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第26日・トルクメニスタン、ダーショグーズからウズベキスタン、ヒヴァへ

 僕はエグザイルになった。
 このままのスピードでEXILEが増加していけばいずれ僕もそうなる日が来るとは予感していたけど、まさかここトルクメニスタンで文字通りのエグザイル(追放者)になるとは思ってもみなかった。

 話はイラン・テヘランでのビザ申請にさかのぼる。
 トルクメニスタンの通過ビザ申請には、入国と出国の国境検問所を指定しなければいけないということは前に書いた。そのとき、そのへんにいたトルクメン人に、「ウズベキスタンに抜けるのなら、出国はファラップ(Farap)国境だよ」と言われ、特に疑いもせずそう書いて出したのだけど、これが大きな間違いだった。僕のルートは、アシガバートからほぼ真北にカラクーム砂漠を突き抜けて、ダーショグーズ(Daşoguz)国境からウズベキスタンのヒヴァに至ろうというものだったのだけど、オフライン地図アプリ「maps.me」で検索したところ、ファラップはダーショグーズよりはるか東、ブハラに近いところにあるではないか。それは困る。「地獄の門」を見ないでトルクメニスタンを抜けるなど耐えられない。このまま知らないふりしてダーショグーズに行こう、まあなんとかなるだろう、と、断然カラクーム砂漠縦貫ルートを取ることに決めたのだった。

▲北部キューネウルゲンチ、高さ67メートルを誇る14世紀建立のクトルグ・ティムール・ミナレット。キューネとは「旧」という意味で、南東のウズベキスタン側にはウルゲンチという都市が別にある

 そういうことで、ダルヴァザからバスでキューネウルゲンチの世界遺産の遺跡に向かい、国境に向かおうとしたところ地元民が「国境は今日はもう閉まってるよ」と言うので、仕方なくダーショグーズの町に1泊することにした。これがいかにもソヴィエト時代の遺産らしい、でかいだけのおんぼろホテルで、50マナト(約1,700円)と高いくせに、シャワーからは茶色い水が出てくるので閉口した。外国人はある程度以上値の張るホテルにしか泊まれないのだという。
 もちろんWi-Fiなどはない。というか、ダルヴァザのチャイハナにいた男たちの話では、トルクメニスタン国内にはWi-Fiなるものは一切存在していないらしく、「お前Wi-Fiって知ってるか? トルクメニスタンにはそんなもんねえぞ」ということだった。本当だろうか。
 トルクメニスタンでは普通にiPhoneなんかを持っている人も多くいて、またモスクワなど国外に旅行したりもできているようだ。LINEもやっている。このあたりは「北朝鮮」のイメージからはほど遠い。ただ、チャイハナでおっちゃんがなぜか大統領のパレード動画を見せてきたり、乗合タクシーのダッシュボードに大統領の写真が置いてあったりするので、大統領崇拝というのはたしかに行われているみたいだ。大統領はやけに若々しくて血色のいい顔をしていた。

▲故ニヤゾフ大統領。いまの大統領はベルディムハメドフとかいう人で、同様にでかい肖像を飾らせたりしているようだ

 翌朝、国境の開く9時よりすこし前に検問所にたどり着いて、荷物全チェックの税関検査も何事もなく抜け、さああとはスタンプだけというところで、案の定係官が言う、「君はここからは出られない」。
 必死の知らんぷりでやり過ごそうとするも、さすが官憲の厳しい旧ソ連、「今からファラップ国境までタクシーで行け」などと言ってくる。
「それは可能なんでしょうか?」
「10時間かかるな、まず間に合わないだろう」
「出られないのですか」
「……ちょっと所長を呼んでくるから待っていなさい」
 偶然、英語のできる衛兵がいて、「人間はだれしも間違うものさ」とか励ましの言葉をかけてくれて意外とやさしい。

