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他人は変えられないから自分が変わるしかない。は本当か

他人は変えられないのか

タイトルの言葉を人に対して諭すように話している場面をよく見ます。私自身もチームメンバーに対してあれこれと時間をかけて説明を施し、理解を促していますが、そんな姿を見かねて「わからない奴には何を言ってもわからない。言う相手は見極めろ」と上司からたしなめられたことがあります。

この言葉はある場面では正しいのだと思います。例えば私が上司に言われたケースでは仕事中の一幕なので、作業効率を考えろということと理解しています。
理解してもらうのに時間を要する相手に対して理解してもらう以外の方法でアプローチをすべき。例えば理解しておらずとも問題行動を起こさないように仕事のやり方を変えるか、その人に合った別の仕事をしてもらうか、違う解決策があったのかもしれないと当時を振り返ります。

タイトルの他人は変えられないから自分が変わるしかないという言葉は、その言葉自体が少し矛盾しているように感じています。
他人から見れば自分は他人です。この言葉がどんな時も正しいのだとすると、自分も他人には変えられないということになります。なのでもう少し行間を埋めてこの言葉を書き直すと「他人は他人の意思によって変えることはできない。自分は自分の意思で変えられる」ということになるのではないかと思います。

そうなると、他人に対して自ら変わりたいという意思を持たせることができれば、その場合にのみ他人は他人の意思によって変えられるのではないかと思うのです。(自分の意思で変わったとも同時に言えますが)

ではなぜ他人は変えられないなどという表現になってしまうのでしょうか。それは単に、難しいから、ということと思います。対話によって他人の自発性を促し、進んで自らを変えようと努力させる。それが簡単なことであれば、他人は変えられないなどという表現にはならないはずです。

自分が変わるしかないのか

他人は変えることができると上に書きましたが、仮に他人を変えられないとした場合、後半の自分を変えるしかないのかということについても疑問が残ります。この言葉を使っているとき、当事者たちがどんな問題に直面しているのかは状況によると思いますが、人の行動や性質を変えるという解決策だけでなく、環境を変える方法やその他にも解決策はあるのではないでしょうか。そもそもそれは本当に問題なのか、なぜ問題となっているのかと、問題自体を突き詰めて考えてみることも必要かもしれません。

他人か自分を変えるしかないという思考に向かわせてしまうことは、どちらかが悪で改善すべきであるといった対立構造を助長させ、二人でその問題を解決するのだという協力関係を築きにくくさせてしまうように感じます。もしくは、他人は変わらないという諦めの下、他人との対話をやめてしまい、独りよがりな問題解決に走ってしまうのではないでしょうか。いずれにしても、本当の意味での問題解決にはつながらないでしょう。

使うシーンや伝え方に注意

自分のことを棚に上げず、問題の原因は自分にもないのかと自問自答し、自らも改善すべき点がないか考え自省する。そういった姿勢を持った上で人に相対している人はこの言葉を言われないでしょう。
冒頭にもあるように、この言葉は人をなだめ・諭す場面でよく使われます。そのシーンではおそらく、ある人が他人に対して理不尽な要求をしていたり、理不尽でなかったとしても要求ばかりをしているときに使われるのかなと思います。感情的にもなっているかもしれません。
そんな時にこの言葉を使い、「じゃあもう話しても無駄」となってしまっては問題解決ならなくなってしまうので本末転倒です。相手は自らを省みていないのか、そこをよく見極めて言ってあげたいものです。

他人を変えるには

本人が進んで変わりたいと思うことができれば、他人は変わります。他人を変えたいと思った時にはどういったアプローチが必要か、考えてみます。

なによりもまず問題の共有が必要と思います。これは単に共有・理解したというだけでは不十分で、自分が感じている課題感に共感してもらう必要があります。「確かにそれは解決すべき問題だ」と相手に心底思ってもらうのです。
どれだけ論理的にその問題を説明しようとも、理解にはつながりますが共感にはつながりません。その問題が自分にとってどれだけ大きい問題なのかということを大げさに表現しても、そのまま大げさだなと思われてしまうでしょう。あなたの問題なんだから巻き込まないでよ、とか勝手にしてよとかえって離れていってしまうことにもなります。

ではどうすればよいかというと、相手や相手との関係性によるので一概に言えません。ただ、二人にとっていかにその問題によって不利益を被っているのか、逆に解決した先にどんないいことが待っているのかを話してみるのはどうでしょうか。
そもそもになってしまいますが、自分にとっては大きな問題でも、相手にとっては大した問題ではないというものも確かに存在するでしょう。そういう場合は解決するにあたっての相手の負担を軽くしたり、解決度合を下げるといった妥協も必要になります。
相手の問題意識が低すぎる場合には相手を責めずに、間接的な意識向上から始める必要もあるかもしれません。面白いから読んでみてと本を進めたり、一緒に講義を受けたり、相手に気づかせるアプローチを辛抱強く続ける必要があるかもしれません。

他人を変えるには、他人に求めてばかりいずに自分のアプローチ方法を変え、いろいろ試してみるのが結果的には効果的なのではと考えています。そういう意味では、「他人は変えられないから自分が変わるしかない」のかもしれません。


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