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第46日・中国、廈門(アモイ)と福建土楼

 中国人とインド人は日常的に痰を吐く。褒められた習慣とはいえないと思う。しかし彼らも別に、痰を吐くのが気持ちよくて好きだからぺっぺぺっぺと吐いているというわけではないようだ。痰を吐くのは空気が汚いからだ。僕もインドや中国に1日でもいると、大気汚染のせいで、気付いたら喉に痰が絡まってしまっている。文明人たるもの(中国ではマナーのよいことを「文明」という)街中で痰なんか吐けないと、僕は自分の痰を我慢して体内に留めていた。しかし咳はどうしても止められない。宿で会った中国人によると、中国人も海外から帰国したあとにはひどい咳をするのだという。彼によれば、痰を飲み込んだりするから咳がひどくなるのだというから、僕はそれからはこっそり痰を道端に吐いてしまうなり、トイレに駆け込んで吐いてしまうなりすることにした。
 中国でもインドでも、昔は電車の中だろうがなんだろうが気にせず痰を吐く者が多かったそうだけど、最近では政府の「文明」キャンペーンのおかげか、そういった者は少なくなってはいるようだ。ただ、本当にやるべきことは、痰を吐くなと言うことではなく、元凶になっている大気汚染のほうをどうにかすることではないだろうかと思う。

▲唐代の女性の化粧は、やりすぎ感が否めない

 720元(約1万2千円)というべらぼうに高い値段を払った西安発廈門(アモイ)行のバスは、車内さえも埃による大気汚染に覆われているという代物だった。いったいどんな豪華バスに乗ることになるのかと思っていたら、人ひとりがようやく収まる幅の棺のような寝台が、上下2段、3列に並べられるだけ並べられ、思い出したように海賊版の映画や音楽をかけてくれるほかはなんのサービスもない。埃がひどくマスクなしではいられないし、朝には目やにで目を開けることができないほどだ。そのうえ前方では運転手たちがひたすらしゃべっていて、そのうちのひとりは、私こそ悪しき騒音中国人の見本ですと言わんばかりに、ほとんど金切り声で機銃のようにがなりたてていた。
 それだけではなかった。高価なバスなのだから直行便に違いないと思っていたし、西安バスターミナルのカウンターでも22時間で着くと言われていたのに、さまざまな都市を経由しつつ結局は31時間もかかってしまった。なお経由した地点は以下の通りだ。陝西省西安を出て渭南、潼関、(河南省)霊宝、三門峡、洛陽、鄭州、許昌、漯河、周口、項城、新県、(湖北省)黄石、(江西省)九江、(福建省)南昌、南平、福州、福清、莆田、恵安、泉州、官橋、水頭、同安、そして廈門。朝に着くと言われていたバスが廈門に到着したときには、日はすっかり沈んでいた。
 車内では、唐代の西域都護府がシルクロードの諸民族の協調と平和を守っていた……というようなプロパガンダ臭の強い映画や、お決まりの抗日戦争映画、さらには『マッドマックス 怒りのデスロード』の海賊版までもかけられていた。

 列車の切符が「無座」すらも取れなかったとはいえ、西安から廈門までわざわざバスを選んだのは愚かと謗られても仕方のないことだった。飛行機のほうが安く(500元(約8千円)くらいだ)速くそして快適でもあるのに。バスなんかで行ったのはほとんど意地だった。ホルモズ島からアクアマリン色のペルシア湾を眺めたとき、僕の心のなかに、ある決心めいた感情が湧き上がってきていたのだ。——ここから次の海を見るまで、陸路で行ってみよう。そうすることで、シルクロードの長さを身体で感じたかったし、世界地図の上を動いていく道程を現実味をもって捉えたかった。だから海の町である廈門までは、陸路で行かなければいけなかったのだ。

▲最後に見たホルモズ島の海

 廈門(Xiàmén シアメン)の町は、中国のほかの都市と比べると空気がきれいなようだ。道路脇の看板には「エコカー以外は市区内進入禁止」とある。一般的にアモイと呼び習わされている由来は福建語(閩南語)からということだけど、廈門の閩南語ではエームン(Ē-mn̂g)と発音する。調べたところアモイというのは漳州の発音によっているらしい。
 温暖な気候と、バスの車内アナウンスでも聞こえるなんとなくかわいらしい発音の福建語。やっぱり少し白い靄はかかっているけど、それでも美しい海。その海を往復35元(約600円)の連絡船で渡ると、あのすてきなコロンス島に上陸することができる。
 コロンス島はアモイ本島の西にある小島で、漢字では鼓浪嶼(Gǔlàngyǔ グーランユー)と書くのを閩南語読み(Kó͘-lōng-sū コーロンスー)したのが通称の由来だ。島はかつて列強諸国の共同租界となっていた歴史があり、旧領事館などの洋館が立ち並ぶ。島は今は廈門の一大観光地になっている。廈門は台湾資本の流入で発展したということだけど、コロンス島は「台湾口味」や「台湾品牌」といった看板の店がとても多く、あたかも簡体字の台湾といったところだ。

