河内タカ

趣味は「見ること」。特に絵画や写真、家具や工芸作品なども。それが展示されている美術館な…

河内タカ

趣味は「見ること」。特に絵画や写真、家具や工芸作品なども。それが展示されている美術館などの建物も好きで、ということは旅をすることがもっとも好きかもしれません。

最近の記事

コエタロ (夏の家)

アルヴァ・アアルトの「夏の家」は、フィンランドのムーラッツァロ島の高い木立に囲まれた岩盤の上に建っている。完成したのが1952年で、ル・コルビジュエのカップマルタンの小屋と同じ年ということになる。この家が「コエ・タロ(コエ=実験・タロ=住宅)」という名称で呼ばれているのは、アアルトはこの家を様々な構造や素材を試していたためとされているが、実は税金を安くするために税務署にて「いやー、ここは住むためでなくあくまでも実験のための家で...」と掛け合ったというのが真相。でも、税務署側

    • ル・コルビジュエのキャバノン

      ル・コルビュジエが晩年から亡くなるまで別荘として住んでいたのが、南仏の地中海沿いにある小さな町カップ・マルタンに今も残されている「キャバノン (休暇小屋という意味) 」だ。おそらくこのなんでもないようなこじんまりとした丸太小屋を見たならば、とてもモダニズム建築の巨匠が自らの終焉の家として作ったとは想像できないはずだ。 もともとこの小屋は、彼とコルビュジエ夫人イヴォンヌの居住スペースとして造られたものだったが、考えてみれば、コルビュジエにとって住宅における最小限のスペースでの

      • 詩人建築家による小さな家

        立原道造という詩人がいた。だが、彼は第二次世界大戦が始まる前の1939年に24歳で結核のために亡くなってしまう。若くして夭折した叙情的な詩人として知られているが、立原がもともと目指していたのは、詩人ではなく実は建築家になることであった。実際、彼は東京帝国大学で建築を学び、一学年下には丹下健三がいたが、在学中から抜きんでた存在で丹下たちからも羨望されていたという。 その立原が思い描いていた小さな家、いや小屋といっていいかもしれないが、大学卒業後に建築事務所で働き始めた頃からス

        • 藍染の隙間で見る在来馬のいる風景

          アムステルダムを拠点とするシャルロット・デュマの新作を含む展示が銀座メゾンエルメスフォーラムで開催される。これまでシャルロットは日本に14回も来日したことがあり、日本各地で撮影を行ったそうで、今回の展示にはその成果が展示されている。彼女は人に身近な動物、特に馬と犬を被写体にして人と動物の関係性などを問う作品を発表してきたわけだが、日本固有の馬の存在を知った彼女は、北は北海道から南は与那国島まで赴き、個体数が少ないため絶滅が危ぶまれている馬たちを撮影したというのだ。 そのよう

        コエタロ (夏の家)

          パウル・クレーの作品が小さい理由

          アーティゾン美術館でパウル・クレー展を見た。展示作品数は25点で、もともと所蔵作品であった『島』(1932年) を除いては、休館中の2019年に一括で個人コレクターから購入されたものだという。年代もバウハウスで教える以前の「青騎士グループ」時代のものから、難病と闘いながら制作した晩年作品までひと通り揃っているが、その多くは薄い板や厚紙に描かれたものだ。もともと小さな作品が圧倒的に多いクレーだが、緻密に描きこまれたそれぞれの作品には、彼のあふれんばかりの実験精神や豊かな色彩感覚

          パウル・クレーの作品が小さい理由

          沢木耕太郎が「旅なき日々」に思うこと

          「みんながこの状況を過度に恐れすぎている」――沢木耕太郎が「旅なき日々」に思うこと(8/2 Yahoo Newsから) 80年代・90年代のバックパッカーブームを後押しし、日本中の若者を旅へと駆り立てた沢木耕太郎の『深夜特急』(新潮文庫・全6巻)。主人公「私」の一人語りで綴られる、アジア、中東、ヨーロッパの旅は、いつ読み返しても新鮮なときめきを与えてくれる。 沢木は現在72歳。一貫してメディア出演を控えているというが、すらりとした体躯に背筋の姿勢の伸びた姿勢、精悍なまなざ

          沢木耕太郎が「旅なき日々」に思うこと

          2020大統領選-ミシェル・オバマのスピーチ

          みなさん、こんばんは。今は非常に苦しい時期で、みなさんはそれをそれぞれ違う形で受け止めているでしょう。それに多くの人が今、政治集会や政治全般に目を向ける気持ちになれないということもわかっています。私にもそれはわかります。でも私はこの国を心の底から愛しているから、そして多くの人が傷ついているのを見るのはとてもつらいから私はこの場に来ています。 私はみなさんの多くと会い、みなさんのストーリーを聞きました。そしてみなさんを通してこの国の希望を目にしてきました。そして私の先人たち、

          2020大統領選-ミシェル・オバマのスピーチ

          ジュリエット・グレコ

          夏の朝に聞く音楽として、なにがいいか。例えば、ジュリエット・グレコの歌うシャンソンとかお勧めだ。 実はグレコのことはほとんど知らなかったのだが、京都にあるとあるバーに行って(ジャズとシャンソンを真空管アンプと馬鹿でかいスピーカーで流してくれるバーだ)、アンリ・サルヴァドールをかけた後に、「これなんかもお好きじゃないですか?」とかけてくれた古いグレコのアルバムがとても心地よかった。知らない歌手だ、というと、こんなすごい人なのに実にもったいないという表情をされた(決して嫌味な感

