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父と娘(ジョビンと志賀直哉)

 ブラジルの作曲家、ボサノヴァ生みの親、アントニオ・カルロス・ジョビンの最後のアルバムには「マリア・ルイーザのサンバ」という曲が収録されています。​  ジョビンが娘のために作った一分ちょっとの短い曲です。編成は、前半はジョビンのピアノと唄、それにマリアの唄、後半はバックにドラムスとベースが入る、というシンプルなもの。



 当時マリアは五歳。ジョビンは六〇歳で産んだ愛娘ですから可愛くて仕方がない。歌詞も「可愛い可愛いマリアちゃんと大きくなったら結婚したいよ、マリアちゃんのサンバは世界一可愛い」という内容。曲の骨格はジョビンのピアノと二人の唄ですから、自宅でもいつもこのように唄っていたのかな、と父娘の日常を想像させられましてなんとも微笑ましい。これを録音して、すぐジョビンは亡くなってしまうのですが、この曲には暗いところは微塵もない。
 「ジョビンの曲で何が一番すき?」と聞かれたらわたしはいつもマリア・ルイーザのサンバと答えています。こう、親子の愛情あふれるデュエットっていいですね。
 それと同じ理由でジョアン・ジルベルトの一番すきな曲は「想いあふれて」。もちろん一九八〇年のTV放送を録音したライブ盤から。当時十四歳くらいの娘、ベベウ・ジルベルトとの二重唱が聴けます。

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 父と娘の日常、家族の日常を切り取ったようなものは音楽はもちろん、映画でも漫画でも好きです。志賀直哉に「池の縁」という文庫本で二ページの小品があります。筋書きは単純です。


 私(=志賀直哉)には田鶴子という三歳二ヶ月の娘がいます。「私」がどこへ行っても田鶴子と仲良しの犬はあとをついてきます。ある日、自宅の池を娘と犬とで並んで見てたら娘が「きのうな、蝉がな、木で啼いていた」と言います。「私」は、今は冬だからそんなことはなかろうと言うと「うそいいな」と否定されます。「私」が「ばか」と笑うと、娘は「うそいいな」ともう一度そういってにやにやしていおります。「私」は「お前こそうそいいな」と言って、二人で仲良く笑います。
 これだけの話なのですが、どうも読むたび泣けきます。なんででしょう。切り取られた日常の情景それ自体が、その場の空気や、思い出や、愛情を密閉しているという表現に、わたしは弱いのです。もう二度と繰り返されることのない瞬間が、そこにある気がしてどうも泣けてくるのです。
 わたしはこの小品を古い岩波文庫『万暦赤絵』で読みましたが、今はどこに収録されているのでしょうか。でも志賀直哉ですから、どこの図書館でも探せば読めるのではないかと思います。そういえば、NHKのテレビ番組で志賀直哉はこの作品を奈良に住んでいたときの代表作としていました。そして、自分の朗読をテープに吹き込んでいました。一度その録音を聴いたことがあるのですが、随分とたどたどしく、しかし言葉を一つずつ噛み締めながら、その場で発見してゆくような読み方をしていました。それを聴いたとき、ふとジョビンの歌い方、ピアノの弾き方を思い出したのです。


  (2016年、未発表)

 

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