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第41日・中国、敦煌

 甘粛省敦煌まではウルムチから7時間かかる。動車組(dòngchēzǔ ドンチャーズウ)とか動車と呼ばれる高速鉄道CRHで5時間、そのあと乗合ワゴンで2時間だ。乗合ワゴンに2時間も乗らなくてはならないのは、高速鉄道をはじめとしておもだった鉄道が停車する柳園駅と柳園南駅が、敦煌市街からおよそ130キロ離れているためである。いったいなぜ一大観光地である敦煌を避けて、こんな小さな田舎町に本線を敷かなければならなかったのか理解に苦しむが、そうなっているものはそうなっているのだ。

▲高速列車「和諧号」

 水以外はなんでもあった白樺林青年旅舎で、人懐こい猫を膝に載せながら、僕は敦煌のユースホステルにインターネットから予約を入れた。予約を入れられるということは開いているに違いないと思ったのだ。ゆうべマイノールさんにもらった堅いナン(ナンは湿気にあてなければ3年ぐらいは保つそうである)をかじりながら柳園南駅に着き、敦煌でタクシーの運転手にがんばって探してもらったユースホステルは、しかし戸を叩いても誰も応えなかった。
 打ちひしがれるような気持ちで別の宿を探して歩いていると、ある建物に子供が入っていくのが見えた。半分が破損した看板の残った部分は青年客桟と読める。宿のようだ、もうここでいいかと中に入った。

 楽途青年客桟というその宿は家族経営で、曹さんという夫婦と曹さんの両親、そして曹さんの2人の息子が暮らしていた。真ん中に薪ストーブの置いてあるドミトリーは、今は息子たちの寝室とまっているようで、曹さんがつたない日本語で「ここに住んでいいです」と言う。住んでいい、などと言うのは、中国語では居住も宿泊もともに「住(zhù ジュー)」という動詞で表すからだ。
 値段は1泊40元(約680円)。僕はここに「住まわせて」もらうことにした。ご飯は食べたのかと言うのでまだですと答えると、じゃあ20元(約340円)でご飯を出してあげようと言う。
 出してもらったのは、甘粛省の料理、拉麺(lāmiàn ラーミエン)だ。日本のラーメンとは全く異なる手延べ麺で、むしろウイグル料理の拌麺(ラグマン)のほうに近い。しかしウイグル料理とは大きく異なるものだということは食べてみてわかった。使われている肉が、豚肉なのである。
 豚肉を口にしたのはいつ以来だろうか。イスラーム圏ではたとえ酒を飲む人でも決して豚肉は口にしなかったし、インドでも一般的な食材ではないらしく豚肉料理を見かけることはなかった。しかし中国人はとてもよく豚肉を食べる。僕はこの拉麺を食べて、ああ自分は中国に辿り着いたのだなと実感した。玉門関から西は中国ではなかったのだ。

▲拉麺。具が別皿で2種類出てくるのが敦煌風だという

 翌朝、表で爆竹が炸裂する音で叩き起こされた。銃撃戦でも起こったのかと思われるほどの爆音が街のいたるところから聞こえてくる。聞くと今日は元宵節だから祝いの爆竹を鳴らしているのだという。月牙泉に向かう道の家々の門前にも、爆竹の燃えかすが散らばっていた。
 月牙泉というのは、鳴沙山という砂漠の中にあるオアシスだ。駱駝に乗った隊商が行き交うシルクロードのイメージそのもののような風景が見られるということだったけど、その入場料の高いのには閉口した。120元(約2千円)は高すぎる。楽途青年客桟なら3泊できる値段だ。しかし観光客というのは悲しいもので、それを払ってしまうからどうしようもない。
 入場料には附設の敦煌民俗文化博物館の入場料も含まれているということだったけど、その博物館は改修中で閉まっていたし、またオアシスの草木は冬のために枯れていた。そのうえ肝心の月牙泉(月牙とは三日月のことで、三日月型の泉という意味だ)は大半が凍りついている。これでいったい何が200元か。
 2年前に訪れたペルー、イカの町郊外のワカチナ・オアシスでは、サンドバギーなどはもちろん有料だったものの、砂漠に入りオアシスを見るのは、熱砂の上を歩くことに耐えられるならば無料でもできた。そしてワカチナのオアシスはとても美しかった。しかしこの月牙泉のありさまは何だろうか? 環境保護のために観光客をわざと減らそうとして、こういう高い入場料を設定しているのだろうか。いや中国のことだから、儲かるから儲けようとしているというだけにも思える。もちろん、サンドバギーや駱駝に乗るのには、また何十元何百元という金がかかってくるのだ。
 なんだか道の傍に誇らしげにでかでかと掲げられている「国家5A級旅遊景区」とかいう看板にも腹が立ってくる。見る側からすればB級だろうがなんだろうが当人にとってよければいいじゃないか。こんな看板、地元の観光業者以外にいったい誰が喜ぶのか?

