第39日・ウイグル自治区、ウルムチとトルファン
23歳の誕生日は、カザフ族のおばちゃんとトルファンの安ホテルの一室で一夜を過ごしつつ迎えた。
先に書いておくと、もろもろ無事だった。
バスで知り合ったおばちゃんは、ウイグル自治区側のホルゴス(霍爾果斯)で「拌麺」というウイグル料理をおごってくれた。普通話、つまり共通中国語をなまりのない発音で話していたおばちゃんは、店員や他の乗客とは、中国語とはまったく異質な言葉でしゃべっていた。何語ですかと訊くとカザフ語だという。おばちゃんはマイヌールという名前のカザフ族で、ウルムチの大学で哲学、それもマルクス主義について教えているということだった。
ウルムチからはどこに行くのというので、到着の次の日にはトルファンに行こうと思っていますと言うと、「私も行きたいな。一緒に行ってもいいかしら?」なんて言うので、もちろんいいですよと答えた。異国にあっては、土地の人と行動を共にするほうが便利で、その土地により深く触れられる可能性が高まるし、なおかつ安全だ。ただし、同行するその人自身が安全な人ならばの話だということは、心に留めておかないといけない。
ウルムチ市(漢字では烏魯木斉と書く)はひどく寒かった。ここは相当に大きな町で、中国の他の都市と同じように、靄とも煙ともつかない何かがあたりを覆っている。ああうんざりだ、ここはもう中国ではないかと思うけれど、辺りにはモスクもあり、どの看板にも漢字の上に、アラビア文字に似たウイグル文字が書かれている。男たちは中央アジアで見たものによく似た四角い民族帽をかぶり、彼ら自身の言葉で早口で話している。ウイグル語はカザフ語やウズベク語と同様トルコ語系ということだけど、聞いているとなんとなくウイグル語のほうが音が力強いみたいだ。あるいはこれは中国語の影響なのかもしれない。
ここは中国の領土だけど、「中国」ではない。チベットで抱いた感想を僕はここでももった。ウイグルは文化的には中央アジアだ。ただロシアに支配されていたか、中国に支配されているかの違いがあるだけだ。新疆ウイグル自治区の新疆というのは、新しい領土という意味で、いってみれば殖民地だともいえる。わが北海道と違うのは、ここではウイグル人がまだ人口のかなりの割合を占めているということだ。
▲ウイグル料理、ポロ。要はプロフだ
中国では列車の切符はすぐに埋まってしまうので、まずは鉄道駅で敦煌行き、そして敦煌から西安行きの切符を買ってから、目星をつけておいた宿、烏魯木斉白樺林国際青年旅舎に到着すると、なんと宿は冬休みだという。冬は客なんか来ないので休みにしてしまうということか、しかし彼は泊まっていって大丈夫だと言う。
「ただし、水道を止めてるからシャワーは浴びられないけど。トイレは外に出てすぐ公衆トイレがあるし、飲み水は用意してあるよ。あと電気も大丈夫だし、Wi-Fiももちろんある。ああ、お茶を出そう、ほら坐って」
1泊いくらですかと訊くと、「お金はいらないよ!」。水が出ないからってただで泊まれる宿なんて聞いたことがない。本格的な茶器で烏龍茶を出してくれた、親切すぎるほど親切な彼はどうやら漢族であるようだった。
明日はトルファンに行きたいと思っていますと言うと、今日移動してトルファンに泊まったほうが便利だけど、ウルムチ発の1日ツアーもあるから心配はいらない、好きにするといいと言う。彼にお願いして電話を借り、マイヌールさんと市内の「国際大バザール」で落ち合うことにした。
▲国際大バザール
ウルムチの国際大バザールは、イランから中央アジアで見てきたバザールと異なり、実のところショッピングモールのようだった。建物はいくつにも分かれていて巨大で品数も多い。しかしあの雑多で活気に満ちた雰囲気はなく、行儀よく整備されている清潔な建物にはカルフールさえも入居している。冬のためか客もまばらで、これをバザールと呼んでいいものかどうか僕にはわからなかった。僕はなんとなく残念な思いで、この退屈なバザールを出た。
バザールに入るには、いちいち荷物検査が必要だ。バザールだけでなく、駅でも、BRTでも、いちいち荷物検査が行われる。駅で荷物検査をするのは中国のどの都市でも同様だけど、ウイグル自治区では他地域と比べ非常に厳しい。BRTには飲み物さえ持ち込めないので、仕方なくタクシー(ウルムチのタクシーは、他の町と比べて相当高い)を利用するということが何度もあった。駅前には物々しい装甲車が停まっていて、武装警察の集団が睨みを利かせている。毎日が厳戒態勢のここウルムチでは、独立を求めるウイグル人と漢人政府がこれまで何度となく衝突を繰り返しているのだ。
マイヌールさんは、「新疆はスリがすごく多いから気をつけて」と言っていた。治安は良好とは言えないようだ。
国際大バザール近くの旅行社によると、冬季はツアーはなく、トルファンに行ってタクシーをチャーターしたほうがよいという。旅行社に運転手を紹介してもらい、マイヌールさんがウイグル語(カザフ語とかなり近いそうだ)でしばらく電話したところ、トルファン発1台400元(約6,800円)で見どころを巡ってくれるそうだ。2人なので、1人200元(約3,400円)。法外に高いとも思われなかったし、ツアーがない以上他の選択肢も難しそうなので、これで行くことにした。
