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第47日・台湾(中華民国)、金門島

 台湾の金門県は、中国大陸から10キロと離れていない。中国領と最も近いところではその距離は2キロにも満たないのだそうだ。
 ここ金門島の属する金門県と、福州の沖合、馬祖島の属する連江県は、中国大陸側にわずかに残った中華民国の支配領域である。両県はいちおう中華民国福建省に属するということになっているけれど、省という単位は「凍結」されているということで、台湾だけど福建省で、福建省だけど中国じゃなくて、中華民国だけど台湾じゃない、というよくわからないことになっている。
 廈門から船でわずか30分のこの金門島に僕がやってきたのには、ビザなしでは中国に15日しか滞在できないので、一旦出国してカウントをゼロに戻す、という以上の意味合いはなかった。
 だいいち金門島は「台湾」なのだろうか? 中華民国を台湾と呼ぶのは、金門や馬祖を捨象してしまっていることにはならないのか。

▲まさしく一衣帯水だ

 入国審査を終えてパスポートを見ると、スタンプにはTAIWANとある。空港のロビーに旅遊服務中心というのを見つけた。ツーリスト・インフォメーション、観光案内所だ。台湾の旅遊服務中心はすごく親切であることで旅行者に知られる。宿に向かうバス停はどこかと訊いて、泊まろうと思っていた「十八支樑」の樑の字はなんて読むんだったかな……と発音に詰まっていると、係員の若い女性が「日本の方ですか?」ときれいな日本語で言う。隣にいるおじさんの話し方も、大陸に比べゆったりと丁寧だ。少なくともここは、中国と言うよりは台湾だ。 彼らが自分のことをどう思っているのかはわからないけど。

 ATMで台湾ドルを引き出し、お茶でも飲んで小銭を作ろうかなと歩いていると、お茶屋のとなりにレンタルバイク屋があるのが目に入った。係の女性が話しかけてきて、国際免許証は持ってないんですと言うと、電動原付ならば免許証は必要ないという。田舎だからバスは少ないだろうし、タクシーで周るのはちょっと高くつきそうだ。僕は島の地図をもらい、電動原付バイクをレンタルすることにした。24時間で800元(約2,500円)。
 余談だが、ニュー台湾ドルのお札に書いてある通貨名は「圓」、日本の新字体なら「円」だ。中国の人民元にも簡体字で「圓」と書かれていて、同音で画数の少ない「元」を日常生活で用いているだけのようだ。どちらも、会話では「塊(kuài クァイ)」や、台湾語ならば「箍(ko͘ コー)」という言葉で通用している。

 僕の転がしパックはレンタルバイク屋の係員が無料で宿まで車で運んでくれた。宿の女主人は感じのいいおばちゃんで、日本語もよくできる。バイク屋でもらった島の地図(日本の道路地図のように見やすくしっかりとした情報量のものだ)を見せると、こことここに行くといいですよ、と見どころを教えてくれる。

▲宿「樂活十八支樑民宿」と、金門島での相棒の原付

▲小さな牡蠣の入った「蚵仔麵線(オーアーミーソアーン ô-á-mī-sòaⁿ)」

 その金門島の見どころというのはたいがいが戦争遺跡である。といっても抗日戦争のことではない。日清戦争後の下関条約で割譲された「台湾」の範囲には金門島は入っておらず、日本が金門島を直接統治したことはない。中国大陸からまさしく一衣帯水の近さにあるここ金門島は、第二次大戦後の国共内戦により追い詰められた国民党軍が共産党軍と対峙する最前線であった。それで島には防空壕や地下通路、地下水路といった遺跡が無数に遺っている。
 とはいえ現在では両国(両国と呼びたい)は一応平和と呼べる関係にはなっていて、こうした戦争遺跡は大半が観光地化されている。台湾本島からだけではなく、大陸中国の人々も観光にやって来ているようだ。

 台湾と大陸の往来は今では相当自由になっている。通商・通航・通郵の「三通」がほぼ完全な形で実現したのは2008年のこと、それに先立つ2001年には「小三通」として、金門島と廈門の間で客船が運行されるようになっている。当初は中国人と台湾人以外には開放されていなかったが、今では僕のような外国人も利用することができる。
 平和にはなったけれど、島の標語は「毋忘在莒」。莒(きょ)に在るを忘るる毋(なか)れ、と読み下す。春秋戦国時代、斉国の田単という将軍が、国土の大半が占領されるなか、いまの山東省にある莒城と即墨城を拠点にして失地を回復した、という故事に基づく言葉で、言うまでもなく、台湾や金門を拠点にして本土を回復しようという、大陸反攻のスローガンだ。
 バイクを走らせていると、トーチカや砲台の遺跡に加えて、現役の軍基地や、地雷原を示す看板などが目に入り驚く。しかし驚くのはわれわれよそ者だけで、この島の人々にとっては、なんの変哲もない日常なのだ。