          ジュリエット・グレコ

          新型コロナから学べること

          この記事は最初ビル・ゲイツが書いたものとして出回ったが、ゲイツ自身が「自分が発したものではない」と言及した。しかし、これを書いた人物の観点はかなり真っ当であり、なので全訳する価値があると思い、ここの残して残しておこうと思う。 我々の身の回りで今まさに起きること、それが良いことであろうと悪いことであろうと、そのすべてにスピリチュアルな目的(あるいは神の仕業) があると私は信じている。精神を集中させて今回のコロナウイルスに対して感じている私の思いをここに書き綴ってみたいと思う。

          新型コロナから学べること

          パリ左岸のリトグラフ工房

          r1969年に行われたムンク展のポスターを刷ったモンパルナスのムルロ工房 (現イデム工房) に実は以前訪れたことがある。入り口から入ってすぐ、いくつもの石版が立てかけられた壁の隙間に、経年で黄色くなった見覚えのあるムンクのポスターを思いがけなく見つけた時、「やっぱりここで刷られたんだなぁ」という思いがこみ上げてきて涙が出そうになった。 フランソワ・ムルロが1852年にパリに創業したムルロは、商業版画や壁紙を扱う小さな個人店「Mourlot Studios」としてスタート。や

          パリ左岸のリトグラフ工房

          マティス 「画家のノート」

          この本は、アンリ・マティスによる芸術に関する文章と談話のすべてを集めた決定版であり、寡黙で知られたマティスが詳細に心の内まで丁寧に語っているのが実に感動的だ。初版ではカットアウトによる「ブルーヌード」が使われていたが、新装版は「女の顔」(1951)に変更されている。また、裏表紙にぼくの『アートの入り口』でも使ったキャパが撮った写真が使われていて、カバーを外すと中から「家の窓からの地中海風景」が現れるサプライズがある。以下はP180からのデッサンに関する1937年の手記から。

          マティス 「画家のノート」

          原田治「ぼくの美術ノート」

          原田治の『ぼくの美術帖』を何度か読み返した後、その続編として亡くなられた後に出版された『ぼくの美術ノート』を読み終えた。芸術新潮の連載をまとめたものなので、美術帖の時よりもそれぞれ短めだし文章も柔らかだ。それでもどの項目も面白く、原田さんが好きなものに対しての愛が感じられるのは前書と同じである。 川端実のコラージュ作品、ビル・オーウェンスの『サバービア』、島根の船木さんのスリップウェアなどに関して自身の体験を通して書かれているが、この本の一番最後に「犬を負う子供たち」と題し

          原田治「ぼくの美術ノート」

          会田誠 「げいさい」

          1965年生まれの美術家、会田誠が書いた純粋な小説「げいさい」を一気に読んだ。 そう、約300ページもあるのに一気に読みたくなるほどとにかく面白いのだ。その文章のキレの良さと登場人物像たちの会話のやりとりのテンポが心地いい。1965年生まれの二十歳前後の若者が、80年代中期に体験し思っていたことがかなり詳細まで語られていて、それが実に深く響き、読みながら何度も相槌を打っている自分がいた。 「げいさい」には、思わせぶりな表現も少なく、修辞的な表現も的確であり、美術大学に入る

          会田誠 「げいさい」

          明治神宮ミュージアム

          明治天皇と皇后を祀る明治神宮が造営されたのが大正初期のこと。そして、原宿駅から行くと南参道に繋がり、緑の中に現れるのが昨年の秋に完成した「明治神宮ミュージアム」だ。現れるというか、どちらかといえば緑に溶け込んでいるという感じがする端正な建物で、弘前にある前川國男の「緑の相談所」がヒントになっているのではないかと思う。 設計を手掛けたのは隈研吾。根津美術館の設計も手掛けた建築家であるが、この建物はサイズ感といい高さといいとても上品だ。外から見ると軒が低いのだが、中に入ると内部

          明治神宮ミュージアム

          それが“YES”であったから……

          オノ・ヨーコを最初にぼくが知ったのは、まだアートのことなどまったく知りもしない中学生時代で、当時から今にいたるまで大好きなビートルズの逸話で、ジョンとヨーコの出会いについて読んだときだった。それは1966年11月9日、ヨーコがロンドンのインディカ・ギャラリーという画廊で個展を開いていたときで、そのプレビューにジョンが一人で訪れたというのだ。  この時の展覧会のタイトルは、『未完成の絵画とオブジェ』と題され、パフォーミンング・アーティスト、そして概念的アートのことを指すコンセ

          それが“YES”であったから……

          オラファー・エリアソン 「キッチン」

          東京都現代美術館で展示が行われているオラファ・エリアソンのベルリンのスタジオでは、毎日のように大勢のスタッフのために料理が作られている。確か、アップル本社でも同じようにオーガニック素材を使った料理がいつでも自由に食べられるということを聞いたことがあるが、やはり思考能力を高めクリエイティブな仕事をするためだったり、人と人との繋がりを良好にするために、旬の食材を使った料理というのはとても重要なものなのだということをこの本は教えてくれる。 学校給食のように、エリアソンのスタジオで

          オラファー・エリアソン 「キッチン」