射角は、案外広い。それは、この先に選べる反射角も案外広いということ。だから、今この瞬間にどちらに向くかで、この先何にたどり着くかはもちろん、今まで何に向いてきたかさえ変わるのかもしれない。どの道を選ぶかによって背負うべき装備が違うように、自分がフラフラとたどってきた道の中で出会った人、もの、ことから何から大切だと選び取るかは、自分が今何を向くか次第だ。

今この時点の向きや不向きというものは、今まで向いてきたか向いてこなかったかの帰結でしかない。だとしたら、向きは意志だ。向いたら後は、前に進むだけ。過去の自分はどんな角度からでも見てくれている。だからいま、何を未来にしたいかだけを考えればいい。違うと思ったら、ゆるやかな方向転換を繰り返せばいい。寄り道も迷いも、未来から見たら誤差になる。

そして自分がこれからつくる未来は、誰かにとっての過去になっていく。誰かが、勝手に自分の過去にしていく。歴史は、カルチャーはそうして、ゆるやかに蛇行しながらつづいていくのだと思う。

わかった風に生きようと思う

スパルタ塾という場所を5年越しで通り過ぎて得た一つの帰結は、「とにかく今この瞬間やりたいことに向かえばいい」という、何ともゆるふわなものだった。(だから、ゆるふわな自分でも信じられるのかもしれないけど)。最後に、2019年の講義で西田さんが最後に話してくれた言葉をいくつか、忘れないように残しておこうと思う。(きっと今年も、今年だからこその力強い励ましの言葉をくれるのではと思います。)

モテたければ、世の中の事象すべてについて400字程度喋れるようになっておくこと。ポパイの名編集者であった寺﨑央さんが言ったこと。それは、実は照れで言っている。本当に好奇心を抑えられない人たちが、雑誌を作っていた。
人間は善悪ではない。チャーミングか退屈か。(と、オスカー・ワイルドの戯曲の訳者の台詞。)悪い人間になれという意味ではない。善い人間になっても仕方ない。とにかくチャーミングになれ。
チャーミングになるために、モテたいから、たくさんのことがわかった風に生きようと思って、いろんなことに手を出したら、今の職業についちゃった。
「わたしは人間であり、人間と関係のあるものならば私に関係しないものはない」ということを紀元前2世紀から言っている人がいる。
自分に無関係なものは無いって信じて生きてください。そう思って20代30代は生きてください。
好奇心を人任せにしてはいけない。がんばってください。

すべての好きなことを、わかった風に生きようと思う。そうすれば、いつか本当にわかる自分になって、もっと好きになっていけると信じて。がんばります。

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