▲「毋忘在莒七大精神」翟山坑道にて

 終わっていない戦争の真ん中で、島の時間はごくのんびりと流れている。辰砂色の煉瓦でできた素朴な伝統建築が並ぶ集落では、春節の対聯がまだ鮮やかな赤色を保っている。老人たちがしわがれた声で話す閩南語が耳に心地よい。
 バイクをゆっくり走らせていると、集落の真ん中に、「瓊林里辦公處(Qiónglínlǐ Bàngōngchǔ チオンリンリ・バンゴンツー」と書かれた建物があるのが目に入った。町民センターのような、行政の施設だ。その下には「瓊林戰鬥坑道」の字。戦闘坑道というからには、軍事施設のトンネルのようなものだろうが、こんな住宅街に軍事施設とはどういうことだろう。

 10元(約30円)の小銭を置いて、町民センターの地下への階段を降りていく。人がどうにかすれ違えるくらいの暗くて狭いトンネルが、入り組んで100メートル以上は続いているだろうか。分岐したところの先には地上への階段があって、地上部の壁に開いた小さな穴から銃を出して射撃できるようになっている。別の突き当たりにはさらに下に降りる階段があり、その先には学校の教室ほどのスペースがあって、大地図などの展示物からみて司令所となるべく設えられた部屋であるようだ。

▲ 閩南建築の伝統家屋が並ぶ

▲瓊林集落の路地裏。台湾本島からの観光客も多く訪れる

 坑道の行き止まりからは地上に出ることができる。解説板によると、坑道は瓊林集落の大部分をカバーして張り巡らされているのだそうで、見学したのはせいぜいその3割程度に過ぎないようだ。
 近くに、狛犬か、沖縄のシーサーが直立したような、ふしぎな動物の石像が鎮座している。これは風獅爺という土地の守り神で、風害や邪気を防いでくれると信じられているということだ。風獅爺のおかげか知らないけれど、今に至るまでこの島は人民解放軍に占領されないでいる。これからもそうでいられるだろうか。

▲金門の暮らしを見守る風獅爺

 町民センターの前に戻ると、「金門県撮影芸術連盟」なる人々が記念撮影をしていた。20代から50代の男性ばかりの中に、20過ぎぐらいの女性が一人いて、旗袍、つまりチャイナドレスを着ている。彼女がモデルであるようで、伝統建築の前でおじさんたちは撮影を楽しんでいた。おじさんにニーハオと声をかけられたので、閩南語でリーホーと応える。日本から来ましたと閩南語で言うと、日本人なのに閩南語ができるのか、と驚かれるのがやはり少しうれしい。僕のカメラを見て、一緒に撮影しよう、と言ってくれる。

 おじさんたちに手を振って見送られ、バイクをさらに走らせる。そろそろ日も落ちてきて、なんとなく風が強くなってきたみたいだ。風獅爺が風害からの守り神だということは、この島に吹く風は相当のものであるはずだ。
 果たして風はどんどん強くなり、砂浜を歩いていても、南島的な暖かさは全く感じられなくなっていく。
 畑の中をしばらく走ると海に出た。草地の向こうには砂浜。太陽は赤みを増しながらゆっくりと降りていく。木々の間には迷彩柄に塗られた建物があって、砂浜からは海に向かって夥しい数の鉄棒が突き出ている。
 奇妙な光景はやはり戦のためだ。迷彩柄の建物は砦であり、鉄棒は共産党軍の揚陸艦の接岸を阻止するためのものだという。
 霧に霞む水平線の向こうには廈門の人々が暮らしているのだろう。深い海霧と、それ以上に深い何かが、ふたつの島を隔てている。これは国境で、対岸は敵国だ。

▲砂浜に突き出た鉄棒

 吹き付ける寒風に震えながらバイクを走らせて、金門島で最も栄えている町、金城に入った。ここはちょっとした田舎町で、官庁、コンビニ、銀行の支店や商店街もある。商店街にバイクを停め、ふらりと近くの大衆食堂に入って、暖かい炒飯と麺を食べる。中華圏の食堂は本当にメニューが豊富だ。中国では頼んでも大半のメニューで「没有(メイヨウ、ない)」と突っぱねられてしまう食堂もかなりあるけど、ここではそんなことはないようだ。
 食べ終わって外に出て、地図を確認してバイクに跨ると、通りがかったバイクに乗ったカップルが、「どこに行きたいの」と中国語で話しかけてきた。莒光楼(きょこうろう)に行きたいのですと答えると、道を教えてくれるのかと思いきや、それならついて来いと合図して、暗い夜道をわざわざバイクで先導してくれる。
 なんという優しい心根の国民だろう。もちろん、そう断じるのが早計だと僕は知っている。台湾人にも底意地の悪い人間もいるだろうし、犯罪者だっているだろうことは分かっている。上辺をかすめて通り過ぎていくだけの旅行者のもつ印象など、つまるところその人のたまたまの体験にすぎない。でも、自分にとってはそのたまたまの体験だけが核心で、すべてなのだ。何よりも得がたい、どこにでもある体験。あるいは、そのために旅行をしているのかもしれない。

▲「光復大陸」の象徴として台湾の郵便切手にも描かれた莒光楼

前回 第46日・中国、廈門(アモイ)と福建土楼

次回 第47日・台湾(中華民国)、金門島の慰安所

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