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第37日・カザフスタン、アルマトゥ

 アルマトゥは都会だ。札幌のように整然と道路が直交する町にはICカード式の市バスが縦横に走り、大きなショッピングモールもあれば地下鉄もある。
 アルマトゥというのは当地のカザフ語の発音で、ロシア語ではアルマトゥイとかアルマティのように言う。よくアルマトイなどと書かれるのはこのアルマトゥイが日本式に転訛したものだ。また旧称のアルマ=アタという名もよく通じるが、実際はアルマタのように発音される。アルマタなのかアルマティなのかアルマトゥなのかあるいはアルマトゥイなのか、こうなるとアルマテやアルマトと言ったって通じそうな気もするけども、しかしここではАлматыの文字をカザフ語式に読んでアルマトゥと書くことにする。

▲アルマトゥ市内「28人のパンフィロフ戦士公園」に建つゼンコフ正教教会

 到着したバスターミナルで、まずは2日後の朝発のウルムチ行き国際バスのチケットを購入。12,100テンゲなのでおよそ4千円ということになる。カザフスタンは中央アジアのなかではかなり物価の高い国のようだ。テンゲという通貨単位は、発音上はティンゲとかチンゲに近く読まれるようで、思わず聞き返したくなってしまう。ターミナル脇の食堂で食べたドネルケバブは4百テンゲ(約130円)と、やはり安くない。
 宿で同室になったのは35歳というわりに若いウズベク人で、英語が中央アジアで会った誰よりもうまかった。彼とはいろいろな話をしたけど、とりわけ彼が「日本の首相はよく変わるから、今の首相が誰かなんて覚えていないだろう」と言ったことが印象に残っている。彼は日本の政権がここ10年ほど安定していないことを言いたいのではなかった。彼が言いたかったのは、首相が交代するなんてうらやましい、という意味合いだったのだ。
 中央アジアの国々は、ソ連崩壊時に地域共和国のリーダーだった人間がそのまま大統領となり、そのまま独裁的に政権を握り続ける、というパターンが多い。トルクメニスタンはまさにそうで、ニヤゾフ前大統領はトルクメンバシュ、国父などと呼ばれて強力な独裁体制を敷いていたが、ウズベキスタンでもタジキスタンでも程度の差はあれ大統領の交代しない体制が続いているし、ここカザフスタンでもナザルバエフという大統領がいて、アルマトゥから遷都させた新首都アスタナに高い塔を作らせて、その展望台に自分の手形を置かせたりしている。
 彼は僕にチャイや炭酸水を振舞ってくれ、自分はイスラーム教徒だから旅行者をもてなすのは当然なのだと言った。イスラーム教の国々では親切を受けることが特に多い。彼らがそれを宗教的義務としてやっているのか、生来の習慣としてやっているのかもわからないくらいだ。

 アルマトゥの町は、ロシア人の多いカザフスタンのなかでもとりわけロシア人の多い地域のようで、町の南東にあるメデウ・スケート場に向かう市バスに乗っていると、ヨーロッパのどこかの国に来たかのような錯覚さえ覚える。実のところ僕は、ヨーロッパに行ったことはないのだけど。
 本当はタムガリという岩絵の遺跡があるというので行きたかったのだけど、シーズンでないから車は7万テンゲ(約2万3千円)ほどかかると言われ断念した。かわりに宿の人に、メデウは景色がきれいだからぜひ行くといいと勧められたので、僕は80テンゲ(約25円)の市バスに乗ってスケート場にまでやって来たのだ。

 メデウでは、スケート場の傍にあるダムを上り詰めると美しい景色が見られるということだったので、氷の張った坂道を注意深く進み、件のダムについている階段を上っていくのだけど、これが実際けっこうな長い階段だった。上りきったと思えば、下からは見えていなかった新しい階段がまだ先に続いている。もうやめてしまおうか、スケートでも滑って帰ろうと思うけれど、半ばまで来た以上下りるのも面倒なので、一休みしてまた上るしかない。

▲階段。実に818段ある(もちろん数えた)

 ロープウェイが頭上を悠々と通過していくのが見えて、帰りはきっとロープウェイに乗ろうと思っていたけれども、上りきってみるとロープウェイはなおはるか頭上を通って、遠くの山まで向かっているようだった。

▲たしかに景色は素晴らしい

 せっかくなので、貸靴代込み1,800テンゲ(約6百円)を払ってスケートもしたが、体力のない僕は、朝から何も食べていないこともあって、30分も滑ると疲れてしまった。2時間まで滑ることのできる券だったが、諦めて町のバザールで何か腹に入れることにした。
 バザールで、サマルカンドと比べると明らかに高い干葡萄を買って歩いていると、突然傍から声をかけられた。
「俺だよ、バトケンからオシュまでタクシー乗ってた! あんた、50ドル取られてた人だろう」
 そういえばアルマトゥで働いていると言っていたっけ! 意外なところで意外な人と再会するものだ。

