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第35日・キルギス、ビシュケク

 オシュからビシュケクに至る14時間の道のりはとても美しく時間を忘れるはずだ。ただし、昼ならばの話だけど。
 この寒い冬、夜に到着するのはどうしても厭だったので、夜行の乗合タクシーを選択した僕は、絶景を眺める機会をみすみす逃したうえ、到着したのは日の出前の朝6時、実に一番寒い時間帯だった。

▲キルギスの山道。このあと美しい湖が昼だと見えるらしい

▲羊がたくさんいる。それはもうたくさん

 1時間ほど震えながら待っていると、60キロほど離れた郊外の町トクマクへ向かうマルシュルートカがやってきたので乗り込む。いつの間にかうたた寝していたらしく、目が覚めると8時半すぎ。マルシュルートカはまもなく、ようやく出発した。道路脇には馬に乗るキルギス人がちらほらと見える。
 ビシュケクから1時間半ほどかかるトクマクにやってきたのは、世界遺産「シルクロード:長安から天山山脈の交易路網」に含まれるブラナの塔などの遺跡を見物するためだ。『歩き方』はトクマク行きマルシュルートカはビシュケク東バスターミナルからと書いていたけど、東バスターミナル附近にいた人によるとどうやら違うらしく、オシュからの乗合タクシーの運転手夫婦は苦心して正しいターミナルを見つけてくれた。
 トクマクからブラナの塔まではタクシーで十数分で着く。平原の農村地帯に赤茶けた塔がやや傾いて聳え、その姿はなんだか『ドラゴンクエスト』にでも出てきそうだ。塔の外側には色気も何もない鉄の橋と螺旋階段が付けられていてなんとも惜しい。周囲にはほとんど土と同化した建物の遺構があり、石人と呼ばれる素朴な背の低い石像が林立している。この石人というのは武人の墓に立てられるものらしく、そうなるとここは墓地ということになる。ここの遺跡はバラサグン遺跡というそうだ。

▲ブラナの塔

▲石人。みな塔を向いて立っている

 もう一つ、この近くには、唐代に玄奘三蔵が訪れて突厥の王から歓待を受けたという砕葉城(スイアーブ)の遺跡があるということで、タクシーの運転手に連れて行ってもらおうとしたのだけど、そんなものは聞いたことがないと彼は言う。アク・ベシム村のあたりにあるから行ってくれ、と言うと彼は何人かに電話をかけ、何か諒解したような様子で出発した。中央アジアの人々は何かにつけ電話をかける。店番をしている人や白タクの運転手など、いつも誰かと電話で話している。中高生がラインするくらいの頻度でいい大人の彼らは電話ばかりしている。僕の中高生時代はラインがなかったのでさっきのは想像でしかないけれど、僕の高校時代のメールの頻度から考えると似たようなものだろうと思う。
 タクシーはアク・ベシム村をゆっくり走りながら、また何人かに電話をして、一旦停車するとひとりの男が乗り込んできた。運転手の友人であるらしい彼は、スイアーブ遺跡の場所を知っているとのことで、タクシーを村外れの草原に案内した。
 草原の中にでこぼこしたところがあり、近づいて見るとなんとなく四角い形をしている。塀のようなものがでこぼこの中から顔を出している。細くまっすぐな壁は明らかな人工物だ。遺跡である。

 周囲にはさらにいくつも建物らしき遺構があり、穴の中を覗き込んでみると、煉瓦の壁だとか陶片だとかが露出している部分もある。さらに進むと、建物の基礎のようなものがはっきりとした形で残っているのを見ることができる。千数百年の昔、この地には王城があり、寺院があり、町があったのだ。今は草原の土に埋もれ、羊が草を食んでいる以外に人っ子ひとり見えない。あちこちに羊の丸い糞がかたまって転がっている、そのなかにたまに素焼きの陶片が落ちている。

▲運転手とその友人も一緒にタクシーを降りて遺跡を散策していた

 僕は遺跡が好きだ。観光地化された立派な建築物もいいけれど、このスイアーブ遺跡のような、ただ朽ち果てて痕跡だけをとどめるような遺構も素晴らしい。かつて存在し、栄え、そして今は誰も見向きもしない遺跡。僕は大いに満足して、タクシーの運転手に払う金に色をつけてやろうかと考えたほどだった(最初から高い値段を提示していたので、しなかったけれど)。案内に来た友人氏は、アク・ベシム村に普通に帰っていった。

▲三蔵法師の足跡にでくわすのはナーランダー僧院に次いで2回目だ

 ビシュケクに戻り、オシュ・バザールで昼食を摂った。バザールにはクムズという馬乳酒が売られていたので味見させてもらったが、酸味の強い不思議な味で、買うのはやめた。

▲ガンファン(干飯か)。かつて移住してきた中国人ムスリムの子孫、ドンガン(東干)人の料理だ

 西バスターミナル(ロシア語ではアフトヴァグザールという)から4百スム(約6百円)の、カザフスタンはアルマトゥ行きのマルシュルートカに乗り込む。他の乗客の顔はほとんどが一見して、純系に近いロシア系とわかる。ビシュケクからアルマトゥまでは、国境検査を含めておよそ4時間。すごく近いけれども、きっとまったく別の国だ。

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