トルファンまでは今日のうちに列車で行って泊まり、観光後には翌々日の列車に乗るためにウルムチに戻ってくることにした。宿に戻りその旨を伝えると、それなら大きい荷物はうちに置いていくといい、と言う。ところでそのあとはどの町に向かうんだと言うので、敦煌のあと西安に行きますと答えると、ユースホステルの名刺を持ってきてくれた。中国語で青年旅舎(qīngniánlǚshè チンニェンリュシャー)というユースホステル、とくに国際とついているユースホステルは、『ロンリープラネット』にも載るような、いわゆる外国人バックパッカー向けの宿が多い。そういうユースホステルは主だった町にはたいていあってとても便利だ。一般の宿や安ホテルでも最近はWi-Fiが標準装備となりつつあるけれど、国際ユースホステルのいいところは三つある。第一に、外国人が確実に宿泊できるということ。中国では外国人の宿泊できる宿は限定されているのだ。いい宿を見つけても泊まれないのでは話にならない。第二に、バックパッカー的な旅行の相談に乗ってくれることが多いという点。そして第三には、他の旅行者との遭遇率が高く、彼らから情報を聞いたり、一緒に行動したりできるということだ。
最近完成した高速鉄道に乗れば、ウルムチからトルファン(吐魯番)までは1時間程度だ。トルファンというのはたぶん漢字の吐魯番(Tùlǔfān トゥールーファン)の転訛したもので、土地の人はトゥルパンと言うから、あるいはそちらのほうが通じそうだ。しかしここでは旅行者の慣例に従ってトルファンと書く。
マイヌールさんは、ゆで卵やナンを持ってきて列車の中で食べさせてくれたうえ、ウイグル料理の「大盤鶏(dàpánjī ダーパンジー)」をおごってくれた。日本では羊は食べるのと訊いてくるので、特に北のほうではよく食べますよと、ジンギスカンのことを思い出しながら答えると私たちと同じねと言う。馬肉はと言うから、馬は特に生肉を刺身のように食べることも多いですと答えると、私たちカザフ族は生肉は絶対に食べないと驚かれた。カザフ族は祝い事のときには、家族みんなで馬1頭を食べるのだそうだ。
▲大盤鶏。ウイグル料理と他の中央アジア料理の大きな違いはふたつある。ひとつは唐辛子を多用すること。もうひとつは、箸で食べるということだ
ご飯を食べたあとは宿探しだ。普通のホテルで2人で同じ部屋に泊まるというのにはやはり抵抗があった。だからユースホステルのドミトリーに泊まりたかったのだ。トルファンのユースホステルは、しかし心配したとおりに休業中だった。仕方なく、近くのナントカ賓館とかいうホテルの双人房、ツインルームに転がり込む。1泊100元、ひとり50元(約850円)だ。
マイヌールさんは部屋に入ると、ただちにベットに寝転がり、僕がシャワーから出てきたときにはもうすっかり寝息を立てていた。
タクシーは12時に着いた。12時といっても、まだまだ朝である。東経89度に位置するトルファンでは、日本とは3時間、北京とは2時間の時差があってよい地域だ。しかし中国では国内に時差が設けられていないので、西に行くほどその差は激しくなり、8時になってもまだ日が出ていないといったようなことになってくる。このため非公式に新疆時間という、北京と2時間の時差をつけた時間帯が通用している。北京時間の12時は、新疆時間の10時なのだ。
▲『西遊記』の舞台、火焰山には三蔵法師一行の像がある
中国では、いろいろなスローガンの書かれた看板や横断幕をよく見る。たいていは壁や看板に赤く太いゴシック体で書かれていたり、あるいは赤地に黄色い太ゴシック体で書いてある。それがウイグル自治区では特別多い。「民族団結」とか、「維護穏定」とか、「漢族離不開少数民族(漢族は少数民族から離れられない)」とかいったスローガンが至るところに書かれている。スローガンを掲げるのは、掲げなければならない理由があるからだ。漢族の支配するウイグル、東トルキスタン。そのあたりの状況が実のところどういったものなのかは、2日3日滞在するだけの僕には到底わからないことだけど、しかし異様だった。
スローガンには、「只有努力才能改変,只要努力就能改変」のような、特に政治色の感じられないものもあった。努力しなければ変えられないが、努力さえすれば変えられる。中国語文の形が面白いけれど、本当に努力さえすれば変えられるのだろうか? ウイグル人たちは、誰ひとり看板のスローガンに注意を払ってはいないようだった。
▲トゥユク村と、ウイグルの少女
▲火焰山に雪が積もったのは10年ぶりのことらしい。夏は地表温度が80度にも達するそうだ
タクシーでは、運転手はマイヌールさんとひたすらウイグル語で話していて、僕はその響きに耳を傾けながら外を眺めていた。
僕はウイグル族やカザフ族に見られるよりは漢族に見られるだろうから、ウイグル語を話せるマイヌールさんと一緒に行動できたことは幸運だったのかもしれない。彼ら土地の住民たちは僕たちに優しく接してくれたけど、一方で漢族に対してはあまりいい感情をもっていないのではないかと僕は危惧していた。それは偏見であり先入観であったろうけど、ウルムチの町のどこかぴりぴりした空気はそう思わせるのに十分だった。また彼らの話す普通話はやはり母語に影響されて訛っていたので、マイヌールさんが標準的な発音に言い直してくれるのは助かった。
ところで来年2017年にカザフスタンの首都アスタナで万博があるからぜひ来なさい、一緒に見ましょうとマイヌールさんが言うので、イスラーム教徒たちが言うのと同じように「インシュアラー(神が望むならば)」と答えた。
▲車師前国の都だった、交河の遺跡
▲ドライフルーツはウイグル自治区の特産品だ
観光を終えた僕たちは夜の高速鉄道でウルムチに戻った。僕はマイヌールさんと別れ、あの無料宿で眠りについた。
▲「生日快楽(誕生日おめでとう)」火焰山にて誰かが祝ってくれていた。落書きはやめよう
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