▲この人もドライフルーツ売りだった

▲バザールではなぜか漬物屋で巻き寿司を売っていた。サーモンの燻製が入っていて、米はしっかりジャポニカ米だ。酢飯でないのが惜しい

 バザールの脇のショッピングセンターで水でも買おうと思って適当に見ていると、駱駝の描かれたラベルの貼ってある白いペットボトルが置いてあり、商品名にшұбатとある。カザフ人伝統の駱駝乳酒、シュバットだ。 値段は315テンゲ(約105円)。馬乳酒クムズのときは味見してやめてしまったけど、ここでは味見はできない。駱駝なんてものの乳がおいしいのだろうか。でも、まあ百円程度の失敗ならいいかと思って、このシュバットを買ってみることにした。

▲カザフスタン・ビールとシュバット。ビールは度数が11%と高く、なかなかおいしい

 ボトルの蓋をひねってみると、よく振ったビールを開けたときみたいに、炭酸質の泡がしゅわしゅわと噴き出してきて、僕はのっけから度肝を抜かれてしまった。溢れたぶんを拭き取り、泡がおさまるのを待って、コップに注いで白い液体を飲んでみる。味は飲むヨーグルトに似ていて、酸味はあまり強くなく、脂肪分が多いのか濃厚で豊潤な舌触りだ。ごくごくとではなくちびりちびりと飲みたいような飲み物である。
 駱駝乳酒などというと、げてものと言って敬遠する向きもあるだろうと思う。ただしかし、シュバットであれ臭豆腐であれ天竺鼠であれ、食べてみもしないで、くさいとかきもちわるいとか言うのはもったいないことだ。一度口に入れてみてから、自分は嫌いだからもう食べないというのならなるほどそうかとなるけれど、食わず嫌いをしているようでは、いったいなんのために異国にやってきているのかわからない。土地のものを食べ、土地のものを飲むことが旅行の醍醐味で、それがなければ楽しみは半減してしまう。

 翌朝、まだ日も出ない6時半にサイラン・アフトヴァグザール発ウルムチ行きの国際バスに乗り込む。バスのナンバープレートには「新」つまり新疆ウイグル自治区を表す文字がある。乗客は、空色のパスポートのカザフスタン人と、茶色のパスポートの中国人が半々くらいのようだ。
 バスは、清潔とは言いがたいけども不潔とまでも言えないぐらいの、寝台が2列2段に並んでいるものだ。アルマトゥの町を出ると、バスは険しい谷底を抜け、雪原地帯を走り、ステップを突き抜けていく。美しい光景だ。夜行バスは移動と宿泊を同時にできてとても便利だけど、一方で昼のバスも外の景色を見られるのでまた捨てがたい。

 グランド・キャニオンを小さくしたような美しい渓谷の見える砂漠でバスが停車したときのことだ。トイレ休憩というが、周囲に建物などはない。すると、男は右手、女は左手に数十メートル歩いて、各々そこで地面に用を足しているではないか。野小便をこんなところでやってのける女の人は、日本だとたぶん相当少ないと思うのだけど、乗客たちはおかまいなしにすっきりした顔でバスに戻っていく。僕も渓谷に立小便をして、バスに戻った。

▲砂漠に停車するバス

 そうこうしているうちにバスはホルゴス国境に至る。乗客のおばちゃんが、中国語で話しかけてくる。
「あなたお酒持ってる?」
「1本持ってます」
 僕はシュバットを飲みきらないで、転がしパックに入れてきていた。
「私4本も持ってて、免税範囲は2本までなのよね。よかったら1本でいいから税関のときだけ預かってくれない?」
 僕は承諾した。預かったジャック・ダニエルは中国でも買えるのではないかと思ったけど、きっとカザフスタンのほうが安かったのだろう。自分は日本人だと言うとおばちゃんは「日本からカザフスタンに来てウルムチ行きバスなんかに乗ってるの!」と言って、何かとかまってくれるようになった。

▲国境のカザフスタン側、天山山脈の美しい山々と、立小便をする人

 中国側は国境施設も空港のように立派で、施設を出た瞬間、ビルやマンションがいくつも建ち並ぶ町が広がっていた。これまで、国境というのは町から離れた何もない地域にあるものだったので、これには驚いた。以前訪れたエクアドル・ペルー国境の町ワキージャスでは、町の中を通っている国境を自由に越えることができ、検問所はペルー側にいくらか離れたところにあるというものだった、つまり国境の両側に町があったけど、ここはそれとも違う。カザフスタン側は何もない雪原であるのに、中国側は町なのだ。

▲国境のカザフスタン側にはなぜかユルタ(遊牧民の移動式住居)があった

▲中国側は町だ

 町は明らかに計画されていて、近年に造られたものだとわかる。こんな辺境に町を築かなければならなかった理由はなんなのだろう。もうここは、中国政府の支配する領域なのだ。

前回 第35日・キルギス、ビシュケク

次回 第39日・ウイグル自治区、ウルムチとトルファン

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