▲冬の月牙泉。砂の上を歩くためにサンダルに履き替えてきていたが、冬の砂は氷のように冷たく、足の感覚を奪ってくる。きれいな所だけど120元はないな、せめて冬季は30元(約510円)くらいにしてくれと心から思った

▲ペルー、ワカチナのオアシス

 宿で水餃子を食べて、今度は莫高窟に向かう。元宵節はどうやら祝日であるらしく、バスは観光客らしき人々でごった返していた。
 莫高窟を観光するには、まず町の東にある「数字展示センター」というところに行かなければならない。なんの数字を展示しているのかと思うが、この数字という言葉の意味は結局よくわからなかった。
 その数字展示センターでまず莫高窟の入場券を購入する。100元(約1,700円)。もう観光費の高いのには驚かない。別に外国人料金というのではなく、中国人観光客からも同じ額取っているというのだから文句も言えない。入場券を買ったら、莫高窟に関する約20分の映像を2本、センター内のシアターで見なければならないということだったが、次の上映開始は2時半だという。今は1時20分だ。前回の上映は1時からだったというから、大変もったいないけれど待つしかない。
 しかしこの数字展示センターの待機所というのがとてもよかった。新しくてきれいな建物はトイレも清潔だし、給水器もある。莫高ネットとかいう名前のWi-Fiも通じるし、充電もできれば、なんと携帯電話の貸し出しサービスまであるという。月牙泉とはえらい違いである。おかげで待ち時間は苦もなく過ぎ去り、映画館のようなシアターと、プラネタリウムのような半球形のシアターでそれぞれわりと手の込んだ映像を見て、無料のシャトルバスで莫高窟へと向かった。

 莫高窟では神経質そうな女性の団体ガイドがついて、イヤホンつき受信機みたいなものを渡された。この受信機によってトランシーバーのように、ガイドの声が全員に聞こえる仕組みになっている。保存のために崖をコンクリートで固めて各石窟に鉄扉をつけてしまっているので風情はあまりなかったけど、彩色された仏像が並ぶ各時代の石窟や、巨大な磨崖仏は見応えがあった。これで100元は適正な価格と言えなくもないなと思った。こうなるといよいよ月牙泉のあの値段が憎たらしくなってくる。
 ガイド女史はどの石窟に入るときも「お静かに」と言っていたが、4、5歳くらいの幼児が、ガイドが話している間にも歌を歌ったりしていて、母親がやめなさいと言うのも聞いていなかった。小さい子には退屈だろうけど、しかしガイドの話が聞こえないなと思っていると、ガイドが「あなた、お母さんの言うことを聞きなさい!」と幼児に一喝した。幼児は直ちに歌うのをやめ、おとなしく母親の腕に抱かれた。日本の子供だったら、知らない大人に𠮟られたら泣いてしまうという子も多いのではないだろうかと僕は思った。幼児はそれからずっとおとなしく黙っていた。

▲莫高窟。ここにも莫高ネットのWi-Fiが飛んでいる

 町に戻った僕が最初にしたのは、風呂屋を探すことだった。宿は湯沸かし器が壊れていて水のシャワーしか出ないというのだ。場所などわからないので、適当に通行人をつかまえて尋ね、教えられた方向にちょっと行ってはまた尋ねるということを繰り返す。
 一人で異国を旅行していると、人に尋ねるということは必然的に多くなってくる。その人が正確な場所を教えてくれるとも限らない(知らなくても何かは答えてあげようと、当てずっぽうなことを言われることもあるのだ)し、自分がその人の言った内容を正確に理解して、あるいは理解してもその通りに正しく進めるかも確かではないので、何人もの人に同じことを聞かなければいけない。
 今回も何人もの人に「この近くにシャワーを浴びられるところはないか」と尋ねて、「東に3つめの角を曲がったら清真寺(モスク)があるから、その近くにあるはずだ」という答えをようやく得た。東に進んでいくと果たして「清真寺」と矢印で示した看板があり、近くにいた回族の男性に聞くと、モスクの裏に回ればあるという。回りこむと「淋浴」の看板。到着だ。
 ここはイスラーム教徒が身体を清めるためのシャワー屋であるらしかった。イスラーム教徒たる者いつ何時でも身体を清潔に保っておかなければならないのだと、そういえばイランで聞いた。実際イスラーム教徒はこの点には相当気を遣っているようで、どんな砂漠や山の中のさびれたモスクでも、現役のモスクであるならば必ず手足を清めるための水があったのだ。