▲強そうなトルクメン人のおばちゃん。歯が金ぴかだ

 その後、「飛行機でファラップまで行け」とかなんとか言われ続けておよそ4時間が過ぎた。通過ビザの趣旨は所持者がきちんと所定の期日内に通過することなのだから、国境こそ違えどウズベキスタンに抜ける以上は、ここで僕を出国させてもトルクメニスタンにとって困ることは何もないはずだ、などと法学部的屁理屈を頭の中でこねていると、後からやってきたイタリア人のカップルがつつがなくスタンプをもらって通過していくので、とりあえず「ハーイ」と挨拶だけして見送る。そうしてさらに1時間ほど待っていると、係官がやってきて、「罰金を払えばここですぐにスタンプを押してやろう」という。いくらですか? 345ドル。
 そんなに持ってません、さっき220ドルしかないと税関でも申告しています、クレジット払いはできませんか? と訊くと、クレジットは無理だと言いつつまた何か奥の部屋に引っ込む。

 また30分ほど経って、戻ってきた係官が言うには、「罰金は230ドルだ」。だから足りないんだってば! いったいなんなんだこの人たちはと逆切れしかけていると、さっきの英語のできる衛兵が言う。
「それか、国外退去処分だな。その場合1ドルも支払う必要はないが、トルクメニスタンには今後1年間再入国できなくなるぞ」
「……え? 1年間経ったら再入国できるんですか? 2017年にはまたトルクメニスタンに来られる?」
「そうだ、1年間はだめだ」
「私はお金がありません。ぜひ国外追放にしてくださいませ」

 それをもっと早く言え! と思わないではいられなかった。トルクメニスタンに今後1年の間にまた来ることがあるだろうか? 年間に日本人が200人しか訪れない、このトルクメニスタンに。一も二もなく僕はペルソナ・ノン・グラータとなることを選んだ。ペルソナ・ノン・グラータって言いたいだけなので多少目をつぶってください。
 その後およそ1時間半にわたり、通訳が呼ばれ、彼の訳す通りに僕が英語で供述調書に記入し、今度はそれを通訳氏がトルクメン語に訳して係官がトルクメン語の供述調書を作成し、それに僕と通訳がサイン、という極めて刑訴法的な手続きが行われ、僕は晴れてトルクメニスタン脱出を果たしたのだった。ご迷惑をおかけしました。今度からは地名をしっかり確認します。

▲ダルヴァザのチャイハナにはパラボラアンテナがあって、テレビとかもしっかり見ることができた

 国境まではまた緩衝地帯があって、3マナト(約110円)を支払って車に乗らなければいけない。トルクメン人だという若い女性が英語で話しかけてきて、ヒヴァまで一緒に行くことになった。ヒヴァの近くの都市ウルゲンチに留学しているのだという女性、バルナは僕と同い年の22歳だった。
 トルクメニスタンに比べると極めて簡潔なウズベキスタンの税関検査を抜けると、彼女はiPhoneのSIMをトルクメニスタンからウズベキスタンのものに付け替えた。当たり前のことだけど国が違えば電話会社も違う。

▲キョフナ・アルク(旧宮)から望むヒヴァ旧市街イチャン・カラ(内城)

 土色の城壁に囲まれたヒヴァの旧市街「イチャン・カラ」にはお土産屋なんかも多く、トルクメニスタンとは一転して観光地という感じだ。空気が開放的なのは、建物の画一性が緩くなったからだろうか。

▲太くて短いミナレット「カルタ・ミナル」。カルタは短いという意味で、本当は100メートルにもなろうかという高さにしたかったらしいけれど、未完成に終わっている

 宿「ラリ・オパー」には国境にいたイタリア人カップルが泊まっていて、客は僕ら3人だけのようだった。冬には観光客は少ないということで、ドミトリー料金の10ドルでツインルームに泊まることができた。
 その後はバルナと甘い夜を過ごした……などということはもちろんなく、彼女は用事があるとかで帰ってしまい、僕は一人で夕暮れのヒヴァをそぞろ歩いた。僕はつまるところそういうタイプの旅行者だ。

▲なぜか音楽に合わせておじさんたちが踊っていた。ちなみに、バルナは後でラインをくれた

▲おみやげ屋さんではいろいろな楽器も売られている。バラライカなんかもある

前回 第24日・トルクメニスタン、アシガバートからダルヴァザへ

次回 第28日・ウズベキスタン、ブハラ

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