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noteを書くことを習慣づけたい

こんばんは。TKDです。
おつかれさまです。暑いですね。

リアルで事情を話している皆様と、そうでない皆様がおられるので、なんとも表現が難しいのですが、ちょっと局地的に激烈に忙しいと言うか、あまり予定が立てられない状態が続いておりまして、とは言えずーっと何かしらの作業に追われているとかそう言うわけでもないので、なんかこう、前向きな、クリエイティブなことをしたいなと思う時間もあるわけです。

「noteでも書いたらええやないか」と俺の頭の中の知らないおじさんが言ってくれたので、そうだ、note書こうと開いてはみたものの、「何について書こうか」とか「どんな画像をキービジュアルにしようか」とかに迷っているうちに次の用事の時間になってしまったりして、どうにもこうにも記事の執筆が進まんなぁと思っておりましたが、「記事の執筆」なんて仰々しく考えるからこうなってるんじゃないかと思い直しまして。

人気の記事一覧を見てみると、タイトルだけでもうめちゃくちゃ面白そうな記事がズラーっといくつもいくつも並んでおりまして、なんか自分もこう言う面白そうな記事を書かなきゃいけないんじゃないかと言うある種呪いのような、強迫観念に囚われていたんじゃないかと。
個人的には以前mixi日記の延長のような雑記の極みみたいなブログをやっていて、それとは双璧を成すようなちゃんとしたものを書こうと言うことでnoteを始めた経緯があり、その時の感覚が残っているせいで前述の勝手な呪いにかかっていたのもあるのかなぁと。

そんでまぁX(旧Twitter)のアカウントに間接的な殺害予告が届くようになってさすがに怖いので白旗揚げてアカウントを削除したことにより、「三ツ矢サイダーのシルバーとか言う復刻版フレーバーのやつ、好き」みたいな重要なアウトプットをする場が失われてしまったので、俺の心のうちをインターネットの海に流す窓口が一切ないのはさすがに長年インターネットデミヒューマンとして生きてきた自分のスタイルとしてどうなんだと言うのもあり。

いや、自分の心のうちってわざわざインターネットの海に流す必要そもそもあるんだっけ、と言う自問自答もあるけど。

まぁとにかく「ちゃんとした記事」としての形じゃなく今後noteは気軽に、軽率に更新して行こうかなと。僕のことを好きな方はヲチしてみてください。嫌いな人は見なくてよいよ。怖いから。
そういやちょっと前にヲタク界隈で使われる「軽率に〜」は誤用だろってTwitter上で結構揉めてたなぁ。厳密には全然誤用なんだろうけどなんかこうニュアンス的にめっちゃわかるから俺は許容派。

まだ時間があるからなんか書けるぞ、あ、そうだ、春とヒコーキが好きすぎてラジオ1回目から全部聴いてたんだけど、最近(先月くらいか?)デレクジーカーの投稿が採用されててなんか嬉しかったよ。わざわざnoteこんなこと書くの嫌がられるかも知れんから、デレクジーカーにDMするためだけにXのアカウント作り直そうかな。それもキモいか。

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