 7元(約120円)で浴びたシャワーは素晴らしかった。僕はふたたび街に出て、道端で呼び込みをしていた羊肉串(yángròuchuàn ヤンロウチュアン)屋に入った。メニューの中には羊の脳もあれば、腎臓もあり、肝臓もあり、およそ羊の部位はすべて揃っているようだった。その中に羊鞭串というのがあった。鞭というのは尻尾か何かだろうか? 店のおばちゃんに、この羊鞭というのは何ですかと訊くが、どうも判然としない。質問を変えて、おいしいですかと訊くとおいしいと答えるので、なら1串くださいと頼んでみた。

 食べてみると、こりこり、くにゅくにゅとした食感でなるほどおいしい。店のおじさんに、この羊鞭というのは尻尾でしょうかと訊くけど、さあ俺は知らんという、なんだかよくわからない答えだ。店の人間なのに知らないわけはないのだけど……。
 宿に戻って検索して、彼らが答えを濁した理由がわかった。羊鞭の鞭というのは、雄性器のことなのであった。

▲左から、羊鞭、羊肚(胃)、羊肉串

 敦煌と柳園駅は、なぜか知らないが130キロほど離れている。翌朝には9時24分の列車に乗って西安に向かわなければならないと言うと、柳園駅行きの乗合ワゴンはそんなに早くにはないからタクシーで行くしかないと言う。ではタクシーはいくらですかと訊くと、普段なら120元(約2千円)なのだけど、今は道路が工事中で大きく迂回しないといけないので、400元(約6,800円)かかると言う。
 400元! 思考がしばらく止まった。なら今夜バスで柳園に行ってそこで泊まろうと思いますと言うが、バスの最終は5時半で、今は7時だからもう無理だという答え。
 おばあさんがなにごとか言ってくるが、著しく訛っていて大半が理解できない。甘粛省は普通話の基盤となった北方方言の地域に属するとはいえ、ここの言葉は敦煌話と呼んでよいほど訛っているようだ。百(bǎi パイ)をペーと読むし、声調もなんとなく違う気がする。小学生くらいであろう曹さんの息子たちが、おばあちゃん、普通話じゃないとわかんないよと言ってくれる。言い直してくれたところでは、迂回によって道のりは300キロにもなるとタクシーの運転手は言っていた、ということだった。

 余談だが、ここで中国語というものについて簡単に説明しようと思う。中国語と通常呼ばれているのは普通話(pǔtōnghuà プートンフア)、あるいはマンダリンといって、北京などで話されている北方方言をベースに共通語化されたものだ。「話」というのは、なになに語の「語」と同じような意味で、方言や文字のない言語、あるいは単に「なになに言葉」という意味合いを表すのに使われる。普通話といえば「広く通じる言葉」、あるいは「広く通じる中国語の一種」といった意味になる。なお普通話が北京語といわれることもあるが、日本のいわゆる標準語と東京弁がすこし違うように、普通話と北京語というのもすこし異なっている。
 漢族の言葉は、この北方方言の他にも、呉語(上海語など)や粤語(えつご、広東語)や閩語(びんご、福建語や台湾語など)といった7とも10ともいわれる大言語に分かれ、さらにその下には無数の方言がある。これら大言語をよく方言というが、音韻・語彙・文法がそれぞれ異なり、音声で意思疎通を図ることは困難な別言語だ。漢字は共通部分が多いので、書けば互いに相当程度理解できるけれど、例として「私は日本人で、チョコレートが好きです」と、普通話・広東語・台湾語で書いてみる。

普通話
我是日本人,喜歡吃巧克力。
ウォ・シー・リーベンレン、シーフアン・チー・チャオコーリー

広東語
我係日本人,鍾意食朱古力。
ンゴー・ハイ・ヤップンヤン、ジョンイー・セッ・ジューグーレッ

台湾語
我是日本人,愛食チョコレート。
ゴア・シー・リップンラン、アイ・チャ・チョーコーレートー

 一見して全く違う言葉だとわかると思う。英語とドイツ語が違うように、シナ・チベット語族シナ語派の諸言語も異なっているのだ。なお台湾語は福建語の中でも多少特殊で、日本語の語彙が相当流入しており、人によってはそれを仮名文字でそのまま書いたりもする。
 方言か言語か、というのには多分に政治的な要素が含まれる。母音がアイウの3つしかなく、文法や語彙が本土と大きく異なる沖縄の言葉も、日本語とは別言語だといえる。