▲コロンス島、日光巖寺からの景色。廈門は大気汚染も比較的まし

▲廈門本島から連絡船で30分ほど

 中華人民共和国と名乗るだけあって、中国はどの都市も人民たちでごった返している。ある世代の中高年層はたいがいいつも眉間に皺を寄せて、人波をかき分け押しのけて、なんとしても人より先に前に進もうとしているようだ。若者たちはそれに較べるとおとなしいけれど、はたち前後の女子ということになると、自撮り棒を携えて、自分が最もましに写る角度を研究することに余念がない。老人たちはよく何人かで坐ってべちゃくちゃと談笑している一方で、仙人のように超然とした表情で、街の喧噪のなかを鷹揚に歩んでいく者もいる。
 廈門から約180キロメートル離れた永定県の土楼群に向かう観光バスは、談笑するタイプの老人たちが過半を占めていて、円卓で同じ大皿を突ついていると、「もっと食べな、若いの」と肉や豆腐を勧めてくれる。どこの国でもおばちゃんは優しいものだ。

 福建土楼のことをはじめて知ったのは、僕がまだ4歳のころだった。
 僕は多くの幼児がそうであるように、なんにでも興味をもち、これはなに、あれはなんて読むのとひっきりなしに訊ねる子供だった。そして僕の親は面倒がらずにいちいちそれらの質問に答えてくれたり、あるいは子供向けの図鑑などを買って僕の好奇心を満たしてくれたから、僕は同世代の子供たちよりはずいぶん博識になっていたし、小学校で習う程度の漢字もすでにほとんどが読み書きできるようになっていた。子供の好奇心には際限がなくて、恐竜でも鉄道でも昆虫でも、幼くしていっぱしのマニアになる子も多い。僕は特別何かのマニアになることはなかったけど、目の前に本があればすぐに読みきってしまうような子供だった。
 福音館書店から出ている子供向け教養誌『たくさんのふしぎ』シリーズに、『世界あちこちゆかいな家めぐり』(146号・1997年5月 文・写真:小松義夫、絵:西山晶)という巻がある。モンゴルのゲルやインドネシアの高床住居、アフリカの泥の家など、世界各地のさまざまな住居をイラストとともに紹介した本だ。そのなかでも僕が特に心を惹かれたのが、中国にあるという「みんなで輪になって暮らす家」だった。
 円形の高い壁をもつ巨大な建物は4層の集合住宅になっていて、外壁はのっぺらぼうのようでありながら、内側はひとつの街のように華やかだ。バウムクーヘン状になっている壁を細かく等分した1区劃、その1階から4階までの縦割りの空間にひとつの家族が住んでいる。建物全体にはおよそ300人が暮らしていて、廊下を歩いていると、お茶でも飲んでいかないかと住人たちが声を掛けてくる……。
 いつか行ってみたい、とその時思ったかはわからない。ただその「家」は僕に深い印象を残し、僕は何度も何度もその『たくさんのふしぎ』を読み返していた。田舎に住んでいたから、大規模なマンションや集合住宅のようなものをほとんど見たことがなかったのも影響しているのかもしれない。中学に入るころには、この建物が「福建土楼」と呼ばれていること、北方から移住してきた客家(はっか)と呼ばれる漢人の集団が、一族で土楼を建造して居住し、古い時代の漢語の特徴を保つ独自の言語を守り抜いているといったことなども知り、この場所にいつか行きたい、きっと行こうという明確な決意も抱くようになっていた。

▲永定土楼群で最大の楼、承啓楼の内部

▲赤い提灯は春節の飾りか

 福建土楼は2008年に世界遺産に登録されている。世界遺産に登録されると観光客が増えてしまう。もう『たくさんのふしぎ』に描かれていたような、山奥のひっそりとした隠れ里の姿はきっとないだろう。土楼は押し寄せる中国人観光客でごった返して、僕の抱き続けてきた憧れは彼らの喚き声に霧散してしまうかもしれない……。
 土楼はたしかに観光地化されていて、いまいましい「国家5A級旅遊景区」の看板もでかでかと建っていたけれど、しかしそれでも僕の憧憬を裏切らず素晴らしい場所だった。ツアー会社に勝手につけられた団体ガイドはきんきん声がうるさく、僕はこっそり団体から離れてひとりで土楼の中を歩き回っていたのだけれど、1階は観光客向けの土産物屋や茶屋になっていても、そこはやはり人々の居住空間で、老人が茶を飲み子供が遊び回る「家」なのだった。僕はこの旅行ではじめてお金を払って記念撮影をした。焼いてくれた写真とデータを受け取るために土楼の一室で待っていると、おばちゃんがお茶を淹れてくれた。ジャスミンティー、中国では花茶というお茶を飲みながら、客家訛りの強い普通話を話すおばちゃんと、日本から一人で来ました、まあすごいわねえ、といった会話をしていると、ああ自分は「みんなで輪になって暮らす家」の、その輪のなかに今いるのだなと実感する。
 2階や3階には洗濯物が干されている。土楼の裏手には畑があって、鶏がこっこっと鳴きながら走り回っている。福建省にはこういう土楼が1万とも2万ともいわれる数あるのだという。

▲客家の隠れ里に、いまは団体観光客が訪れる

 観光地化されているいくつかの土楼には、宿泊もすることができる。土楼で1日を過ごすことができるなんて、なんて素敵なことだろう。
 しかし僕は宿泊はせず、そのまま廈門に帰ってきた。後悔はない。19年も憧れ続けてきた土楼、きっとまた、今度は誰か、友達か恋人か、妻かあるいは家族かと来ることになるだろう。そのときにまたお邪魔させてもらえばいい、ここは家族が暮らし友が遊ぶ、みんなで輪になる家なのだから。

▲衛星写真を見たCIAは土楼を核施設と勘違いした、という逸話が残されている

前回 第43日・中国、西安

次回 第47日・台湾(中華民国)、金門島

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