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bより 「ザリガニの水槽」

画面一面の文字から始まる朝

求人に応募した後の人間は「ソワソワ」が止まらないのである。

tofubeatsの新譜でも聴くか・・・

突然めっちゃ最高なボサノヴァが聴こえてきて笑顔になっちゃった・・・

しかもタイトルが「恋とミサイル」かい

フリッパーズギタ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜?

そんな大オマージュをしてくれるんか?おい?

オタクはさ、三度の飯よりオマージュが好きだよ?

ありがとね?

「恋とマシンガン」

「恋とミサイル」

それなら俺は「恋とボンバルダ」

リリースするね。




「無職だけど毎日元気なふりして生きてるよ〜」

母親の誕生日に言う台詞じゃなさすぎる〜

こんな私でごめんねの気持ちと、

こんな私でいさせてくれてありがとうの気持ちが同じ分だけある。

この感情に一番ふさわしい言葉は

「涙」

かもしれない。



世界が愛しくて憎いから

心がロックンロールになっちまうよ〜

the pillowsばっか聞いちゃう〜

悲しくて楽しい気持ちになっちゃうし

後向きなのに前向きな気持ちにもなっちゃう

たくさん頼らせてください。

久しぶりに見てもめっちゃ最高なビデオ

「縦なのに横かい」

こういう興をたくさん愛していきたい。



『行き止まりの世界に生まれて』(2020)

見ました。

初っ端から「こんなの…リアル“mid 90’s”じゃん…」と泣いてしまった。

映像の刹那が過ぎる・・・(泣)

スケボーくん達のスケボーに対する思いが“人生“すぎてそれにも泣いちゃった。


“スケートボードは単なるスタイルや仲間作りの手段じゃない。これがあれば──── 
抜け出せる、生きられるんだ、と。“

“傍から見ればバカみたいだろうけどスケボーは制御(コントロール)だ。
細部までコントロールしないとイカれた世界でマトモでいられない。“

“ある意味ドラッグだ。
精神的にギリギリまで追い詰められてもスケボーさえできればそれでいい。“

あまりにも・・・人生・・・・・

自分の中に何か一つでも光り輝くものがあれば、それだけで生きていけるものなんだよね・・・

「スケボー」というものは生きるための手段であり、

生きるために必要なプロセスであるんだよね・・・

わかるな〜

彼らにとって「スケボー」がそうであるように、私にとっては「言葉」であり「紡ぐ文字」たちが生きる上での必要不可欠であるのだと気付かされた。

自分を生かすための手段を知っている人間は強い。

強くて美しい。

スケボーという大枠で囲まれている仲間たちが

それぞれの差別や理不尽や苦悩と向き合っていくこの一遍。

人ひとりの12年の総括は、あまりにもリアルで、こみ上げる共感と唯一無二の感傷に溢れていて、この、すごく嬉しくもなく、すごく悲しくもない感情の起伏に人生の本質を感じました。

結局人生というのはプラマイゼロの連続である気がします。

この世に蔓延する差別も理不尽も苦悩も

それをまるっと覆った人生も

そんな人生に対する向き合い方も

人の数ほど色があって、形があって、そこに立っている。

改めてそう思い知らされた作品でした。

人生へ
ユーアーファッキンビッチ.

こうナーバスな日は、どうしようもなくやるせない「絶望」を見て涙を流そうとしてしまいます。

結局は自分のエゴのために映画を見ている。

ドキュメンタリーをエンタメとして消費している。

他人の涙で自分を解放しようとしている。

そんな自分が未熟であり薄情であると思う。

常に「自分をかわいがる自分」と「そんな自分を軽蔑する自分」が内在している。

ただし、未熟さや薄情さがただ単に悪いことであるとは思っていなくて、一つの事実としてそう感じているだけ。

ずっと一歩引いて対象を見ているというだけ。



情報力に乏しいレシートのこと大好き。

大体がわかればそれでええよな、わかる〜

しかも文字紫でかわいい〜

本日の小さなハッピーでした

〜終〜



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