 さて、僕は400元という値段に疑いをもっていた。130キロで120元ならば、300キロならいいところ300元弱ではないだろうか? しかも地図を見てみると、2百数十キロあるかどうかというところだ。子供たちもスマホを取り出して、素早く距離を調べてくれたところ、やはり200キロちょっとしかないということだった。
「外に出て、そのへんのタクシーにいくらかって訊いてみようよ」
 彼らに連れられて、流しのタクシーを停めて訊いてみると、距離は200キロ強だけれども、有料道路の料金が60元かかるから、300元(約5,100円)程度だという。それならばもうその値段で行ってもらうしかないと、僕は諦め納得した。西安までの列車の切符は200元もしないのだけど、もう仕方ない。兄弟にありがとうと言う。
 宿のおじいさんが歩いてきて、300元ということだ、と言う。兄弟が口々に、「今聞いてもう納得したよ!」と叫ぶ。しっかりしている。
 兄弟は兄が曹愛、弟が曹淵くんといって、14歳と10歳だということだった。

▲曹愛と曹淵の兄弟

「おじ……お兄さん、今日はお祭りだからついて来てよ!」
「そうだよおじさ……お兄さん!」
 叔叔(shūshu シューシュ)をいちいち哥哥(gēge ガーガ)と言い直す彼らが面白くて、もうおじさんでいいよ、と言ってあげる。
「それに祭りに行ったら弟の彼女もいるし!」
「彼女なんかいねーから!!」
 彼らは互いにいたずらしあいながら、祭りの夜市を走り回っていた。淵くんに「彼女いるの?」と訊くと「いねーし!」ということだったけど、いるならいるでそれは幸せなことだからね、と言うと彼はどことなくはにかんだ様子になった。
 彼らはそのまま、雷音寺(Lèiyīnsì レイインスー)という寺に向かった。雷音寺にはたくさんの参拝客が来ていて、空には満月が輝いていた。元宵節は陰暦1月15日、新年最初の満月の日だ。

▲雷音寺に輝く満月

 愛と淵の兄弟が、日本の特産物はなに、と訊いてくる。いろいろあるけど、日本全体だとやっぱり米と魚かなと答える。寿司は知ってる? と訊くと、敦煌にも寿司屋があるよと言う。敦煌の特産は杏子らしい。うちは農家だから、今度来るときは日本のいい土を持ってきてよ、なんて弟の淵が言う。ごめんね、外国の土は持ち込めないって法律で決まってるんだよ。彼は納得しないようだけど、兄の愛が「法律で禁止されてるんだよ」と引き継いでくれる。

 おじいさんが、日本に留学するなら学費と生活費はどれくらいかかる、と訊く。そういえばマイヌールさんも同じことを聞いてきた。東京は住居費が高いので、生活費は年に6万元(約100万円)はかかるでしょうか、学費は、留学生には給付奨学金が出ることも多いようですが、われわれ日本人は年に3万数千元支払っています……。どうして中国人は、子弟を日本に留学させたがるのだろう。いやきっと別に日本でなくても、アメリカでもイギリスでもいいのだろう。教育が何かを変えてくれると彼らは信じているのではないだろうか。ウイグル自治区で見たあのスローガンのように、努力すれば状況はもっとよくなるのだと。

 微信(Wēixìn ウェイシン、ウィーチャット)やQQを教えてよ、とまた兄弟が言う。これらは中国のSNSだ。中国ではフェイスブックは使えないし、今やラインも通じない。イランでは使えたインスタグラムも、VPNを嚙ませないと接続できない。せっかくなので微信やQQをダウンロードしてみたけど、電話番号がないと登録できないようで、かわりにメールアドレスを教えておいた。彼らはメールなどというものを使うことはほとんどないらしく、どうやって使うの? と戸惑っていたけど、すぐに理解してメールをよこしてきた。メールには「叔叔」と書かれていた。
 おばあさんが、元宵の夜だからと、湯円(tāngyuán タンユエン)という、お湯に浸かった胡麻餡団子を食べさせてくれた。シャワーは出ないし、薪ストーブの薪は夜の間には燃え尽きて朝はとても寒かったけど、決して悪くない宿だったなと、そう思った。

▲愛の宿題。数学は世界の共通言語だなと思う。本人は「数学はきらいだけど、英語と地理と生物は好き」らしい

前回 第39日・ウイグル自治区、ウルムチとトルファン

次回 第41日・中国、西安

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