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第34日・キルギス、オシュへ

 中央アジアに入ると、トイレには蛇口とホースのかわりに紙が備え付けられるようになる。もっとも紙がなく自前で持っていないとならないことも多いのだけれど。最初は手で尻を拭くことについて、人間の尊厳にさえ思いを馳せていた僕だったが、今こうして紙で拭くタイプのトイレを見ると、かえってひどく不潔に感じてしまう。中央アジアではトイレットペーパーの質も悪く、また紙を便器に流すと詰まることも多いため、使った紙は便器の脇の汚物入れに捨てなければならないというところも気分がよくない。
 中央アジアの公共トイレは、金隠しのない和式便器のようなものに泥か何かわからない物質が大量に付着しているという極めて汚らしい代物が多いのだけど、宿の清潔な洋式トイレでさえも、ホースがないと今や物足りない。水と手という方法は実のところ大変清潔なのだ。紙ならば何度拭いても拭き残しがあるということも往々にしてあるが、水と手ならば必ず一撃必殺、一網打尽にできる。唯一の欠点は尻が濡れるというところだけなので、インド式と紙を併用するか、あるいはウォシュレットと紙というわが国のトイレがやはり強い。

 トイレの話はこれくらいにして、僕がここキルギス中南部オシュの町に到着するまでの失敗について書こうと思う。
 ホジャンドからキルギスに入るには、まずマルシュルートカと呼ばれる、ワゴン車を利用した小型路線バスと乗合タクシーを乗り継いで国境の町イスファラに至り、キルギス川のバトケン国境からオシュを目指す、という道を取る。イスファラにはキルギスナンバーの乗合タクシーがたくさん停まっていた。このあたりではナンバープレートに国旗が描かれていて、どこの籍かわかるようになっている。ある若い運転手がオシュまで1,500キルギス・ソム(約2,250円)で行ってくれるというので、何も考えずに乗り込み他の客を待つが、待てど暮らせど乗客は現れない。1時間が経ち、2時間が経ち、根気強く待っているうちに3時間になった。このままでは日が暮れてしまう、というか今日中にオシュにたどり着けるのだろうか? 僕はだんだんと不安になってきた。運転手が戻ってきて、「50ドルでいいならもう発車するがいいか」と言うのに頷いてしまったのは多少のあきらめもあった。乗合タクシーに客が集まらないのは君の営業力の問題じゃないか、という英語はむろんのこと通じず、ロシア語では表現できなかった。言葉が使えないのは自分のせいだ。外国から来ている以上、コミュニケーションが成り立たないことで土地の人は責められない。

▲オシュにあった、寿司とピザの店。寿司はサーモン・鰻・海老・蟹の4種類しかないけど、握り寿司も巻き寿司もある

 キルギスに入国し(ここからはノービザ旅行である)、バトケンの町に入ろうかというところで、運転手が車を停めて何やら言ってくる。
「本当はここから2人乗せる予定だったんだが、どうも先に行ってしまったみたいだ。オシュまでは250ドルだな」
 これにはさすがに堪忍袋の緒が切れた。いいか、俺はイスファラで他の運転手を選ぶこともできたのに、お前が客を集められると信じて3時間待ったんだ。ふざけるのも大概にしろ! 今すぐ俺をここで降ろせ、他のタクシーをいくらでも待ってやる!
 もうロシア語なんか使わずに英語でまくしたて(いま考えると、怒っている雰囲気さえ出せれば日本語でもよかった)、そのあとロシア語の単語を並べて意思を伝えようとする。しかし敵もさるもの、困ったような苦笑いで何となくやり過ごそうとしてくる。もう仕方がないので、ロシア語の『旅の指さし会話帳』を開いて、乗り換えるという意志だけなんとか伝えると、彼は何事か電話をして、「俺の友達がオシュまで行くからそれに乗り換えてくれ」と言う。

 友人の車はすぐに現れて、乗り換えようとすると、運転手が僕を友人の車のところから自分の車に連れ戻して「俺に50ドル払え、そうしたらあいつには俺から金を渡すので何も払わなくていいから」と言う。友人の車というのにはすでに満員近く人が乗ってるじゃないか、お前にイスファラからバトケンまでの金を払って彼にはバトケンからオシュまでの正規の料金を払えばいいだろうと必死で伝えるが、「じゃあ乗らなくていいよ」と、友人の車に積んだ荷物を無理やり降ろそうとしてくるので、もう従うほかなかった。
 新しいタクシーに乗り換えると、「50ドルは高すぎるな」と乗客が言う。ああ、彼が僕を連れ戻したのは、他の乗客に仲裁に入られるのが嫌だったのだな、と僕はようやく理解した。
 教訓はふたつ。第一に、乗合タクシーに乗る前には、彼の車にすでに客がいるかを確認すること。第二に、値段は地元の客と同様になるよう、他の客が聞いている前で交渉すること。
 あるいは僕が誰か他の旅行者と一緒に行動していれば、こういう事態にもならなかっただろう。異国一人というのはどうしようもなく弱いものだ。すべての責任は自分にあって、誰も守っても支えてもくれない。これも勉強代と諦めるしかない。

▲キルギス料理「オロモ」。餃子の皮のようなものを重ねた中に肉やキャベツや芋が入っていておいしい。キルギスではいろいろな料理にディルがかかっている

 オシュでは幸いに1歳年上の日本人旅行者と出会うことができ、これから向かうビシュケクの情報を聞いたり、スライマン・トー聖山に一緒に登ったりすることができた。彼はオシュから南下してタジキスタンのパミール高原に向かうという。タジキスタン東部パミール高原、政府の入域許可証が必要なゴルノ=バダフシャン自治州には、タジク人とは異なる言語と文化をもつ民族、パミール人が暮らしている。次の機会にはぜひ訪れたいところだ。

▲スライマン・トー聖山。もともとはアニミズム信仰の霊山だったのが、スライマン(ソロモン王)ゆかりの地ということになったらしい

▲聖山は落書きだらけだ。オシュでは、トルクメニスタン国境、ヒヴァ、ブハラ、サマルカンドで会ったイタリア人カップルと偶然再会した

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